ひとつをふたりで
「わかった。ママにいきさつだけは話しておく。渡してみるね」
そう言うと手を差し出してきた。
あっ、お金か・・・僕は彼女の先ほどの言葉に動揺していた。寂しいのか・・
そんなつもりじゃなく、ただなんとなく言っただけなのに心を見透かされていた。
僕は財布の中から2000円を取り出すと彼女に渡した。
「おじさん、サンキュー」
またきらきらの笑顔を取り戻した彼女は片手を上げて、僕に手を振った。
なんだか楽しい時間だった。
地面に広げた黒い布が、そのとき風に煽られた。
先ほど見た西側の雲が近づいてきたのだ。
「すぐ。雨が降るよ。片付けたほうがいい。おじさんの予感は当たるんだ」
僕はその女の子に言った。
「エッ、まだ明るいよ。大丈夫だよ」
「いや、すぐ来る。雨の匂いがしてるから」
ホントなのと言いながら彼女は素直に片付け始めた。黒い布地を織りながら
最後の商売道具をキャリーに乗せると、大粒の雨が落ちてきた。
「キャー。ほんとだ。よかった。ギリギリセーフね。おじさんありがとう」
僕達は近くのビルに逃げ込んだ。
雨はいきなり風とともにやってきた。熱風よりも少し涼しい湿気を含んだ風だ。
雨に打たれる歩道からは埃が舞い立ち、街中、埃の匂いが充満した。
ただ、それは熱せられたアスファルトやコンクリートを冷やしてくれる。
夕立は自然のラジエターのようなものだと感心した。
勢いよく下水口に流れ込む雨たち。
僕と彼女はビルの玄関先でそれを眺めた。都会の中の自然の行為。ただ見守るしかない。
どんなに作りこんだコンクリートの街でも、自然を感じることは出来る。
夕立が降り。風が吹き。緑の葉が生き返る。そして、また太陽が輝きだす。
ビルが立ち並ぶ、狭い空にさえ、青い空と白い雲は流れている。
自分でいつも心に自然を身にまとっていると、どんな場所でさえネイチャーだ。
大自然の中で育ってきた人間、ただ、今はコンクリートの林の中にいるだけだ。
それでも、僕達は自然の中で、地球に生きている。
「ねえ、おじさん。今から仕事なの」
「ああ、一応ね。今日の大事な仕事はもう終わったから、どうでもいいけど」
なんだか夕立を見ていたら、ひと休みしたくなった。
「このビルの8階に、おいしいアイスクリーム屋さんがあるんだ。行かない?」
「こんな、おじさんとでいいのか?」
正直行きたくなかった。ピンクやイエローの可愛い世界の女の子の世界。
ただでさえ甘いものが苦手の僕は、アイスクリームよりビールが飲みたかった。
「雨に濡れなかったお礼。おごるよ」
まいったなぁ~。こんな若い子におごってもらったことはない。少し照れた。
ビルの中は夕立の一時避難場所のようで、人で溢れかえっていた。
エレベータで8階に上ると、やはり想像したような店構えのアイスクリーム店があった。
どんなにトッピングやらデコレーションで飾り付けられてていても
僕にとっては、甘いアイスクリームだった。
「なんだか、嫌そうね、おじさん」彼女が言った。
よく、人のことを観察する子だ。
「あ、ちょっとね。気恥ずかしい。それに甘いものは」
僕は顔の前で手をひらひらさせた。
あの若い女の子の中に入っていく勇気はない。
ましてや自分の娘でもないのに同伴なんて。
怖気づいた僕を見て、笑う彼女は
「恐いんでしょ」とまた、見透かした大人びた言葉を言う。
「その通り、ちょっと遠慮するよ。君は食べたいんだろ。僕はここで失礼するよ」
「えっ せっかく来たのに・・」
「いいんだ。楽しかったよ。あのアクセサリー、ママに渡しといてくれよな」
僕は似合わない場所を早く立ち去りたかった。
「うん、わかった。またね~」
なんとも軽い別れだ。
カジュアルな生活は、言葉さえカジュアルに変化させてしまってる。
僕はひと時の、遊びっぽい時間を終えた。
そして、自分のオフィスに戻ると夜遅くまで仕事をしてしまった。
はぁ~、まったく。世の中、何でこんなに仕事があるんだ。
オフィスのエレベータを降りる時、昼間の女の子を思い出した。
「ちゃんと、あの子ママにあげたかな、俺のストラップ」
そう考えながら、携帯をポケットから取り出し、
新しくついた白い貝殻と赤いガラス玉のストラップを見やった。
似合わないけど夏らしくていいや・・僕は携帯をまた直し込んだ。