19のあの頃
僕は危うく死にかけた男の子を見ると名前を聞いた。
「坊や、名前は?」
「大坪 ゆうた 6歳」元気よく答える。かわいい男の子だ。
「6歳か・・お母さんも若いし、ずいぶん若くして産まれたんですね」僕は母親に聞いた。
「はい二十歳で産んだものだから、大騒ぎでした。ふふっ。できちゃった婚なんです」
ちょっと照れたような母親は、それでも産んだことに誇りがあるのだろう、自信に満ちていた。
「そうなんだ・・両親は反対しただろう?」
「母は絶対産みなさいと言ってくれました」
「へぇーそうなんだ。やっぱり僕らの頃とは時代が違うなぁ~。僕らの頃は出来ちゃった婚なんか
とても、とても・・・」
「旦那の方の両親には猛反対されたんですけどね」思い出したように笑う彼女ははにかんでいた。
「うちの母も若い頃、私をひとりで産んだからじゃないですか・・とにかく母は強かった」
「いいお母さんなんだね。尊敬するよ」
「私も尊敬してます」
ほんとにいい子だと思った。芯のある強い気持ちと、柔らかな物腰。いい母親だと感心した。
「あの~名前お聞きしてなかったんですけど・・すいません」また頭を下げてくる。
「あ~僕は中山純一って言うんだ。ありふれた名前さ。君は?」
「はい。大坪菜摘といいます」
「菜摘ちゃんか、いい名前だ。また、こっちに来た時は寄ってみるよ、その坊主の顔を見に」
「中山さんはどちらにお住みなんですか?」
「あ~隣町の光陽台高校の近くに住んでいる。実は先生をしてるんだ。美術の教師。似合わないだろ?」
「いいえ、そんなことないです。美術の先生が写真ですか・・」
「もう絵を描くことが面倒臭くてね。生徒には内緒だけれど・・・」
彼女は手を口にあてて笑ってはいけないかのように笑った。
「でも、そのアジサイの絵は素晴らしい。僕だったら満点をあげるな」
「母も喜ぶと思います」まだ笑っていた。
僕は借り物のジャージ姿でサンダルを貸してもらい、
水洗いをしてもらった汚れた自分の服を受け取ると、その大きな田舎の家を後にした。
夕方の風が田んぼの水面を吹きぬけていき、緑の苗がいっせいに揺れた。
車に戻り、西日が正面から射す道路を運転して帰った。
なんだか気分がよかった。人助けをしたこともあるのだろうけど
大坪菜摘という、いい女性に巡り合えたからかもしれない。すんなり心の中に収まる感じがした。
「あっ、しまった。住所を聞くのを忘れた。まぁいいか、また行けばいいし・・」
もう一度会える口実が出来たことがうれしかった。
僕は誰もいない一人の部屋に、汚れたズボンと服と靴を持って帰ってきた。