森の命
より多くの物を低いコストで効率よく生産する。これは現代まで続く資本主義の必要概念である。企業は、利益重視で動く。利益を上げるためなら、環境破壊もいとわない。環境が、破壊されようとも企業の利益が上がるならば、それは善とみなされる。いわゆる公害が、その企業の考え方によって始った。
二十世紀前半までは、その公害は、ある一地域までに限られていたことだった。それが、最近では、地球全域にまで広がる規模となった。企業は、利益利益と開発に走る。その企業に経済を頼る国家や人民は、それを支援する。国家は、経済成長のため企業の開発を支援するのだ。各々の国家は、国民生活を豊かにするためと、また、他国からの干渉を恐れ、自国の主権維持のために経済力の増強を図る。それが世界各国の目標となった。
だが、一見ものが溢れ収入も増え、生活が豊かになっていく反面、身近にあった自然環境はどんどんと変わっていく。木々などの緑が失われていくばかりじゃない。ごく普通の生活さえままならなくなる変化が襲ってくる。地球の温暖化により北極・南極の氷が溶け海面が上昇しより広い陸地が水に埋まってしまう。フロンガスの放出によるオゾン層の破壊により、日光に含まれる有害な物質、紫外線が人間の眼や皮膚を直撃する。そうなると、うかうか外には出られなくなる。
そんな破壊された環境の中で生活することが、人間にとって果たして豊かな生活といえるのだろうか。悪化する生活環境の対策に追われ、通常の経済活動もままならなくなる。企業や国家は目先の利益を追い過ぎるのだ。実際に恐怖の時は迫っている。二酸化炭素の増加による地球の温度上昇は毎年観測されている。オゾン層の破壊により、地理的にもっとも影響を受ける極地地方では、皮膚癌の発生が深刻な社会問題となっている。二十一世紀中に人類は、滅亡してしまうかもしれないという観測がある程だ。
人間は、今まで自然を自分達の手で支配できるものと考えていた。自然を軽んじ、自然を自らの利益のため破壊尽くしてきた。だが、そのようなことをすれば、おのずとしっぺ返しが来ることを忘れている。自然の力は壮大なものであるが、仮にも、破壊し尽くせば人間に与える影響力も壮大である。自然が、人間の生活を支えているのである。自然を侵せば、それに支えられてきた人間の生活も侵すことになろう。
人間は、長いあいだ、大事なことを忘れていた。人間も自然の一部であること。他の自然と共生していかなければ、けっして生きていけないことを。今、人類は大きなターニング・ポイント(転換点)に来ている。自然を破壊し、自らも破壊するか。自然と共生し、自らを生かすか。
由美子は、これまで自分の身の回りで起きたことを、一つ一つ振り返った。大学を卒業し、日本に帰省したつもりのものが、東南アジアのスワレシアに飛ぶこととなった。そこで、自分の父親の会社が熱帯雨林を破壊してダム建設をするという事実を知った。それに反対するため様々な行動に出たが、すべてが逆目に出てしまう結果となる。あまりにも、自分が世間知らずだったことを思い知らされたのだ。
一口に環境保護だと言っても、様々な事情が絡んでくる。国家、企業、政治、経済、また一般市民の生活も絡む複雑な事情だ。大学時代、そのことは、講義でさんざん習ってきたつもりであったが、実のところ、今回の体験を通して身を持って知った。
ピンポーンとドアのインターホンが鳴った。ベッドから起きあがり、ドアを開けた。すると、そこには、意外な訪問者たちが立っていた。
安藤健次と父、明智清太郎であった。目の前の清太郎は、日本の病院で見た姿とは、見違えるように変わっていた。血色がよくかつての大商社社長の威厳を堂々と見せるあの父の姿に戻っていた。
「お父さん、もう大丈夫なの?」
「ああ、健次くんのくれた薬草が効いたらしくてね。全く元のままの健康体になっている。信じられんよ」
清太郎は、微笑んで由美子に言った。
「信じられないわ。もう末期癌で死ぬことを覚悟していたのに。今まで、ずっと心配していたのよ。全然、連絡が取れなかったから」
由美子は、何度も日本へ電話を入れた。しかし、不思議なことに野村総合病院には「明智清太郎」と名乗る患者はいないと取次いでくれなかった。明智邸にも会社にも連絡したが、父の所在は分からないという。一緒にいるはずの安藤に連絡しようと彼の自宅や携帯にも電話したが、全くつながらなかった。どうしたことかと心配でならなかった。日本に帰国したかったが、クアランコク検察庁から事件の関係者という理由で出国を許されなかった。
健次が、今までの事情を説明した。
「実を言うと、急いで別の病院に移ったんだ。主治医の野村院長が、あの石田英明という男とグルだったことが分かったんだ。クアランコクで石田が死んだニュースを聞いて、極秘だった親父さんの病状を逐一あの男に知らせていたことを告白したんだ。罪の意識にさいなまれたらしい。あの男が、会社乗っ取りを企んでいたことも知らされた。院長は明智物産傘下にある銀行から融資を得るため石田の助けを借りたんだ。その見返りとしてやっていたことだったんだ。薬を飲んだ次の日に親父さんの容態が急激に改善したから、そんな信用のおけない奴に診てもらうわけにはいかないと、俺の知っている癌専門の医者のいる病院に移ったんだ。もちろん、野村院長には転院先は告げずにな。とにかく、親父さんの身の回りの奴ていうのが、信用のおけない連中ばかりで。病院にいる間は、誰とも接触しないようにしていたんだ。外との交信も遮断してな。そのおかげで、お前に心配かけてしまったな」
清太郎は、
「もう信じられるのは、由美子、おまえだけだ。それに命を救ってくれた健次くんだ」
と落胆した表情で言った。
「お父さん、気を落とさないで。その通り、私たちがついている。これからどんなことでも頑張っていけるわ。そうだ、せっかくだから三人で食事に行きましょう」
もうお昼だ。由美子は、久ぶりにお腹が空いていた。
「いや、それが、由美子。わしは、今から行かなければいけないところがある。そもそもそのことがあってクアランコクに来たんだ。クアランコク検察庁に呼ばれてな。今回の件の取り調べを受けることになったんだ」
「そう、そうなのね。そういうことになるはずよね」
由美子は、驚かなかった。そして、これからの父のことを覚悟していた。
検察庁までは、黒塗りの車で運ばれた。まるで護送車で運ばれるような気分だ。由美子と健次は、娘とその友人ということで同行を許された。
クアランコク検察庁に着き、由美子と清太郎と健次は検察官に引き連れられ、建物の中へ入った。
廊下を渡り、取り調べ室に向かう。取り調べ室に着くと、案内役の検察官が、由美子と健次を見て言った。
「ミスター・アケチのみが取り調べ室に入ることになります。長引くかもしれませんが、お二方は、隣の応接室でお待ちください」
由美子は、検察官に分かったとうなずくと、父、清太郎のほうを見て言った。