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敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の一

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 まつは、もちろん、厭だと突っぱねてきた。
 駿太郞は何度か春霧楼を訪れ、まつも対面したが、あんな男には、指一本触れられただけで、鳥肌が立つ。おえんが少しでも席を外して二人だけになると、まつの身体に厭らし触ろうとしてくる。
 その点、おえんは抜け目がない。駿太郞の意向に添う姿勢を見せながらも、けして、駿太郞にはっきりと諾とは返事しないのだ。
 駿太郞の申し出を機に、おえんは考えを改めたらしい。まつは養い親のおえんが見ても、美しい娘だ。まだあどけないのに、不思議と色香のある―男の好き心をそそるタイプの少女なのだ。まつなら、江戸中の男を陥落させるのだって夢ではない。現に、以前から、まつを抱かせろとひそかに頼んでくる客はいたのである。
 扇屋はそこそこのお店で、実入りも良い。駿太郞は親の意を借りた何とやらで、小遣いを湯水のごとく遣って放蕩の限りを尽くしている。それこそ、極道息子の典型のような若者だ。しかも、最近は賭場にもしきりに出入りして、裏の世界にも脚を突っ込んでいると聞く。あの不良息子がどうなろうが、おえんの知ったことではないが、駿太郞程度の男にまつをみすみすくれてやってしまうのも勿体ない―、計算高いおえんは、この頃、まつを売りつけるのにふさわしい相手を物色していた。
 まだまだ他に、まつの水揚げ料(初めて客を取る夜の揚げ代)をつり上げられる客がいるのではないかと躍起になっているのである。
 まつを実の娘同然に可愛がっていた宗佑が生きていれば、間違ってもこんなことにはならなかっただろう。顔色を変えて―おえんを殴ってでも、こんな暴挙を止めてくれていたはずだ。
 しかし、優しかった宗佑はもういない。
 今日も、こうしておえんの居間に呼ばれ、客を取るようにと諭されているのだった。
 おえんがまつの機嫌を取るように、急に猫撫で声になった。
「まぁ、何も今すぐというわけじゃない。このあたしがお前にいっとうふさわしい男を見つけてやるから、そのときが来たら、四の五の言わずに大人しく客を取るんだよ?」
 もう行って良いよ、お下がり。
尊大に顎をしゃくられ、まつは、うなだれたまま立ち上がった。一瞬、数日前に出逢った若者の姿が脳裡をよぎる。
 凛とした雰囲気が清(すが)しい青年だった。内面も外見どおりなのだろう、絡まれていたまつを見かけるやいなや、救ってくれた。どうやらあの青年は勘違いしているようだが、昨夜の男たちは、まつと初対面ではない。
 駿太郞―あの青年に手首を無様にひねり挙げられた男―こそ、扇屋の跡取りであった。かねてから、まつに異常な執着心を抱(いだ)いているあの若旦那である。他の三人もいずれもが似たような羽振りの良い商家の跡取りや次男坊たちであった。
 あの夜、まつは、おえんといつになく烈しい口論になった。今朝のように、客を取る取らないといったことから始まった口喧嘩であった。
―お義母さん。私は女郎ではありません。なのに、何で客を取らなければならないんですか?
―フン、どうせ、廓の女郎(おんな)が生み棄てていったガキじゃないか。女郎の子は女郎になるって、相場が決まってるんだよ。 
 あまりの言葉に、まつが顔を強ばらせていると、おえんが怒鳴った。
―何だい、その眼は。それが大恩ある恩人を見る眼かね。良い加減におしッ。これまで育ててやった恩を忘れて、親に逆らうのかい。
 おえんは逆上のあまり、まつの頬を幾度も打った。
 まつはたまらず、泣きながら春霧楼を飛び出し―そして、いつしかあの場所、和泉橋町の外れをさまよい歩いていたのだ。そこに折悪しく、扇屋の駿太郞がいつもの悪仲間とつるんで出くわしたのが運の尽きだった。
 いつもは春霧楼に来ても、おえんの眼が光っているため、駿太郞はまつを抱くことはできない。せいぜいが厭らしく身体に障る程度だ。生娘でなければ、水揚げ料を取ることばできない。だから、駿太郞がそれ以上の無体をしないよう、おえんは監視の眼を厳しく光らせているのだ。自分が席を外すときには、必ず部屋の外にやり手か番頭新造を控えさせているほどの用心ぶりだ。
 つまり、まつは、おえんにとって、それほど価値のある商品なのである。そのことを考えると、まつは、やり切れない想いになった。
 が、昨夜は、夜半、しかも人気のない淋しい道だった。あのまま見知らぬ若侍が助けてくれなければ、まつはどうなっていたか判らない。
 それに―、まつには重大な秘密がある。まつを赤児の頃から育てたおえんは誰より、その秘密を知っているはずなのに、何故、今になって客を取れだなどと言うのだろう。
 たとえ外見はごまかせても、着物を脱げば、秘密はすぐに露見する。高い水揚げ料を払わされた客がどれほど怒り狂うか知れたものではないのに。
 生まれ持った秘密がこれまでどれほどまつを苛んできたことか。人並みに嫁ぎもできない身体に生まれついたけれど、幸いにも情け深い義理の両親に育てて貰えた。だから、これからの生涯は両親に孝行しながら、この春霧楼を盛り立てていこうと幼いなりに覚悟していたのに、おえんは、そのまつの心を無惨にも粉々に砕いた。
 自分はこれから一体、どうなってしまうのだろうか。
 言い知れぬ不安を抱え、まつは滲んできた涙を懸命に堪えた。

     十六夜の桜

 どこの座敷からか賑やかな三味線の音が聞こえてくる。それに混じって、女たちのかしまい嬌声が洩れ、敬資郎は思わず苦笑いを刻んだ。
 酔いのせいで思わず眼が回って、ふらついてしまいそうになる自分を自分で嗤ってやる。
―全っく。
 幾ら付き合いとはいえ、こんな場所に来るのではなかった。ズラリと居並んだきれいどころも飲み慣れぬ酒も、自分には所詮、縁遠いものだと今夜、つくづく思い知らされた。
 今宵、敬資郎は深川の料亭に上がった。子どもの頃から通う町の道場仲間に誘われてのことだ。瀬川(せがわ)新(しん)悟(ご)―、道場の兄弟子(あにでし)である。その兄弟子に突然、折り入って話があると言われ、ここに連れてこられた。
 兄弟子ゆえ、立場上、断りたくても断れない。殊に剣の腕が立ち、入門以来、大勢の兄弟子を追い抜いて師範代にまでなった敬四資郎を良くは思わぬ先輩が多いのも確かなのだ。
 この道場には武家の子弟だけではなく、裕福な商人の息子も通っている。道場主のざっくばらんな気性を反映してか、稽古中は武士だ町人だと身分などには関わりなく、和気あいあいとした雰囲気の中で皆、己れの剣技を磨いていた。
 その先輩の妹がどういうわけか、敬資郎に恋心を抱いていると言われ、敬資郎は大いに当惑したものだった。確かに新悟の屋敷には、何度か誘われて他の同輩たちと遊びにいったことはある。しかし、新悟の妹と言われても、実は顔さえ思い出せなかった。大体、新悟に妙鈴の妹などいたのかと初めて知ったほど、印象に残っていなかったのだ。
 が、まさか、真実を有り体に告げるわけにはゆかず、敬資郎は曖昧な笑顔を貼り付け、新悟の切々とした話に適当に相槌を打たなければならなかった。