爆々ねこレース
声を荒げる俺の顔の前に一枚の紙が突き出された。紙の後ろからあやめさんの声が聞こえる。
「ここに書いてあることをお読みください」
紙には大きく『誓約書』と書かれている。内容は『五億円で一年間、息子を貸します』と書かれてある。しかも、下の方には両親の直筆サインが書き込まれている。
「なんじゃこりゃーっ!」
誓約書を奪い取ろうとしたところで紙が上に引かれ、俺の手は見事に空振りをしてしまった。その伸ばした腕を目にも留まらぬスピードであやめさんの繊手が力強く掴む。かなり痛い。
「では、改めて参りましょう。さ、光さま、外にリムジンが到着している頃で御座います」
事情もままならないうちに、俺はあやめさんに腕を掴まれ床を引きずられた。
玄関の段差で腰を打ちつけ、靴も履かずに外に連れ出された。綺麗な顔をしてやることが強引だぞ、このメイドさんは。
玄関の前にはリムジンが止めてあった。俺は否応なしにリムジンの中に押し込められてしまった。絶対拉致監禁だ。
リムジンの外で両親に会釈をするあやめさん。動揺しちゃってる俺。そして、俺に手を振る両親。
あやめさんがリムジンに乗り込むと、すぐにリムジンは走り出した。
住宅街を颯爽と走るリムジンに、両親がいつもでも満面の笑みで手を振っていた。絶対あの笑顔だけは忘れねえ、帰ってきたら復讐してやる!
リムジンでだいぶ走った後、俺は列車で移動することになった。もう抵抗する気もない。なぜなら、聞き分けのない男はカッコ悪い、by俺。
俺を乗せた列車は大きな湖の上に敷かれたレールを走り、まるでキラメク水面の上を走っているようだ。個室の窓から眺める景色は神秘的でビューティフォーだった。
窓から首を出すと、湖の中心に人工的に造られた都市が見える。その都市はイタリアのヴェネツィアの町並みを思わせる。というか、観光ガイドでそう謳っているから間違いない。
椅子に腰掛け、紅茶まで飲んで寛いでいる俺に、目の前にいるあやめさんが話しかけてきた。
「では、そろそろ光さまが転校する本当の理由について説明いたしましょう」
「大富豪のお婆さんが、ぜひとも俺を養子にしたいとか?」
「いえ、新代表になってもらうためでございます」
「新代表?」
新代表ってなんだ。代表っていったら、俺の中ではサッカーの代表選手とか、そんなのしか思いつかないけど、もしや、サッカー日本代表に俺が選ばれたとか!?
なわけないな。そもそもサッカーなんて体育の授業で嫌々やらされた程度だ。だとしたら、何だ。俺のスーパーな頭脳を持ってしてもわからん謎があるとは、世界はビックだ。
俺が勝手に妄想しているのを止めるかのように、あやめさんが軽く咳払いをして凛とした瞳で俺を見つめた。
「アクアリウムの住人の多くは『ハルカ教』という宗教の信者であり、その宗教には白薔薇派と紅薔薇派という二大勢力が存在しております。その白薔薇派の代表の任期がつい先日切れましたので、光さまが次の代表として選ばれたわけで御座います」
「無理」
俺は即答して、言葉を続けた。
「俺は自慢じゃないが、一般中学生の分際だ。確かに代表って言ったら、地位も名誉も手に入りそうな気がして、ホントはやりたいような気がするが、常識的に考えて俺は無理」
俺の言葉にすぐさまあやめさんが反応して、どこからか取り出した資料を読みはじめた。
「中学校の生徒会長していらしゃると書かれております。大丈夫です、同じようなものでございます」
キラキラ眩しい笑顔を俺に飛ばすあやめさん。その自信はどこから来る。
「生徒会長と同じにするのはどうかと思うが……?」
「いいえ、笑顔で手を振っているだけで殆ど大丈夫ですから、何も問題も御座いません。わたくしも付いておりますし、怖いお兄さんに絡まれてもわたくしが一発でのしてさしあげますわ」
あやめさんは笑顔でさらっと言ったが、最後の方にスゴイ言葉が潜んでいたような気がしたが、触らぬ神に祟りなしだ。だって、絶対このメイドさんは只者じゃない。
何かを思い出しようにお口をO型にしたあやめさんは、突然上着の中に手を突っ込んで二足の靴を取り出した。俺の靴じゃん、というか、そんなとこからかなぜ出る? あんたはマジシャンか!?
「光さまのご自宅から先ほど届けさせました。どうぞ足をお出しください」
出せと言ったにも関わらず、あやめさんは俺の足を持ち上げて靴を履かせてくれた。
「どうもありがと」
「どういたしまして」
俺とあやめさんの瞳が合った。まさに状況的にはトキメキな瞬間だった。
あやめさんが顔を桜色に染めて小さく呟いた。
「カッコイイ」
次の瞬間にはあやめさんは凛とした表情に戻っていて、軽く咳払いをして、さっきと同じように淡々とした口調で話しはじめた。
「光さまが選ばれた選考基準は『カッコイイ』からで御座います。白薔薇派の代表は仕事などできなくともいいので御座います」
「それってお飾りってこと?」
「そうとも言います。光さまのカッコよさは、全代表を凌いでおります。きっと良き代表にお成りになるとわたくしは信じております」
あやめさんは俺の両手をぎゅっと掴んで目をキラキラ光らせた。俺はその瞳に負けそうになった。あやめさん美貌は俺の出会った女性の中でもトップレベルだ。しかし、俺は負けない。負けてなるものか!
「やっぱり、俺には代表なんて無理だと思う。ということで帰る」
俺はびしっと姿勢を伸ばして立ち上がり辺りを見回した。窓の外の光景が目に入る。……走り出した列車は停止してくれるはずもなく、しかもここって湖の上じゃんか。なんたる不覚。
力なくして椅子に再び腰を下ろした俺は、頬杖をつきながら、大人しく流れゆく風景を惚けながら見つめた。
真夏のキラキラ輝く水面が眩しいぜ。コンチキショー!
水上都市アクアリムはわざわざ古い町並みを再現し、レンガ建ての家々や装飾の美しい建物の数々、そして、街の中心に鐘楼が俺の心を鷲掴みにした。なんていうか、ああいう聳え立つ巨頭は男のロマンだと思う。
石畳の上を楽しそうにあるく家族連れやカップルの大半は観光客で、俺も次第に観光客気分になってくる。カメラを持ってこなかったことが今になって悔やまれる。無念だ。
あやめさんは先ほどから観光ガイドのお姉さん風に、建物などの説明をしてくれている。しかも、ガイドのお姉さんがよく持ってる旗も装備してるし。しかも、それを俺の靴同様に服の中、っていうか、胸の谷間から出したのを目撃してしまった。もしかしたら、二十二世紀のネコ型ロボットの知り合いかもしれない。やっぱ只者じゃねえ。
「街は今、ハルカ降臨祭というお祭りの最中で御座いまして、住民たちも興奮しております」
「その住民っていうのは、もしかしてさっきからあちこちにいる変人たち?」
「変人……でございますか?」
「あの、ネコ耳の人たちなんスか?」
街を歩く人々に紛れてネコ耳の飾りを着用している人が歩いてる。お店の人はもちろん、お爺さんから赤ちゃんまで、ネコ耳装備。だが、オッサンはつけるの止めてくれ、目が腐る。ただし、可愛い娘はオッケーだ。
「ああ、あれはハルカ教の熱烈な信者の人たちでございます」
作品名:爆々ねこレース 作家名:秋月あきら(秋月瑛)