1977年のカーラジオ
朝起きると、隣に誰かがいるという事はものすごく幸せなことだ。
特に寒くなる秋の頃は、人肌恋しくなる。
僕はちいより朝起きるのが早いので、大きな胸を揉んで起こすことになる。
朝からのちょっとしたいたずらが僕の日課だった。
「やん、だめだよう・・・」寝ぼけた声でちいが言う。
笑いながら、また僕は胸を揉む。何回か繰り返すとちいは目を覚ました。
「昨日言ってたやつ。あの歌。録音したよ」返事も待たずプレイボタンを押す。
朝からには、けだるいが甘いメロディが流れてきた。
二人毛布の中で横になり目をあけて窓の外を見ながら聞く。
ちいの背中を包み込むように、二人丸くなって静かに聞いた。
いつまでも 素顔の君で・・
いつまでも 君は君らしく・・・
全然、ちゃんとした男じゃないけど、男らしい男でもないけど
今はちいといたいんだ。
だから・・・君は今の君のままでいてくれないか・・・ずっと、ずっと。
それから、僕はカーラジオから何回もこの曲が流れてくる度、彼女を思い出した。
彼女とは小さな誤解から別れる羽目になった。
ポンコツになったビートルは動かなくなり、廃車にした。
そして、僕は大学を辞め働きだした。
そして、ちいとは違う女性と結婚して、離婚した。
人混みの中、電車に乗り、普通に働いて普通の男になった。
あれほどネクタイ族を馬鹿にしてたのに、今は毎日ネクタイをしている。
街路樹の木陰で足を休め、雑踏の中でビルに囲まれた狭い空を見る。
青の色は海の色だったはず・・・あの頃は。
コンクリートの街の砂粒は海辺の砂浜だったはず・・・
30年の月日が、僕の居場所を変えた。
海の潮騒の変わりに、今は都会の喧騒だ。
チラシ配りの声が、やけに嫌に感じる。
みんな捨ててるじゃないか、そんなチラシ。やめろよ。
誰かが捨てたチラシが風に吹かれて足元に転がってきた。
「海のオブジェ創作展―山口ちえ」
僕はそのチラシを拾い上げると、急いで会場に向かった。
波乗りの間一人で待っていたちいの姿を思い出した。
僕の足元の歩道が砂浜に変わった・・・・
(完)
作品名:1977年のカーラジオ 作家名:海野ごはん