小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の三

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

 一体、男、女どちらとして育てたら良いのか判らなかった。が、宗佑がとりあえず女児として育てようと言い出し、それに決まった。そのときから、松弥ではなくまつと呼ばれるようになった。元々、ついていた名前は松弥であったのだ。
 此花が生んだ子どもは身体が弱かった。親が化け物と呼んだほどの子だから、到底、長生きはすまいと思われた。身体が丈夫ではないから娘として育てれば良い―という宗佑のそのひと言がその後のまつの運命を決めることになる。
 事実、生まれた直後のまつは男よりも女の方の性の特徴をより備えていた。仮半性陰陽というのは、成長する段階で分化が進み、成人したときには男か女、いずれかの性に完全になってしまうこともあるらしい。
 当時、まつを取り上げた産婆からそんな話を聞いた宗佑・おえん夫婦は、このまま、まつが女児として成長することをひたすら祈った。しかし、運命とは皮肉なものだ。
 生まれ落ちたときには女性の性的特徴を強く備えていたまつだったが、長ずるにつれ、転化して男性の特徴をより強く示すようになった。養父母の願いも空しく、十歳を過ぎた頃から、まつの身体は誰が見ても〝男の子〟そのものになっていた。
 十四歳になっても、仮半性陰陽であった頃の名残をわずかにとどめてはいるものの、それは〝女性〟と呼べるほどのものではなく、かすかに痕跡を残す程度にすぎない。やがて、成人に至れば、完全な男性体になることも十分考えられた。
 ずっと娘として育てたまつを今更、息子だと言えるはずもない。春霧楼主人夫婦の懊悩は深かった。
 すべての悲劇は、ここから始まった―。
 敬資郎は思わずにはいられない。
 まつの悲劇は、誰が悪いのでもない。誰のせいでもない。
 むろん、当人のまつに何の罪咎があろう?
 彼がただ許せないのは、まつを欲情のままに犯そうとした卑劣な男、扇屋駿太郞だけだ。
 おまつが自ら生命を絶った理由は、彼或いは彼女が男であるとか女であるとかとは関わりない。
 この男がまつに陵辱の限りを尽くし、辱めさえしなければ、まつは自害までを考えることはなかっただろう。苛酷な宿命を強いられながらも、いつも前向きに生きていたような、心優しい少女だったのだ。
 敬資郎はそのまま女将の部屋を通り過ぎ、突き当たりの座敷を目指す。
 ガラッと音も荒く襖を開く。 
 眼の前には、緋色の重ね布団に横たわり、あられもない痴態を繰り広げるひと組の男女―春霧楼の女郎と扇屋駿太郞であった。
 敬資郎がスと愛用の刀を鞘から抜いた。
 敬資郎を認めた女の悲鳴が響き渡る。  
 彼は女郎と同衾している駿太郞に刃の切っ先を突きつけた。
「ひ、ひぃ」
 駿太郞が無様に震えながら、呻く。
 すっ裸で駿太郞にしなだれかかっていた女郎は耳障りな悲鳴を上げながら、よろめくように部屋を出ていった。
「た、頼む。生命だけは助けてくれ」
 みっともなく生命乞いする男を、敬資郎は冷えたまなざしで見下ろす。
「あの女は自分で死んだんだ」
 そこで、駿太郞は嘲笑うような下卑た笑みを浮かべた。
「はっ、まさか、おまつが女じゃなかっただなんて、考えてもみなかったぜ。あいつは化け物だ。あの身体じゃア、完全な男だとも言えやしねえ」
「貴様ッ」
 敬資郎の双眸に怒りの焔が燃え上がった。
「おまつをさんざん慰みものにしておきながら、まだ申すか! これ以上、おまつを愚弄するのは許さぬ」
 敬資郎の気迫と怒りに押されたように、駿太郞が言い返す。必死で己れを奮い立たせているようではあるが、恐怖のあまり、声が裏返ってしまっている。
「俺が殺したんじゃねえ。あ、あんな化け物。誰が本気になるか。一晩中、可愛がってやったら、それで興味も熱も失せたよ」
「もう一度言ってみろ」
 敬資郎がグイと、切っ先をなおも駿太郞に押しつける。つうっと頬を剣先がすべり、薄く血が滲む。まさに、皮膚のごく浅い部分だけを傷つける―絶妙の力加減が必要な技である。
「良いか、化け物ってのは、貴様みたいな血も涙もない鬼畜のような野郎を言うんだよ。おまつは誰が何と申そうと、心根の優しい得難い女だった。それをお前がとことん追いつめ、殺したんだ」
 敬資郎の刀が振り上げられる。
「ひっ、ひい」
 駿太郞が眼を閉じたその刹那、刃が振り下ろされ、それはきれいな軌跡を描き、見事に男の髷を切り落とした。
 まさに鮮やかな、神業とでも言うべきものだ。
「二度と私の前に現れるな。今度、見かけたら、必ず貴様を殺してやる」
 敬資郎は刀をひと振りすると、鞘に収めた。
 駿太郞が眼を開けた時、既に敬資郎の姿はどこにも見当たらなかった。
「―た、助かった」
 みっともなく髷を落とされた駿太郞はざんばら髪のまま、放心したようにその場にくずおれた。
「お、女将。い、いや、春里」
 それまでしっぽりとやっていた敵娼の名を呼んだが、誰も来ない。仕方なく立ちあがろうとして、彼は〝うっ〟と腰を押さえて座り込んだ。
 あまりの恐怖に、腰が抜けてしまったのだ。
 愚かにも、彼はまだ自分が髷を失ったことを知らない。明日の朝には、皆の笑いものになるともつゆ知らず―。

