敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の三
気が付いた時、樹はすべての花を落としていた。今は浅緑の葉だけとなった桜樹の枝越しに、細い月が見えている。
何故か、その眉月の中に微笑むまつの顔が見えたような気がした。
「今年の桜も終わりか」
我知らず、敬資郎の口から呟きが零れ落ちていた。
まつは苛酷な宿命を生まれながらに背負った娘であった。何の運命の悪戯か神仏の気紛れであったのだろうか。
いや、と彼は思う。
あれほど心のきれいな娘はいなかった、と。
敬資郎にとって、彼女は紛れもなく最愛の女性に違いなかった。
水面に落ちた白い花片が漂いながら流れてゆく。
敬資郎はしばらくそのゆく方を眼で追っていたが、やがて、葉桜となった樹に背を向けて静かに去っていった。
まつという娘は彼にとっては確かに存在した。彼女と過ごしたわずかな日々は、美しき夢であったのかもしれない。
いつだって、覚めない夢などありはしないのだ。
さらば、青春の夢。
瞼に浮かんだまつの花のような笑顔に一瞬、胸が熱くなり、彼は滲んだ涙を眼裏で乾かした。
その半月後、敬資郎は江戸城へと登城する。将軍家連に拝謁し、将軍職継承を正式に辞退した。彼の胸には、かつて、まつと約束したとおり、身寄りのない子どもたちを引き取り、育ててゆくという目的があった。
将軍の代わりであれば、自分でなくとも他にいる。だが、孤児を集めて孤児院を作るのは、自分がやらなければできないことだ。
二十一歳の敬資郎の新たな歩みは今、始まったばかりだ。
(了)
作品名:敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の三 作家名:東 めぐみ