かんざらし
独身男の帰省を兼ねた一人旅なんてたかがしれているかもしれない。久々の母との対面といっても、お互いが高揚するのは結局到着日くらいなもので、炊事洗濯、パートに追われる母親に急かされるようにたたき起こされた岳史は、ひとりで朝のワイドショーを観ながら今日の過ごし方を模索していた。
田舎の行事や町内会の催しにまで追われる母親の姿を傍目で見ていると、結局東京にいた頃のそれとまったく変わらない振る舞いに、2日もすれば暇をもて余していた。もちろんそんな母親を見てどこか安心した、というのがあってこその感情だろう。
この日はスーパーで働く母親を車で送るついでに、急遽、市内にある島原城へ寄ってみることにした。岳史が知っている島原の観光スポットといえば、幼少期に祖父に連れられていった島原城周辺だった。祖父の定番の散策コースは、島原鉄道に乗って諫早市まで足を延ばすか、はたまた島原城界隈の武家屋敷跡をぶらぶらと歩くことだった。
城下町は今でも江戸期の風情が色濃く残っており、数年前には映画のメインロケ地として使われたことがあった。その武家屋敷通りの一角に、幼い頃、祖父がよく連れて行ってくれた甘味処があったのを岳史は思い出した。
島原は水に恵まれている。
武家屋敷の脇には水路が流れており、およそ2キロ離れた水源から引かれた湧水は、昔から生活用水として親しまれてきた。祖父に連れられてきたあの頃の記憶が少しずつ蘇ると、岳史は島原が銘水の地であることをこの歳になって初めて気が付いた。
甘味処に行きたかった理由は、祖父がよく注文してくれた「かんざらし」だった。かんざらしは、流水でさらした白玉を、蜂蜜と砂糖だけを混ぜ合わせた蜜につけて食べるというシンプルなもの。銘水の地、島原ならではの郷土の甘味だ。
緋毛氈の上に腰掛け、懐かしい味に浸っていると、一組の男女が大きな笑い声を上げながら岳史の方へ歩いてきた。岳史がその男に気が付くと同時に、男は大声で指を差す。
「あれま!昨日の!」
佐藤健介が笑いながら岳史の肩を勢いよく叩いた。
「ああ!昨日はどうもありがとうございました」
「ちゃんと戻れましたか!?はははは!」