19のあの頃
大きな木作りの田舎の家だった。
玄関から広い車を止める前庭を通り歩き、勝手口の方に水道の蛇口があった。
初夏にしては水は冷たく、ズボンについた泥を洗い流した。
靴の中は泥だらけで洗うと、水草や小さなわらのようなゴミが出てきた。
靴下は白が汚い灰色に変色していた。
若い母親は申し訳なさそうに、僕が洗うのを見ている。
なんだか自分の母親に心配そうに見られてるようだった。
洗い終えるとお風呂場でシャワーを使って下さいと言われ、少々遠慮もあったが
寒いので温かいお湯を浴びさせてもらうことにした。
熱いシャワーが気持ちよかった。今になってクリークの水の冷たさが思い出された。
「ここに着替えを置いておきますね。主人のですけど」彼女はまた申し訳なさそうに言った。
シャワーを浴びて出ると上下のジャージが用意されていた。
さすがに下着はなかった。僕は下着を履かずそのままジャージを着た。
若い女性がいる他人の家。そして他人の服。なんだか不倫をしているような気分だ。
僕はまた一人で笑ってしまった。
「どうかなされたんですか?」心配そうに気を使ってくれる彼女。
「いえ、ただ30分前までこんなことになるとは思ってなかったんで・・」
「本当にありがとうございました」
「いえ、いえ、誰だってしますよ、あれくらい」
客室は広かった。田舎の客室は無駄に広い。壁には絵が飾ってあった。
和室に合わせた額縁に花の絵。素晴らしくうまかった。
絵がうまい下手という基準はいろいろあるが、いい絵は対峙した時に何かを語りかける力を持っている。
描かれているのはどこにでもあるアジサイだった。
水彩絵の具で描かれたその絵は、雨の水分を含んだ花びらをしっとり伝わるように描かれてあった。
アジサイの微妙な色の変化、グラデーションが見事に花びらの中で輝いていた。
「お聞きしますが、あの絵はあなたが描かれたのですか?」
「いいえ、私の母です。絵が大好きなんです」若い母親は言った。
「そうですか・・いい絵ですね」
「お描きになられるんですか?」
「いえ、昔は描いてましたが、今はもっぱら写真です。手っ取り早くて性に合っているみたいなので」
「そうなんですか。私芸術はよくわからないけど母は絵を描くことは恋愛と同じだって言うんですよ」
若い母親は楽しそうに笑う。
よかった・・・事故にでもなっていればこんな顔も見ることがなかったんだろうな~と僕は思った。
いいことをしたようで僕まで気分がよくなった。
「どうしましょうか、あのズボンや服は」また申し訳なさそうに聞いてくる。
「お時間大丈夫ですか」
「いえ、このまま帰ります。後からこの服だけこちらに送ることにしましょうか?」僕は言った。
「そんな、ご迷惑でしょう」
「いえ、時間もないし、このままここにいるのもなんだか気が引けるし・・いったん帰ります」
「そうですか。すいません」
本当にこの子はよく躾をされてるのだろう。若い母親にしては言葉や態度に感謝が表れている。