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敬四郎、参る!!~花吹雪に散る恋~・其の一

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 事もなげに言う駿太郞がおもむろに懐中に手を入れた。その手に握りしめられているのは夜目にも鈍い光を放つ匕首だ。
 敬資郎は小さく舌打ちを聞かせ、自身も腰に佩いた刀の鯉口を切った。カチャリと夜陰に小さな音が響く。幾ら手出しをすれば面倒な手合いでも、向こうが先に仕掛けてくるからには、こちらも受けて立つより他ない。さもなければ、殺(や)られてしまうのは眼に見えている。
「余計なことかもしれねえが、あの娘は人間だ。間違っても、獲物なんかじゃない。俺は、そんな風に人を獣呼ばわりするような考え違いをしてる奴が昔から大嫌いでよ」
 敬資郎が言い終わる前に、駿太郞が奇声を上げながら飛びかかってきた。キエーとも何とも、こちらの方がよほど獣じみた咆哮に聞こえる。
 敬資郎は苦笑を滲ませ、刃を抜いた。相手の匕首が振り下ろされようとする一歩手前で発止と己れの刃で受け止める。
 更に、咄嗟に駿太郞の手首を掴むと物凄い力でねじり上げた。
「うっ、くう」
 凶悪な笑みが閃いていた相手の貌が忽ちにして苦痛に歪んだ。駿太郞の握りしめた匕首がポトリ、と音を立てて地面に転がった。
「お前―」
 〝只者じゃないな〟。そのひと言は苦痛の呻きと共に消えた。
「ここでお前の腕一本へし折ったって、良いんだぜ?」
 敬資郎が凄みのある口調で言うと、駿太郞が恐怖に見開いた眼を忙しなくまたたかせた。
「わ、判った」
 駿太郞が頷いたのを見、敬資郎は相手の手首をあっさりと放す。弾みで駿太郞の身体は後方に飛び、不様に尻餅をつく格好になった。まさに見事なまでの鮮やかな手際だった。
 その場に居合わせた男たちは皆、這々の体で三々五々、逃げていく。中には、あまりに慌てふためいて、前方につんのめって転ぶ者までいる始末だ。むろん、駿太郞という男も例外ではなかった。
「もうちったア、気骨のある奴かと思ったが、とんだ見かけ倒しだったな」
 敬資郎は呟くと、一人残された娘に声をかけた。
「おい、大丈夫か? どこか怪我はしてないかい」
 娘は、まだそのか細い身体を小刻みに震わせていた。
「もう大丈夫だから、安心して良いんだぜ」
 できるだけ優しい声音に聞こえることを祈りながら言ってやる。
 と、娘の身体がユラリと傾いだ。途方もない恐怖と緊張を強いられ、急にそれが絶ち切られたのだ。無理もない。
「おっと」
 敬資郎はすんでのところで娘を支えようとする。だが、その時。
 伸ばしかけた指先が止まった。
 刻が、止まった―ような錯覚に囚われた。心を射貫かれる。
「あの―?」
 怪訝そうな声に、ハッとする。眼前の娘はまだ白い面に怯えを滲ませている。まだ女と呼ぶよりは少女といった方がふさわしい年頃、恐らくは十四、五だろう。
 敬資郎は少女を惚(ほう)けたように見つめていたことに気付いた。現(うつつ)に返り、狼狽えて紅くなり視線を逸らす。
「す、済まぬ」
 少女は、それほどに似ていた。
 十四年前に亡くなった母、繊細な眉月のように儚くも美しかった母お郁に。まだあどけなさすら残した、けれど、どこか男を誘惑する蜜のような艶(なま)めかしさを漂わせた少女。その美しい面を擬然と見つめる。
「お侍さま?」
 再び訝しむように呼ばれ、敬資郎は自らの想いを振り切るかのように小さくかぶりを振った。
「済まぬ。そなたが知り人に似ていたものゆえ」
 敬資郎は少女に微笑みかけた。
