森の命
シャワーを浴びたら由美子の部屋へ行こうと思った。今夜は二人で過ごすと約束したのだ。全くこんなに疲れている時に恋人のお務めをさせられるとはつらいものだが、考えてみれば、彼女の部屋はスイートルームだ。休むなら由美子と一緒にあの広い部屋で休むのが最適である。
部屋の電気をつけた。
目の前に三人の見知らぬ男達がいる。
「何だ、貴様ら!」
健次は、大声を上げた。二人の男が健次の両腕を両側からぐっとつかむ。健次は力一杯抵抗した。両足を上げ、目の前のもう一人の男の腹を蹴った。男は床に倒される。
即座、両側の男たちは、健次の両足を右と左からぐっと踏み、健次は立ったまま身動きできない状態にされた。
腹を蹴られた男は、さっと床から起き上がり右手に拳を作ると、健次の頬を力一杯殴った。
ばしっと、顔全体に衝撃が走った。すぐにもう一発が入った。その痛みを実感する間もなく、今度は腹に男の拳が入る。何度も強い衝撃が腹を攻める。内臓が破裂しそうな痛みだ。
だんだん意識がもうろうとしてきた。目の前の男の顔がぼやけて見える。健次は何も考えられなくなり目を閉じた。
二人の男は健次の意識がなくなったのを確認すると、手を放し床へ落とした。
ガタっと、この部屋のバスルームのドアが開いた。一人の背広姿の男が現われた。
「終わったか!」
と英明が三人の男達に言った。
男達は、揃って頷いた。
「じゃあ、さっそく後の処理を頼む。この男、とてもあの森が気に入ってるんだ。あの森の中で死ねたら本望だろう。連れていってやれ」
気を失い床にひれ伏した健次を見下ろし、英明は勝ち誇った微笑みを浮かべた。
健次は目を覚ました。自分が寝そべっていることに気が付いた。その場所は、かなり寝心地が悪い。じめじめとした地面の上だ。
辺りは暗いのだが、空に大きな満月が出ているのが見えた。満月の明かりが、わずかながら、ぼんやりと辺りの姿を照らしている。自分が調査で歩き回っていたあの森の中にいることが分かった。なぜこんなところにいるのだ?
遠くから人の声と馬の足音が、小さいながらも聞こえる。声と音は、どんどん遠ざかっている。はっきり聞こえないのだが、日本語ではないようだ。スワレシア語で話す何人かの男の声のようだ。
健次は思い出した。ホテルの部屋に入って、見知らぬ男達に囲まれ、顔や腹を殴られ気を失った。それからあとは半分夢を見ていたような心地だったが、自分が車で運ばれていたような覚えがある。
そして、その次は、何か動物の背の上だった。かなりぐらぐらと揺れていた。
それから、地面に意識がはっきりしないまま、叩き落とされたのだ。その落とされた瞬間、はっきりと意識が戻り目が覚めたのだ。
一体、何だって自分がこんな目に遭わなければならないのか、健次には、皆目見当がつかなかった。
どうして、奴らは、自分をこんなところへ連れてきたのか?
何はともあれ起き上がろう。こんなところでじっとしてはいられない。
突如、ジーっと、ラジオの雑音のような音が聞こえた。何だろうと思って目を凝らすと、ほとんど真っ暗だが、月の明かりでうっすらとそのものの形が見えた。そのものに見覚えがあったため、何なのかはすぐに分かった。
昨日の探索でも、何度か出くわしている。熱帯ジャングルでは絶対に気をつけなければならない生物、毒蛇コブラだ。それもかなり体長が大きい。綱のような太く長い胴体をキュッと立て、ぎらりと自分をにらみつけてる。
ジー、ジー、と身を凍らせる不気味な声を何度も立てる。舌を鳴らして周りの匂いを感じとっているのだ。健次は不利な体勢にあった。起き上がって逃げようとすれは、相手は自分が攻撃を仕掛けたと思い、防御のため噛み付くだろう。
ただ、じっとしておくしかない。少しでも動けば噛み付かれる、猛毒のしみ込んだ鋭い歯が襲ってくるのだ。
健次の体は蒸し焼きにされたように熱くなった。夜でも炎天下と変わらないジャングルの暑さに加え、目の前に迫る恐怖が体温を上げている。
だが、その熱い体も一気に凍った。
コブラは、さっと胴体を延ばし健次の腕に噛み付いた。
腕に凄まじい痛みを感じた。そして、体全体が急激に痺れてきた。意識を再び失う。
由美子は、目を覚ますと、服を着たままベッドの上で寝そべっていた自分に気付いた。もう朝だ。窓からまぶしい朝陽が入り込んでいた。
時計を見ると午前六時だった。しまった、と思った。この時間にロビーでみんなと待ち会わせる予定だったのだ。
とにかく、起き上がった。急いでバスルームに駆け込んだ。服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
五分ほどして、シャワーを止めると、タオルで体をさっと拭きバスルームを出た。
新しい服に着替えながら、昨夜のことを思い出していた。昨夜は、夕食の後、部屋に戻って、ずっと健次を待っていたのだ。
だが、待てども、なかなか彼は現れなかった。気が付くとベッドの上で自分は寝込んでしまっていた。
どうしたのだろう。忘れてしまったのか?もしかしたらそうかもしれない。昨夜は、皆疲れ切っていた。前日の森の探索に続き、サンプルの分析と今日の探索計画の打ち合わせが続き、心身ともに神経を張り詰めた状態にいた。自分だって、待ちながら寝込んでしまったほどだ。きっと健次も、ちょっと休むつもりが、朝まで寝込んでしまったのだろうと思った。
とにかく、急いで、ロビーに行くことにした。みんなが待っている。そこに健次も来ているはずだ。
服を着終わると、由美子は走ってスイートルームを出た。
エレベーターに乗りロビー階のボタンを押した。エレベーターは、どんどん下に下がっていく。
由美子は、心配になった。腕時計を見ると、約束の時間より十五分も遅れている。健次は、時間にうるさい男だ。もしかしして、自分を置いて隊員達とさっさと出かけていったのかもしれない。
エレベーターがロビー階に着くと、さっと降り走った。
見覚えのある仲間たちが立っているのが見える。
「おはよう。みんな、ごめんなさい。遅れてしまって」
由美子は、苦笑いをしながら、みんなに声をかけた。
「あ、おはよう、由美子さん。あれ、健次は、一緒じゃないのかな?」
堀田が顔をしかめて言った。
「え、彼、まだ来てないの?」
見ると、皆来ているのに、健次は、ここにいない。
「由美子さんとずっと一緒だと思ってたんだがな?」
「え? 昨日の夜、わたし、ずっと待ってたけど、彼来なかったのよ。堀田さん、健次と同じ部屋だったんでしょ?」
「ええ、でも、健次は、僕が部屋に戻ったときにはいなくて、てっきり、由美子さんの部屋に行ったのかと・・」
皆、騒然となった。大事なグループのリーダーが行方不明となったのだ。
健次は目を覚ました。顔に水滴がぽとっと落ちたのを感じた。
は、ここはどこだ? 自分は体を横たわらしている。体の下には、草や葉で作られた敷き布団のようなものがあるのを感じる。目を開き真上に見えるものは空ではない。木の枝と葉で作られた天井のようだ。ここは、人間の作った小屋の中のようだ。作りはかなり原始的だ。辺りは暗くない。もう夜中ではなく、昼になっているようだ。