19のあの頃
光陽台高校は公立の高校で進学校だ。大学の受験には美術は関係がない。
したがって、週に1時間ぐらいしか生徒達は勉強しない。僕自身わりと暇な時間があった。
美術部の顧問もやっているが、精力的に描きたいやつはいない。部員も4人だ。
ただ形だけは存続している。
放課後に美術室にいるのは恥ずかしながら先生一人という時もある。
僕は予算で仕入れた美術部専用のパソコンで、写真の整理をしていた。
先週の田んぼの風景の写真を整理していると携帯電話がなった。
「もしもし、中山先生ですか?事務室に方に聞いてお電話してるんですが・・」
「はい、そうですけど」
「この前お世話になった大坪勇太の母親です」
「あ~、あの時の・・・すいません。住所聞いてなくて借りてた服を返すのが遅れて・・」
「いいえ、そんなことはどうでもいいんです」
「いえ、いえ、遅れてしまって、すいません」
「あの~お聞きしたいんですが、先生は武蔵美大を卒業されたんですか?」
「あっ、ハイ。そうですけど。どこで知ったんですか?」
「いえ、ちょっと聞いたもので・・・あの~先生は結婚は?」
「ははは、いつのまにか歳をとっちゃって独身なんだ。大きな声で言えないけどね」
「そう・・・そうなんですか・・・」
「どうしたんだい?」
「いえ・・・今度、また遊びに来られませんか?おいしい料理作りますから」
「そう、そりゃぁ~寄ってみたいなぁ~。自分の手作りも飽きたところだから」
「今週の日曜日いかがですか?」
「え~、いいですよ。暇をもてあましてるし」
「先生が絵をほめてた母も来ますけど、よろしいですか?」
「えっ、本当?ぜひお会いしたいなぁ~。満点の賞状を作っていこうか・・ははは」
「母も会いたいそうです。私も会いたいです・・・」
「え~、なんだかうれしいな。急に家族が出来たみたいだ」
「先生、絶対来てくださいね」
「うん、わかった」
僕は携帯電話を切った。心地よい余韻の残る会話だった。日曜日が待ち遠しくなった。
電話を切った大坪菜摘は、そばにいる自分の母親に向かって言った。
「お母さんの言うとおり武蔵美大だった」菜摘の目が潤んでいる。
「結婚してないって・・・」
「・・・・」菜摘の母、さえは運命を感じた。
「中山先生は私のおとうさんになるの?」
「・・・・」頷くのがやっとのさえだった。涙が出てきた。
「おかあさん、どうするつもり、言うの?」
「・・・・向こうも会えばわかるわよ・・・私だって」
「黙って産んだこと言うの?」
「言わなきゃいけないし、そういう運命なのよ・・・」目頭を押さえるさえ。
白髪が混じり、首には皺もある。いきなり顔を見せたくないが、さえはこれも運命だと思った。
26年前のあの日が蘇ってきた。気が弱い少年の中山純一。病院の出来事。部屋を出たあの日。
中山にとって孫にあたる勇太を助けた事実を考えると、神様は変ないたずらをするものだとさえは思った。菜摘は結構しっかりしてるが私はどうなるんだろうとその日を考えると心臓の動きが早くなった。
純一とさえの赤い糸は切れていなかった。神様が少しいたずらをしてただけだった。
26年の月日にはどんな意味があったんだろう。
さえは今度の日曜日に、その意味がわかるかもしれないと思った。
「お母さん、まだ先生のこと好き?」菜摘が聞く。
「好きだから、あなたを産んだのよ・・・」さえ
勇太が二人の間にじゃれてきた。
外の田んぼを吹く風が、あけた縁側の窓を抜けてみんなの前を通り過ぎていった。
緑の匂いがかすかにした。
(完)