 敬資郎は、あの場所にいた。
 まつと初めてめぐり逢った和泉橋のたもとだ。
 今日も、ささやかな流れはあの日と変わりなく流れている。
―幼いときから、辛いことがあると、よくここに来るんです。いつここに来ても、この川は変わりなく流れているでしょう? 当たり前のことなのかもしれないけど、何だか、ホッとして。
 橋のたもとに植わった一本だけの桜は、既にあらかたの花を散らしている。それでも、まだ僅かに幾つかの白い花が咲き残っていた。
 あの娘にはやはり、派手やかな八重桜よりも、慎ましやかな山桜の方が似合っているかもしれない。
 敬資郎は今更ながらに思う。
 次いで、志満の言葉が耳奥に甦った。
―花にも色々ございますでしょう、若さま。陽当たりの良い場所を好む花もあれば、裏腹に日陰の方が適している花もございます。
 陽向を好む花、日陰でひっそりと咲く花。
 おまつは、人知れず咲く花ではあっても、最後まで凛とした自分らしさを失わなかった。日陰の花でありながら、誰より気高い魂を持つ花であった。 
 まつは、自らの髪に挿していた簪で喉を突いて果てたのだ。検死の結果では、ほぼ即死状態だったと思われる―と、岡っ引きの徳八が語っていた。
 自分で喉を突いた後で、川に飛び込んだのだ。この川は、まつが駿太郞に連れ込まれた連れ込み宿の裏手の流れまで続いている。まつは駿太郞に幾度も犯された挙げ句、だらしなく眠りこけている男を置き去りにし、宿の裏手まで降りた。そして、そこで簪を使って喉を突き、眼前の川に飛び込んだ―。
 この場所が大好きなのだと、ここに来たら、辛いことも忘れられるのだと言ったまつ。
 彼女がそう言っていた、まさにその場所に流れ着いたのは単なる偶然とは思えない。
 その時、一陣の風が彼の傍を吹き抜けていった。
わずかに咲き残った桜がすべて突風に巻き上げられ、闇に舞い狂う。
 敬資郎は漆黒の闇に舞い踊る雪のような花びらを眼を細めて見つめた。