「あいつらがまだ近くにいるかもしれない。今日のところは送ってゆこう」
 住んでいる場所を訊ねると、町人町だという。それなら、この橋を渡った眼と鼻の先だ。
 申し訳ないとしきりに恐縮する少女と並んで歩きながら、敬資郎は気にかかっていた問いを口にした。
「そなたのような年端もゆかぬ娘が何ゆえ、夜更けに一人で人通りのない道を歩いていたのだ?」
 その質問には、少女は曖昧な笑みを返しただけだった。
 少し困ったようなその表情を見て、敬資郎は笑った。
「良いんだ。別に話したくない事情があるのなら、話さなくて良い」
 〝でも、助けて頂いたのに〟と、口を開きかける娘に向かい、彼は笑いながら首を振る。
「誰しも他人(ひと)に話したくないことの一つや二つはあるものだ」
 現に、彼自身、大きな秘密を抱えて生きている身なのだ。
「―名は?」
 その問いに、少女は大きな瞳を見開く。漆黒の夜の闇よりなお黒く、冴えた月の光を映したかのようにきらめく双眸が印象的だった。
 いっそのこと、あの瞳に溺れてしまったとしたら―。そんな、ひと刹那の欲望に囚われてしまいそうになる蠱惑的な瞳だ。全体的な印象は幼いのに、どこか男の心を惹きつけて離さない色香を持つ不思議な娘だ。
「まつと申します」
 玲瓏とした声もまた、月の光を音にしてつまびくかのよう。そう、この少女は姿形だけでなく、声ですら男を魅了する。
 この時、敬資郎は少女を襲おうとしていた駿太郞ら四人の男たちの気持ちが少しだけ判ったような気がした。
 むろん、だからといって、通りすがりの何の罪もない娘をいきなり襲うだなどという鬼畜のごときふるまいが許されるはずもないが。
 しかし、この少女の中に潜む得体の知れぬ危うさ―男の心を蕩かす甘美な蜜―が彼らの昏(くら)い情動を引き出し、駆り立ててしまったのだろう。
 どれほど歩いたのか。敬資郎にしてみれば、この先の道がずっと続いてくれれば良いのにと願わずにはいられなかったのに、その願望はまつと名乗った少女の澄んだひと声によって破られた。
「ここです」
 少女の夜目にもくっきりと際立つ白い指先の先を辿れば、〝若松屋〟と大きな看板のかかった商家がひっそりと佇んでいる。この目抜きどおりは錚々たる大店が建ち並び、町人町でもひときわ賑々しいが、若松屋はその中で他に引けを取らぬ大店だった。
「そなたは、この店の娘だったのか」
 敬資郎のような、およそ粋だとかそういった風流事には無縁な男でも、その名を知っている―つまり知る人ぞ知る大店〝若松屋〟。
 何でも本店は会津藩若松にあり、そこの出店だとかで、会津特産の漆器を直に仕入れて売っているらしい。その分、値も張るというが、江戸でも名の知れた高級料亭や各大名家などのご用達として、この店の品を愛用する顧客も多い。
 その江戸でも名の知れた大店の娘が何故、夜半に一人であのような場所をうろついていたのか―。
 彼が思案に沈みかけたその時、おまつという少女がペコリと頭を下げた。
「今夜はお助け頂いて、本当にありがとうございました」
 敬資郎が声をかけようとしたときには、少女のか細い身体は若松屋の方に向かって駆け出していた。大方、時刻も時刻ゆえ、勝手口(裏口)からこっそりと入るのだろう。表を素通りして裏手へと回り込む姿をその場に佇んで見送る。
 漸く我に返ったときには―、既におまつの姿はどこにも見当たらなかった。

 先刻から、まつは唇を噛みしめて俯いていた。いつまで待っても首を縦に振ろうとはしない娘に、中年の女将がゆるゆると首を振り、盛大な吐息をつく。
「おまつ、お前も重々判ってるだろうが、うちが何をして、おまんまを食っていってるかは承知だろうねえ」
「―はい」