森の命
由美子は、「はい」と答えた。
すると、マラティール氏は言った。。
「でも、断られたのでしょう。このビルの建設同様、ダム建設計画を逃すと、お父様の会社にとって大変な損失を被ることとなりますからね。だったら、建設を中止する理由なんてないということになりますよね?」
由美子は、ソファーから立ち上がり、力を振り絞り口を開いた。
「しかし、大統領、ダムが建設されれば、周辺の住民の方たちの生活はどうなるんですか。みんな、もと住んでいた土地を出ていかなければなりません。建設予定地の森には、ペタンという原住民の方たちが生活しています。森の自然と共存しながら根を下ろしている方たちです。その人たちも出ていかなければなりません。それに、森を切り開いて建てるのですから、地球の貴重な財産である熱帯雨林を破壊することになって、地球環境全体にも悪影響を及ぼすんじゃありませんか?」
由美子は、話しながら息が切れそうだった。
「は、はあ、驚きましたな。明智物産のような大企業の社長のお嬢様が、こんな理想主義を唱えるとは、時々、アメリカやヨーロッパの環境保護団体の方たちが私の官邸を訪ねて同じようなことを言ってきます。まるで正義の使者にでもなったかのように。しかしですね、彼らは私たちの国スワレシアの辿ってきた歴史を何一つ知らない。それなのに、勝手な理想主義を押しつけてくる」
マラティール氏は、由美子をにらみつけながら話しを続けた。
「私たちの国スワレシアは、長い間、イギリスの植民地でした。第二次世界大戦になると、あなた達日本がこの地に攻めてきて、占領しました。戦争が終わってイギリスの植民地にまた戻り、その後、人々の運動の末、やっとのことで独立を手にしました。ですが、農業や漁業が主要な産業となっている我が国は貧しく弱く、またいつ植民地主義の脅威にさらされるのでと怯え続けなければなりませんでした。真の独立はまだまだ先でした。そんな時、私はこの国の指導者となる決意をしたのです。念願が叶い、大統領になったときに経済発展第一の目標をかかげることにしました。工業化を促進させ経済を発展させ、先進国並みの経済力を獲得できれば、国家としての主権が侵されることはありません。日本が、高度成長を成し遂げていた三十年程前、私は貿易の仕事をするため日本に住んでいました。日本の経済発展を目の当たりにして、これこそはと思ったのです。私たちの国も、いずれは日本のような経済大国になる日が来る、必ず来させてみせると! それのどこがいけないというのですか!」
マラティール氏の口調は、どんどん高鳴っていた。そして、
「熱帯雨林を切り開くのは罪深いことですと? そもそも、この国の熱帯雨林消失のほとんどは植民地時代に起こったことなのですよ。イギリスの人が、家具や薪にする木材を取りたいとか、ゴム農園を開くためにとかで、むやみやたらと木を切っていったことから始まったんですよ。熱帯雨林の伐採を含めて地球の環境破壊のほとんどは先進国が起こしてきたことじゃないですか! 私たちに責任はない。先進国のあなた方がまず解決すべきことなのです。あなた方に私たちを責める資格があるとお思いですか?」
大統領の言葉には説得力があった。そして、由美子は言った。
「おっしゃる通りです。私たちに責める権利はありません。何よりも、私が分かっていることです。今まで、父の会社のおかげで便利で贅沢な生活ができました。私の豊かな生活は、父の会社が経済発展の名の元に行ってきた環境破壊を土台にして成り立ってきたものだったのです。そんなわたしに何も責める権利はありません。恥ずかしながら、そんな当り前のことを今になって分かってしまいました。しかし、この国の人々はどうなるんです。たしかに豊かになっていく人々もいますが、同時に環境が破壊され、健康がおかされ、住むところを追われたりする人々はどうなるのですか? あなたの大事にする同じスワレシアの方たちではないのですか。大統領は、この国を先進国並みの民主主義で国民の人権を尊重する国家にしていくという信念をお持ちだとお聞きしましたが?」
マラティール氏は、言った。
「日本にいたときあなたのお父様からある言葉を教わりました。《大の虫を生かすためなら、小の虫を殺せ》とですね。国全体の発展のために、否応ない犠牲はつきものです。日本も同じようにして発展なさったんじゃありませんか。国が発展を遂げれば、いずれ皆、幸福になります」
「しかし、大統領、日本では国が発展していく中、数々の公害問題が起こり、犠牲になった多くの人々は一生癒えることのない身体的、また精神的な傷を負う結果となりました。それは歴史的事実です」
しばらく、沈黙が続いた。
そして、沈黙を破るようにマラティール氏は、言った。
「残念ながら、これ以上話す時間はありませんな。これから、大事な閣僚会議があります!」
マラティール氏は、応接室を速歩きで出ていった。由美子は、黙って大統領の後ろ姿を見つめた。無礼なことをしてしまったと思った。
しばらくして、由美子も応接室を出た。大統領が警備員に囲まれエレベーターで1階に降りたのが確認された後、他のエレベーターが起動した。さっそく扉の開いたエレベーターに乗り込み、1階へと降りることにした。
エレベーターは、一階に着いた。ドアが開かれる。
「由美子、由美子じゃない。由美子、私よ!」
どこからともなく、日本人女性の声が聞こえてきた。聞こえる方向を見ると、一人の若い女性が駆け足で近付いてくるのが見えた。
「真理子!」
由美子は、驚きの叫び声を上げた。
五年ぶりの再会だった。
二人は、ロビーのカフェテリアに座り、パイナップル・ジュースを飲んでいた。
「お互い離れ離れになって、もう五年が経ったのね。楽しかったわね、高校の時って」
真理子が、感傷に浸りながらそう言った。短髪にしていた高校時代から、真理子はパーマに髪型を変えていた。雰囲気が、ぐっと派手になった感じだ。
「でも、すごいわ、真理子。見事に夢をかなえたんだもの」
「何言ってるの。まだまだ、駆出しよ」
大塚真理子は、由美子の女子高時代の親友だった。むしろ、大親友といった方がいいかもしれない。高校時代、真理子とは同じ新聞部に所属していた。真理子は、将来の夢、ジャーナリストになる準備として、由美子は遊び半分のつもりで活動していた。
今や真理子は、見事にその夢を叶えたのである。彼女は、今、日本一の規模を誇る新聞社「大日本新聞」の国際部記者となっていた。
二人にとって、高校時代、とても思い出深い事件があった。そして、それこそが二人の正義感と友情を深めるきっかけとなったのである。
それは、二人が高校二年になった時のことだった。彼女達の女学園には、一人の知恵遅れで年老いた用務員のおじさんがいた。二人は、そのおじさんとは大変仲が良かった。知恵遅れではあったが、陽気でとても親切な人であった。由美子達は、おじさんが大好きだった。
ところが、そのおじさんが、校長室の金庫を開け、中にあった学校の金を盗んだ門で訴えられてしまったのだ。