森の命
この国は、かつてイギリスの植民地であった。第二次世界大戦中は、日本の占領下におかれ、戦争が終わったあとに再びイギリス領に戻るが、戦後の植民地独立運動のうねりを受け、一九六○年代一つの主権国家として独立した。
現在は、大統領マラティール・モハメド氏の元、経済開発が振興され、かつての日本のような高度成長を続けている。
人口は、日本のほぼ半分の六千万人、国土は日本とほぼ同じ大きさだ。しかし、GNP(国民総生産)は、日本の二十分の一にも満たない。国民の平均賃金は、日本の十五分の一と安く、そのため日本や欧米の企業がその安い労働力を求め生産工場をたくさん進出させている。スワレシア政府は大歓迎である。進出する外国企業には、数々の優遇措置をとっており、その一つに、先進国では厳しい環境保全基準がここでは緩いということがあげられる。
工業化にともない都市の人口は急増している。このスワレシアの首都クアランコクは、人口五百万の大都市だ。だが、その半数近くの住民はスラム街に住んでいるのが現状だ。。
農業が衰退していき、多くの人々があぶれ都市に職を求めて来るのだが、そんなに多く職があるわけではない。職の見つからない者達は、スラム街に住むことを余義なくされる。
リムジンは、クアランコクの中心街に来た。ここでは、空港近くのスラム街とは、うって変わり、近代的な高層や超高層ビルが立ち並ぶ姿が眺められる。
この辺りの光景は、日本と全く変わらないといっていい。東京の丸ノ内か新宿に戻ったような気分だ。ここは、発展するスワレシア経済を象徴する風景といえる。
あ、と驚く建物が目に映った。このビルは、超高層ビル群の中でも、ひときわ高くそびえ立っている。それも二つのビルが同じ高さで並ぶツインである。頂上の部分が、二つ揃ってとんがった円錐形になっている。ビル全体が、まるで二本のボールペンを立てたような形になっているのだ。
「明智物産が建てたのですよ。クアランコクタワーと言います。地上百階、高さは五百二十メートル、完成したばかりです。これは、高さでは世界一の超高層ビルです」
英明が、すぐ側で耳打つように言った。
「何ですって、こんな大きいビルを!」
「今さら何を驚いているんですか。スワレシアは、高度経済成長の真っ只中にいる国です。二十一世紀中には、先進国の仲間入りするといわれています。そして、我が明智物産はスワレシアの経済に多大な貢献をしているのです。明後日にマラティール大統領を招いてオープニングセレモニーが開かれます。私達も出席するんですよ、由美子さん」
由美子は、衝撃を覚えていた。もうスワレシアという国では、日本やアメリカをしのぐ超高層ビルが建造されている。それも、自分の父親の会社が建てたのだ。東南アジアの小国いう印象を持っていたが、こんなビルがあっては発展途上国となんていってられない。
同時に驚いたのは、父の会社がこんなビルを建てる大事業を成し遂げたことだ。変な話し、父が事業家だということは知っていたが、ここまでのことをする会社の社長だったとは思いも寄らなかった。それだけ由美子は父親の会社について興味がなかった。由美子は、父、清太郎のことを初めて知ったような気がした。
リムジンは、クアランコク・パレス・ホテルに着いた。
由美子と英明は、最上階のスイートルームに案内された。部屋は別々で、由美子のスイートルームと英明のスイートルームは、同じ階の別の端々にあった。互いの部屋の間には百メートル近い距離があった。
英明が、由美子の心理を見抜いていたのか、それは結構な計らいだと由美子は思った。
由美子は、部屋に入ると、さっそく、電話の受話器を取りフロントにつないだ。
由美子は、英語で言った。
『ハロー、わたし、ミスター・堀田とお話したいのですが、つないでいただけますか?』
しばらくして、堀田につながった。
『やあ、由美子さんだね。健次なら僕と同じ部屋だ。どうだい、邪魔しに来たいだろう?』
『もちろんよ。そこは何階の何号室?』
電話の置かれたテーブルの下に盗聴器が仕掛けられていることを由美子は知らなかった。
百メートル離れたスイートルームで英明は由美子の話し声を聞いていた。このホテルは、明智物産が所有するホテルである。この程度の計らいなどたやすかった。
由美子は即座、スイートルームを出てエレベーターに乗り込んだ。堀田に教えられた階へ着くと、エレベーターを出、目的の部屋番号に向かって突進した。
目的の部屋に着いた。ノックをしようとすると、さっと、ドアが開いた。
堀田が現れた。
「やあ、お嬢さん、来たね。健次は、ぐっすり眠っているよ。起こしてやりな。僕は、同じ部屋だけど、今から明日の朝まで研究所にいるから帰ってこない。だから、二人きりで後はごゆっくりと、じゃあね」
堀田はそう言いながら、由美子を部屋に入れ出ていった。
「ありがとう」
と由美子は小声で言った。
由美子は、ベッドに寝そべる健次を眺めた。やっと二人だけになれたのだ。
由美子は、床から飛び上ると、健次に覆いかぶさった。
「お、なんだ!」
健次は、さっと反応した。眼鏡を外した目で間近に由美子を見る。
「こいつ!」
健次は、大きく笑顔を作り言った。堀田が、この部屋にいないことを感知すると、照れくささが外れ、間近に由美子がいることに感激が走った。
健次は、由美子にキスをせずいられなかった。由美子もそれに答えた。
ぐっと深く唇を触れ合わせ、数秒後、放すと由美子は熱いままの唇を動かし言った。
「ねえ、健次、どうしてスワレシアに来たの。仕事って何なの?」
すると、健次は由美子を腕に抱き言った。
「新しい薬の原料となるものを探すためさ」
「新しい薬の原料、そんなものがここで採れるの?」
「何言ってるんだ! ハワイで環境学を勉強したのなら知っているだろう。このへんは、ブラジルのアマゾンにも匹敵する世界でも有数の熱帯雨林地帯なんだぞ」
「あ、そうか。熱帯雨林の植物や昆虫から採るのね。知ってるわ、熱帯雨林は植物や生物の大宝庫。そのバリエーションといったら、地球で一番というから、まだ、発見もされてない生物や植物がうようよしているんでしょう。もしかしたら、その中に癌やエイズを治せる薬の原料があるかもしれない。そういうことでしょ?」
「よく知ってるじゃないか。そうさ、癌細胞やエイズウイルスを殺せる物質が熱帯雨林に潜んでいるかもしれないってことさ」
「見つけることができたら、健次、大金持ちね」
「何言ってやがる! 俺はそんなことのためにやってるんじゃない。薬を探して、不治の病で苦しんでいる人々を救いたいんだ。それこそ、俺の使命だ!」
「わたし、健次のそんな正義感が強く情熱的なところがところが好きよ」
由美子は、そう言いながら健次にキスをした。
「ねえ、熱帯雨林の中で二人っきりって素敵よね。ハワイでも何度か経験があるでしょ」
「おい、ハワイのときとは事情が違うぞ。まさか、そこまでついてくるつもりじゃないだろうな?」
「わたしも、環境学者のはしくれとして世界中の熱帯雨林をできるだけ多く見たいの。いけない?」