森の命
由美子は、がっかりだった。飛行機で八時間もの間、想いを巡らせながら、健次との再会を楽しみにしていたのだが、それが、こんな短い間のものになってしまうとは考えも及ばなかった。
「由美子、俺との再会を喜ぶのもいいが、まずはおまえの親父に会うべきじゃないのか」
「何よ。私も、スワレシアに行く。健次と一緒にいたいわ」
「よせよ。遊びじゃないんだ。おまえが来ると足手まといになるだけだ」
「足手まといですって、愛する人に向かって何よ!」
由美子は、かっとなった。
「俺の仕事の邪魔をするんなら、もう愛してなんかやらないぞ」
健次は、笑いながら言った。
「まあ、ふん、失礼するわ」
由美子は、実験室を出て、エレベーターに乗って下り、受け付けに向かった。
受け付けの中年女性に言った。
「すいません。タクシー、一台呼んでください」
タクシーは、五分後に研究所に来た。運転手は、由美子のスーツケースをトランクに入れた。
由美子は、タクシーの席に座ると言った。
「世田谷の成城に行って」
それから、約一時間後、タクシーは成城の明智邸に着いた。
大きな門を入ると、白亜の豪邸が佇む姿が見えた。
由美子はタクシーを下り、玄関のインターホンを鳴らした。ドアが開き、年老いた家政婦が現れた。
「お嬢様!」
家政婦にとっては五年ぶりの再会だった。
「お久しぶりね。ばあや」
由美子は、そう言うと、さっと、ばあやに抱きついた。
「旦那様、お嬢様がお帰りになりました」
家政婦は、大声を上げ、居間のほうへ向かった。由美子もそれについていった。
由美子は、家政婦と共に居間に入った。二人の男が、ソファに座っていた。
「ただいま、お父さん」
父の明智清太郎とは、一年ぶりの再会だ。一年前、清太郎は、ハワイに由美子を訪ねてきたことがある。由美子は、ソファに座ったままの清太郎に抱きついた。
「お帰り、由美子。やっと日本に帰ってきたな。このお転婆娘が!」
清太郎は、笑みを浮かべながら、嬉しそうな声を上げた。由美子もうれしかった。五年ぶりの我が家で、愛する父と再会できたのだ。
「由美子さん、お久しぶりです。ずっとお待ちしてました」
はっと、由美子はソファから立ち上がるもう一人の男をにらんだ。
それは、石田英明だった。清太郎の会社で働くエリートビジネスマンだ。彼は、一年前、清太郎がハワイに来たとき一緒に来た。何でもハーバード大学出の頭のきれる男だそうだが、由美子はこの男がどうも苦手である。
背が高く体格はスマートなうえ、頭のよさそうな顔をしている。だが、人間味に欠けるような気がしてならないのだ。父に紹介されて知り合った後、彼一人で一度仕事の出張ついでにと、ハワイの由美子を訪ねてきたことがあった。半年前のことである。
いくら仕事で来たからといっても、英明は、暑いハワイでも、常に背広とネクタイ姿だった。ビジネスで会うわけでもないのにアロハシャツなど絶対着なかった。
それに、話となると堅苦しい会社や仕事のことばかりだった。ハワイに来る普通の観光客と違い、ビーチで遊んだりすることは全くなく、また、そんなことをくだらないことと毛嫌いしているようでもあった。
「あら、お久しぶり」
由美子は、そっけなく言った。まったく、なぜこんな時にこの男が! 邪魔である、と思った。しばらくして、由美子と清太郎、そして、英明の三人で夕食が始まった。
由美子は、清太郎の方ばかりに話しかけた。父と娘の団欒を楽しみたかったのだ。英明は、そんな由美子を特別気にすることもなく黙々と食物を口に運んでいた。
夕食が終わり、三人で、居間に戻った。
清太郎が、話を切り出した。
「由美子、今日は大事な話がある」
「あら何? お父さん、かしこまって」
夕食時の微笑ましい表情の清太郎とはうって変わり、今は真面目な顔を由美子に向けている。
「もう、大学を出て、おまえも立派な社会人となる。これから、どうするつもりなんだ」
「お父さん、それなら、わたし、考えてることがあるの」
「何なんだ?」
「ハワイの大学に残って、環境学の研究を続けたいの。環境保護の活動の手助けをしたいし・・」
英明が、口を挟むように言った。
「また、ハワイに戻るんですか、お嬢様のような方が遊んでばかりとは感心しませんね」「あなたには、関係ないわ!」
由美子は、かっとなって英明に怒鳴った。
「由美子、英明くんの言う通りだ。もう、お遊びは終わりなんだぞ!」
清太郎も、さらに怒鳴って言う。由実子は、清太郎の突然の怒鳴り声にびっくりした。
「お父さん、私、お遊びをしていたわけじゃないわ。環境学っていうれっきとした勉強をしていたのよ」
由美子は、父親までもが自分がハワイで遊んでばかりいたと思っていたことにショックを受けた。
「まあ、由美子、聞け。おまえが、ハワイでしていたことにあれこれ文句を言うつもりはない。立派に大学を卒業したのだから、それはもう結構だ。だが、お父さんはな、おまえにきちんと足の着いたことをして欲しいと願っている」
「何をして欲しいというの?」
「おまえに、わしの会社を継いで欲しいんだ。そのためには、まず、明智物産に入社だ。最初は、一社員として会社のことをみっちり覚えてもらう」
由美子は、さらにがくっとショックを覚えた。
「お父さん、わたしがハワイに留学するとき、自分の好きなように生きていけばいいといったじゃないの。わたしは、お父さんの会社のことなんて興味はない。私は、・・」
「黙らんか!」
清太郎が大声を上げた。由美子は、びくっとした。今まで知っている父とは思えない素振りだ。
「もう、おまえも子供じゃない。自分のすべきことぐらいわきまえてるはずだ。おまえには、明日から、会社に入ってもらう。おまえはわしのたった一人の後継ぎだ。それなりの義務がある」
由美子は、黙ることにした。父は、とても頑固な性分だ。話しをし出すと、最後まで話し続けないと気が済まない。こういうときは、黙って聞き流すしかないのだ。
「そのためにだ、由美子。おまえをきちんと仕込んでくれる者がいないといけない。その男の指導の元で、立派な後継者となり、この明智家を次の世代へとつなげていくのだ」
次の世代へとつなげていく、由美子はその言葉に怪しい響きを感じた。
「この男こそ、英明くんだ。おまえは明日から、英明くんの元で働き、いずれは二人で次の世代の明智家を築き上げるんだ」
由美子は、ソファーから立ち上がった。頭には血が登っていた。
「お父さん、冗談はよして。私に英明さんと結婚しろと言ってるの」
「その通りだ。英明くんにもこの家に養子に入ってもらうことを承知している」
清太郎の表情、口調は、まさに正気そのものだった。
由美子は、英明をにらんだ。英明は、そのにらみをあざ笑ってはね返すかのように、にっこりと微笑んだ。
「突然のことで、驚かれるのは無理ないと思います、由美子さん。しかし、これは会社のため、私とあなたのためにも、とてもいい話だと思いますよ」
英明は淡々と語った。
「いやよ。お父さんの会社なんて、興味ない。それに、この人なんて大っ嫌い!」
由美子は、ヒステリックに叫んだ。