森の命
健次が叫んだ。堀田がこん棒で肩を打たれたのだ。気を失って、床に倒れた。
「堀田さん!」
由美子が叫んだ。
突然、大男の警官が、がっと由美子と健次に体当たりし、覆いかぶさった。
一時間後
由美子と健次と堀田は、警察署の一室でソファに座っていた。
堀田は、気を失っただけで怪我はなかった。三人とも市民会館の講堂にいた村人と共に逮捕連行されたが、自分達が日本人と分かると即座、釈放された。
「俺は他の奴らと一緒に留置場に入るぞ。俺も仲間だ。こんなことは許されん。市民が政府の横暴に反発して何が悪い」
と健次が、目の前の小太りな警察署長に言った。
由美子も、言った。
「そうだわ。こんなことは許されるはずないわ。みんな、ダムが建設されると生活に困るから、団結したんじゃありませんか。私たちだけでなく、みんなを釈放してください」
すると、署長は言った。
「あなたたち、日本の人には関係ないことです。これはスワレシアの法律に基づいてやったことなのです。政府は、国家の安全を乱す行為があれば、それを未然に防ぐ義務があります。今度のことも、通産大臣からの命令によってなされたものです」
「通産大臣がですか?」
「そうです。明日はクアランコクタワービルのオープニング・セレモニーがあります。大統領が出席されるなか、奴らが乱闘してきては、たまりませんからな。そのうえ、産業発展のために大事なダム建設の妨害をしようとしています。これは立派な国家安全破壊防止法違反です」
警察署長は、由美子たちをにらみながら熱弁を放った。
「でも、村の人は自分たちの生活を守る権利があります。ダム建設こそ、村人の生活を脅かす破壊行為では?」
由美子も、負けずに熱をあげて言い返した。
「悪いですけど、お嬢さん。私とは、そのような議論はしないでほしい。するのなら大臣や官僚たちとしてください。私は命令に従っただけですからね。とにかく、あなたたちにはここを出ていってもらいます。日本に帰るなり自由にしてください。こっちはあなたたちの世話などしている暇はないのです。あまり世話をやかすと強制退去命令を出して日本に無理にでも帰させますよ」
さっと、周りを取り囲むように三人の警官が来た。由美子たちは、それぞれ腕を引っ張られ警察署の外へ出された。
「ちくしょう! 何しやがるんだ。俺は留置場に残ると言ってるんだ」
健次が、玄関に向かって叫び声を上げた。
「おい、健次、さっさと帰ろうぜ。俺たちにできることなんてなんにもないんだ」
と堀田が言った。
「何言ってんだ! 何かすべきだ。それが正義というもんだ」
その時、すっと目の前に黒いリムジンが停まった。
一人の男が、後部のドアを開けて出てきた。
「由美子さん、ご無事でなによりです。迎えに参りました」
英明だ。そっけない口調だ。
「わたし、帰らないわ」
由美子は、英明をにらんで言った。
「いいえ、どうしても帰ってもらいます。明日は大事なクアランコクタワービルのオープニングセレモニーがあるのですから。あなたはお父さまの代理として出席する義務があります」
由美子は、英明の言葉にはっとした。クアランコクタワービルのオープニング・セレモニー!
由美子は、自分からさっとリムジンに乗りこんだ。英明が、後に続いてリムジンに入ろうとする。
「待って、健次と堀田さんも一緒に入れて、同じホテルに泊まってるんだから」
と相変わらず英明に睨みをきかせ由美子は言った。
クアランコクタワービルのオープニング・セレモニーは、一階の広い玄関ロビーホールで、早朝に開かれた。
ロビーホールは、つやつやとした大理石で壁とフロアが、かためられ、ゆったりと広く天井は空を見上げるように高い。フロアには椅子が数多く並べられ、世界各国からの来賓、マスコミの記者などが正装をまとって席に着き華やかな雰囲気を呈していた。
セレモニーの主催者は、スワレシア大統領マラティール・モハメド氏と同国通産大臣ライ・グーシング氏である。この超高層ビルの所有者であるスワレシア政府の代表だ。
由美子と英明は、このビルの建設を担当した明智物産の代表として出席した。
セレモニーは、まず最初にマラティール大統領のスピーチから始まった。
「この式典に出席なされた皆様に深い感謝の意を述べたいと思います。スワレシアも、数々の難を乗り越え、今このビルの完成に象徴されますよう、大きな発展を遂げようとしています。これも、ひとえに皆様の御尽力があってのことと考えています。我々スワレシア国家がさらなる進歩を遂げ、世界の平和と発展に貢献することをお約束します。また、・・」
マラティール氏の年齢は五十九歳だ。スワレシア人特有の浅黒い肌に皺の刻まれた顔が独自の貫禄をかもし出している。だが、演壇の上で背筋をピンとのばして立つ堂々とした姿は五十九歳とは思えない若々しさを感じさせる。スピーチの英語も流暢で、熱弁のある話し方も一国の指導者らしい。
マラティール氏は、十年前から大統領の座に着き、現在二期目を務める。来月には三期目続投のための大統領選を控えているが、国民から絶大な人気を誇っているため、続投は確実視されている。マラティール氏の政策信念は、この発展途上のスワレシアを経済大国のみならず、民主主義を基に政治や文化でも他国に引けを取らない世界に通じる真の先進国に変えていくというものだ。
マラティール氏には、二つの評判がある。一つは、国家第一主義で政策の施行が強引で独裁者的であるということ。
だが、もう一つの評判は、それらの政策の遂行は、国民の生活を豊かにしていくために行っていることであり、大統領は国民の幸せを考える人物で、国民に信頼されるべき素晴しい指導者であるというものだ。いずれにせよ、議会からも国民からも大統領への支持は絶大である。
大統領のスピーチは約三十分間続いた。次に明智物産代表として由美子の側に座っていた副社長石田英明が司会の紹介を受けながら立ち上がった。誇らし気な笑みを浮かべ演壇に上がった。
「只今御紹介に預かりましたイシダ・ヒデアキです。ここでスピーチをできる機会をいただけましたことを大変な栄誉と考えます。御存知の通り、このクアランコク・タワーの建設は私共、明智物産にとっても史上稀に見る大型プロジェクトでした。世界一の超高層ビルを・・」
さすがはハーバード大学出のエリートビジネスマンだ。まろやかにアメリカ英語を話す。
由美子は苛々していた。英明が由美子の心理を見抜いていたためだろうか、スピーチをする機会を与えられなかった。
十分程のスピーチを済ますと、英明は無表情に演壇を下りた。
セレモニーの後、大統領と通産大臣はSPに囲まれたまま、エレベーターに乗り上がっていった。最上階の九十九階だ。電光表示の数字が上がっていき「99」を示した。大統領などの要人警護のため、セレモニーの間は、三十基以上もあるビル内のエレベーターは一基しか使えないようになっていた。
二分ほどして九十九階からエレベーターが戻ってくると由美子と英明が乗ることになった。明智物産のクアランコク支社オフィスのある階へ向かうのだ。
エレベーターで由美子が言った。