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敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の三

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 敬資郎は気が狂ったように、まつを探し回った。むろん、日本橋の扇屋、吉原の春霧楼にも人を遣わして、それとなく様子を探らせたが、扇屋に駿太郞は不在で、春霧楼の方には駿太郞やまつらしい者はいる形跡はなかった。
 敬資郎の焦燥は増す一方であった。駿太郞の所在が掴めないというのが、不安の最大の原因であった。扇屋の番頭は〝若旦那は生憎と大旦那さまのご名代で寄合に出ておりまして〟と言っていたが、そんなことが信じられるはずがない。
 心当たりを敬資郎自身も方々当たってみたものの、まつのゆく方は杳として知れなかった。
 そして―。
 一夜明けた今朝、事態は急転直下、稲葉邸からもさして遠くない和泉橋川で若い女の水死体が上がったという不吉な知らせが禎助によってもたらされた。
 敬資郎は、その女がまつではないことを祈ったが、心のどこかで哀しい予感が現実であろうことを察知していた。
 きれいな死に顔だった。
 敬資郎は今更ながらに、現場で検めたまつの顔を思い出す。
 苦悶の表情は見られず、自ら生命を絶ったとは思えないほど安らいだ顔をしていた。 
―まつ。
 声にはならない声で最愛の女の名を呼び、涙をひっそりと零す彼を、徳八が感情のこもらぬ瞳で見つめていたのもちゃんと知っている。
「稲葉さま、この仏になった娘の身体には―」
 ふらふらと力ない脚取りで番屋を出てゆきかけた時、背後から徳八が思い出したように声をかけてきた。
 が、傍らの若い同心が徳八を制したのだ。
「親分、この人は、おまつ殺しには何の拘わりもない。親分だって、重々、それは判っているはずだ。余計なことを話して亡くなった仏さんをこれ以上、傷つけるのは止めようぜ」
 結局、その二人の会話の意味は不明のまま、敬資郎は番屋を後にしたのだ。 
 
 その夜も更けてから、敬資郎は一人で屋敷を出た。目指すは吉原、春霧楼。
 長い道程を歩き、大門をくぐれば、そこは不夜城吉原だ。
 女たちの嬌声がかしましい大通りを懐手をして通り抜ける。敬資郎のいかにも大身の武家らしい身なり、その男ぶりを見て、廓の女たちが黄色い声を上げ、呼び込みの若い衆が〝兄さん、うちに良い妓がいるんですよ。上がってお行きなせえ〟と如才なく声をかけてくる。
 だが、彼は固く唇を引き結んで物も言わずに通り過ぎた。
「チッ、色男だと思って、お高くとまってやがる」
 舌打ちと罵りにも、敬資郎は頓着しなかった。しまいには、敬資郎の全身から放たれる鋭い殺気というか気迫に呑まれたかのごとく、誰もが―道にたむろして娼妓を物色している酔客までもが次々に道をあけた。
 春霧楼の女将は一階の、いつも常駐しているはずの部屋には姿が見当たらなかった。入り口を入ってすぐの小部屋は女将の営業中の居所である。金勘定をしたり、客と対面するための仕事部屋ともいえた。
「女将はどこにいる」
 なかなか応えようとしない女郎を烈しい眼で睨むと、震えながら〝あ、あっち〟と指さす。
 見世の男衆たちが今にも飛びかかりそうな勢いで遠巻きに眺めていたが、敬資郎はいささかも躊躇うことはなかった。
 音を立てて襖を開けると、まず小さな仏壇が眼に入った。その真ん前につくなむようにして座り込む女将の背中が見える。
「優心宗佑居士」
「春香優松信女」
 小さな二つの位牌が仏壇の中にちんまりと納まっている。後者の方はまだ真新しい白木の位牌であった。
