京都から想いを込めて、あなたへ~私の古都めぐり~
大学の構内には師弟愛の像と呼ばれている像があります。
この像が作られた経緯を知った時、私は涙が止まりませんでした。
母校の教育学科を出ただいぶん前の先輩で、教員になった方がおられました。
確か田舎の方の小学校だったと思います。
その方が赴任先の小学校に担任として出勤していたある日、
台風の影響で校舎が崩れました。
その時、校舎が崩れる寸前、その方は咄嗟に自分の身体を楯にして
児童を庇ったそうです。
結局、先生も子どもたちも助かることはできませんでしたが、
がれきの山の下から発見されたとき、
その若い女の先生は自らの体の下に受け持ちの数人の子どもたちを
庇い抱くようにして息絶えていたそうです。。。
この話が母校にまで伝わり、関係者や在学生たちが
この亡くなられた先生の勇気と愛にあふれた行動を何とかして後に伝えていこうと
師弟愛の像が設立されることになったといいます。
なので、この像は女先生と子どもたちが仲良く寄り添い合うようにして立っています。
教師として危険が子どもたちに迫ったときには、自らの身を挺して庇うー
ということは先生ならば誰しも考えるし、頭には普段からあるでしょう。
しかし、現実に危険が迫ったとき、一体、どれだけの人が
自分の身を差し出すことができるでしょうか?
かく言う自分だって、自信はありません。。。
その先生は新任か、まだ先生になって年数も経ていない若さて゜あったといいます。
この話は全国にひろがり、静かな反響を呼びました。
私の記憶によれば、師弟愛の像は体育館の前にひっそりと建っていました。
大勢の学生が像の前を賑やかに通り過ぎていきますが、
ふた゜ん、師弟愛の像に注意を向ける学生は殆どいません。
しかし、学級崩壊などが叫ばれる今の時代の
先生と生徒、恐らくどちらにも想像も及ばないような出来事ではないかと思います。
卒業後、20年以上が経ち、あの像も久しく見ていません。
また母校を訪れる機会があれば、是非、あの話を思い出しながら
眺めてみたいものた゛と思います。
※゜ なお、この記事を書いた後、念のために検索をかけて調べたところ、
先生は横山先生といわれ、そのときに身を挺して庇った子どもたちは無事で
あったそうです。
ブログ記事内容は誤りです。
☆ 姫路のミキちゃん~大学時代の想い出~ 2012年7月2日
こんにちは。
今日は京都時代の想い出話を少しさせていただきますね。
2週間前に大阪に出向いたときは在来線を利用して、新幹線には乗りませんでした。
基本的に、私は普通列車での旅の方が好きです。
新幹線は確かに便利ですけれど、のんびりと旅そのものを楽しみたいときは
やはり鈍行がいちばん!
6月には赤穂線を利用しましたが、車窓の向こうには緑の田んぼがひろがっていて、
とても初夏らしく爽やかな眺めでした。
ちょうど、どこでも田植えの時期なのです。
更に、赤穂線に乗り、赤穂駅を通り過ぎて姫路を通過すると、
たいてい想い出すのは、京都時代の同級生。
彼女はもちろん大学の文学部初等教育学科のクラスメート。
皆からは<太>姫路のミキちゃん</太>と呼ばれていました。
何で、名前の前に地名がついていかというと。。。
これには理由がちゃんとあります。
ミキちゃんことMさんの自宅は姫路にありました。正確には姫路より更に赤穂に近い
網干ーあぼしーです。
網干から京都まではかなりの遠さです。通うのは正直、少し無理がある距離です。
しかし、Mさんは網干から毎朝、始発の新快速に乗って京都まで通学していました。
元々、Mさんは通学するつもりはなかったそうです。
しかし、大学の学生寮に申し込んだところ、近距離で通学可能のためという理由で
入寮を拒まれしまいました。
大学の学生寮は四つあります。今でも思い出すのが
ホテル東山の異名を取る東山寮。これ外観がホテルに似て、他の寮よりも
こぎれいなので、こう呼ばれていました。
勉強の小松の異名を取る小松寮。これは通称梅こと寮監のI先生が
厳しく、勉強を徹底してやらされるということで、ついた名前です。
私はこの勉強の小松で四年間過ごしました。
今でもたまに同寮会のとき、I先生にお会いします。いつも梅色のキモノを着ているので、
梅と呼ばれていましたが、実は本名は全然違います。しかし、あるとき、新入生が
皆が先生を梅、梅と呼んでいるので、本名も梅子かと勘違いしてしまいました。
故郷の親に、寮監先生の名前は梅子だといい、親御さんが先生宛の手紙に
○○梅子様と書いてきました。先生いわく、寮生全員の前で
私の名前は梅子ではありませんと宣言したこともあります。
三つ目は掃除の日吉の日吉寮。これは小松寮の寮監先生が日吉に移り、
やはり厳しく、掃除ばかりさせられるので。
最後が遊びの錦華ーきんかーの錦華寮。
ここは何故か遊び人の子が多いので。。。らしいです。
この四つの寮は毎年、新入生が入りますが、応募者多数のため抽選。
選考基準としては、遠方の人からというのが基本です。
必然的に近くの人は抽選に漏れることになります。
姫路のミキちゃんはそのために抽選に漏れたのです。
私の大学は京都の東山にありました。京都はもちろん、大阪、奈良、神戸
から通ってくる自宅生は大多数をしめています。
私のいた小松寮には神戸に自宅がある人もいました。
もちろん、一度目は通学できるからという理由で漏れたらしいのですか゜、
阪急電車で2時間もかけて通うのは辛いので、再応募したしころ、補欠当選で
入寮許可が下りたのだと本人から聞いた記憶があります。
姫路のミキちゃんは有名でした。
恐らく通学生の中ではいちばん遠いところから通っていたのではと思います。
寮に入れなかったとき、当然ながら下宿も考えたらしいけれど、
女の子の一人暮らしに危惧を抱いたご両親が
下宿させるくらいなら、通わせようという方針だったそうです。
Mさんは毎朝、始発の新快速に乗り込み、2時間かけて通学しました。
私たちの学科は恐怖の大教ーだいきょうーと呼ばれているほど、
スケジュールもハードで、特に一年生は朝九時前から夜は六時まで
隙間なく時間割が埋まっていました。
姫路のミキちゃんは夜、真っ暗になって講義を終えて、また新快速で2時間かけて
網干まで帰っていたのです。一年生の間はたぶん、ろくに自宅で休むヒマもなく
ただ寝るためだけに帰っていたのでないかと思います。
その点、私は恵まれていました。たまにホームシックにもなりましたが、
寮でぬくぬくと?暮らし、休日にはいつかもお話ししたように観光名所めぐりに
精を出しました。
学生時代に一度も電車にしろバスにしろ、乗り物を利用して通学したことのない私、
作品名:京都から想いを込めて、あなたへ~私の古都めぐり~ 作家名:東 めぐみ