森の命
健次は、それがいきさつだと、必死で弁明した。今は、皆に余計な心配をかけたくなかった。自分が、襲われ殺されかけたなどと聞けば不安がるに違いない。そんなことよりも大事なことが、あるのだ。急いで、この草の成分を分析して新薬としての有効性を証明しなければならない。コブラの毒の解毒以外にも、様々な可能性が秘められているこの草を。
健次と由美子は、ミィーティングが終わった後、夕食を食べに外へ出ることにした。今夜は、二人でクアランコクにある有名な郷土料理の店に行くことにした。
ホテルのミィーティングルームを出て、廊下を歩いていたところで、背広にネクタイを身にまとった英明に出くわした。健次にとっては、ハワイでの悪酔い騒動以来の再会なので、気まずく目を合わせないようにした。二人は話すこともないと挨拶もせず通り過ぎようとした。
「今晩は。由美子さん、健次くん、お二人でお出かけですか」
英明の方から話しかけてきた。
「そうよ。何か問題でも」
と由美子は、つっけんどんに言い返した。すると、英明は、澄ました顔で健次に向かって言った。
「健次くん、勝手に僕の婚約者に手を出さないでほしい。君のようなゲスな奴は、由美子さんにはふさわしくない」
「何が婚約者ですって! 勝手な勘違いはしないで!」
由美子は、怒りをこめ叫んだ。
「由美子さん、あなた何をやってるのか知りませんが、どうあがいたって、計画通り来月にはあの森は切り倒されます。この男と一緒にいたって、事態は変わりませんよ。言ってるでしょう。僕と結婚をすれば、森の一つぐらい差し上げるって」
何て男だ! 健次の前で、こんなことを口にするなんて。由美子は、この場で英明を殴りたかった。
「健次、行きましょう。こんな人、相手にしてられないわ」
由美子は、健次の手を引っ張った。健次は、引っ張られながら英明に向かって得意気に言った。
「英明さん、残念ながら、あの森自身の力で、あの森は守れそうですよ。あなた達の悪企みなんか、おじゃんになりますからみててください」
レストランの料理は、とてもおいしかった。ここは、クラランコク一おいしい民族料理のレストランなのだ。東南アジアの料理は、主に辛いのが中心である。外の気温が暑いので、体をさらに熱くする食事をし、体感的に涼もうというわけだ。由美子と健次は、レストランの料理を口にほうばりながら会話を楽しんでいた。会話の内容は、主に二人のハワイ時代のことだった。
だが、デザートを食べる頃になって、由美子は、真剣な表情になり健次に言った。デザートは、パイナップルに似ているが強烈な臭さを放つこの地方特有の果物ドリアンである
「健次、さっき、みんなの前で、昨日から行方不明だったのは、思いつきで森に行ったからだなんて言ってたけど。そんなの嘘でしょう。一体、何があったの? わたしには正直におしえて」
健次は、どきっとした。口に運ぼうとしていたドリアンの一片を皿の上に戻した。そして、しばらく考えこんで言った。
「由美子、おまえやみんなには、心配かけたくなかったから言うつもりはなかったが、実を言うと・・・」
と今までの本当のいきさつを、二日前の夜、ホテルの部屋で起こったことから、ありのままを話した。
「そんな、いったい、誰が?」
と由美子は、驚きのあまり唇を震わせ言った。
「わからない。だが、あの森にまつわることには、やたらとキナ臭い匂いが漂っている。誰かが俺を消してでも、何かを成し遂げようとしている。そんなとんでもない陰謀が渦巻いているような、そんな匂いがしてくるんだ」
安藤は、皮肉にもそんなことを言いながら鼻をつくドリアンの匂いが気になってしかたなかった。ドリアンは食べるとおいしいのだが、匂いは排泄物のようで最悪だ。
由美子の方は、健次の身に起った話しを聞いて驚き、匂いなど気にならなかった。気になるのは、どうしてそんなことが健次に起こったかだ。
「それって、ダム建設のこと? じゃあ、お父さんの会社が?」
「わかんないさ、勝手に決め付けるのはよそう。とりあえず、今は、せっかく見付けた、あの草を徹底研究することに賭けるんだ。今はそれだけに賭けてみればいい。明日は多忙しになるぞ。もう一度、森に行き、ゲンパに会って、もっと草のサンプルを採ってくるんだ。また、あの草だけじゃなく、他にもいい植物を知っているかもしれない。そして、サンプルを研究所に持っていき、そこで・」
「やめて、健次。明日は、わたしとずっと一緒にいて。森の探索や草の研究のことは、堀田さんや他の人達に任せてもらえないかしら。私達、もう一ヵ月以上もゆっくりできる日がなかったわ。あなたは仕事ばかりで、それに危険な目に遭ったりして。だから、明日は二人で一日中過ごしたいの。わたしのお願いってわがままかしら」
由美子の必死にせがむ言葉を聞きながら、健次は、由美子の目を見つめ、そっと微笑んで言った。
「ああ、分かったよ。ゆっくりしよう」
次の日、二人は、朝十時に同じベッドで目を覚ました。健次はぐっすり眠られた。由美子のスイートルームのベッドはとても心地良かった。
ルームサービスに朝食を部屋まで運んで来てもらった。そして、食べながらベッドの上で会話を楽しんだ。ゆっくりと二人だけのひと時を楽しんだ後、外出してクラランコクの町を一日中回ることにした。
森の探索と植物の成分分析に関しては、その日一日だけは堀田と他の隊員達に任すことにした。皆、健次には休息が必要だと理解してくれた。
まず、すぐ近くにある観光名所の一つ、スワレシア国立博物館へ行った。その近代的な建物の中には、スワレシアの伝統民具や工芸品美術品などが展示されていた。どれも見る者の目を楽しませるすばらしい品々であった。
クラランコクの近代的な中心街の町並みは、とても美しい。ホテルの周りは、幅が広く舗装された道、熱帯地方らしくやしの木が両側に立ち並ぶ。車やオートバイが大忙しで走っている。
高層ビルもにょきにょきと立つ、その中でもツインの世界一高いビル、クアランコクタワーは、一際目立ち、発展するスワレシアを象徴し威厳がある。
マラティール大統領の経済発展第一主義は、次々と町の様相を変化させている。だが、一方で少し中心街を外れると、そこにはスラムがありトタン屋根でできたバラック小屋が並ぶ。
道を歩く人々は、ボロボロの服をまとい、小さな子供でさえ道端で物乞いをしている。これが、世界の発展途上の国々の実態なのだ。
先進国と発展途上国の経済格差は、環境問題を考える上において最も重要な課題だ。
由美子は、大統領と会ったときのことを思い出した。貧しい状況を少しでも改善したいというのが、指導者の本音なのだ。自然保護などというのは、余裕のある先進国の人々ができること。自然を破壊しなければ、まともな生活を維持できない貧しい人々には、そんなものは戯言としか聞こえない。
そもそも、同じ地球という星に人々は住みながら、なぜこんなにまでも貧富の差が大きいのだろう。先進国では、食物があり余り、肥満で悩む人々が大勢いる。一方、発展途上国では、栄養失調で幼い子供達が毎日と餓死している。