 線香から立ち上るひとすじの煙が頼りなげに揺れている。
「あんたねえ、何も死ぬことはないだろう。亭主にも娘にも先立たれて、あたしゃア、とうとう一人ぼっちじゃないか」
 まつ、おまつや。
 どうして、おっかさんを置いて、逝っちまったんだい。
 あんたも女郎屋の娘なら、身体が汚れたくらいで何も死ぬことはなかったろう。
 許しておくれ、おっかさんを許しておくれ。
 女将の口から慟哭が洩れた。
 人の気配に気付いたのか、女将が緩慢な動作で首をねじ曲げるようにして振り向いた。
 おえんの視線と敬資郎の視線が束の間、交わる。
 おえんの双眸は真っ赤に充血しており、泣き腫らしたのが一目瞭然だった。
 茫然と座る女将はまるで魂が抜け出たようで最早、抜け殻と化したように見えた。
 敬資郎はそのまま踵を返す。
 最早、この女に言うべきことは何もなかった。
 彼の中で、志満から聞いた話が甦っていた。
 ずっと意識不明であった志満が意識を取り戻したのは、つい一刻前ほどのことである。
 医者はまだ話を控えた方が良いと言ったのだが、志満自身がどうしても若さまと二人だけで話がしたいと言い張った。 
 人払いをした部屋で、まだ布団に横たわったままの志満は、昨日、随明寺でまつから聞いたという話をそのまま伝えてくれた。
 あろうことか、まつは、いや真の名を松(しよう)弥(や)という少年は少女ではなかったのだ! まつという娘は実は、この世には存在しない、いもしない娘だったのである。
 志満から衝撃的な真実を知らされ、敬資郎はこの時初めて、番屋での同心塚本厳之丞(げんのすけ)と岡っ引き徳八のやりとりの意味を知った。あの時、まつの身体的秘密を口にしようとした徳八を、塚本厳之丞が止めたのだ。
 松弥(まつ)が敬資郎に語った身の上話の大方は真実であった。ただ一つだけ、まつが女ではなく男であったという点を除いては。
 名残の花見に出かけた随明寺で、志満は倒れたまつを介抱しようと彼女の着物の衿許を緩めた。その時、志満は、とんでもない事実を知ることになった。
 まつには女性にあるはずの胸のふくらみが全く存在しなかったのである。まつの胸には布が幾重にもきつく巻き付けられていた。
 秘密を知られたと悟ったまつは、志満にすべてを語り、これまで騙していて済まなかったと心から詫びたという。
 まつ自身の話によれば、まつは十四年前、春霧楼の前に棄てられていたのではなく、春霧楼の抱えの娼妓此花(このはな)が生んだ赤ン坊であった。父親が誰かは判らない。此花の話では、当時深間になっていた生糸問屋の若旦那か、旗本の跡取りのどちらかではないかということだ。
 生まれてくる赤児を、此花はそれは愉しみにしていた。が、月満ちて産声を上げた我が子をひとめ見て、此花は
―この子は化け物だ。
 と顔を背けた。
 仮半性陰陽という言葉がある。即ち、両性具有―男でもなく女でもないという意味を示す。人間にせよ、獣にせよ、生きものはなべて生まれた落ちたそのときから、男女の別がある。であるから、男女が夫婦となり子をなして、人の世も獣の世界も連綿と続いてゆくのだ。
 しかし、此花が生んだ赤児は男の子でもなく女の子でもなかった。つまり、仮半生陰陽だったのである。
 こういった子どもが生まれる率はもちろん統計的には途方もなく低いが、全くあり得ない話ではない。そして、このときから、まつこと松弥は苛酷な宿命を生きることになった。
 此花は自分が化け物を生んだと衝撃を受け、心を病んだ。産後の肥立ちも良からず、まつを生んでふた月後に儚くなった。春霧楼の主人宗佑とおえんは哀れな赤児を自分たちの子として育てることにした。
 その時、夫婦が最も困ったのが、赤ン坊の性別であった。男でもなく女でもない。