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橋ものがたり 〔第1話〕~春の夢~・弐

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 てっとり早くいえば、長年苦楽を分かち合ってきた番頭である嘉一と女主人お須万が時ここに至って改めて互いを男女として意識したのがそもそもの始まりだ―ということになる。
 確かに、それはそうだろう。瓦版によれば、嘉一が伊勢屋に丁稚として奉公に上がったのは十のときのことだという。
 当時、先代の安右衛門はまだ健在であり、嘉一はその陰陽なたのない誠実な人柄、読み書き算盤の才を見込まれ、早くから主人安右衛門の期待を受けて安右衛門自らにみっちりと仕込まれた。
 そして手代から手代頭と順当に出世し、二十歳のときにはその若さで番頭に抜擢されたのだ。先の番頭の彦市が体調を崩して退かざるを得ない仕儀になったためとはいえ、伊勢屋には嘉一よりもはるかに年上の経験も積んだ手代がいたにも拘わらず、先代は嘉一をいきなり番頭に引き上げた。
 嘉一が番頭に引き立てられて数ヵ月後、先代の主人安右衛門が急死、死因は過労が引き起こした心ノ臓の発作であったそうだ。その時、残された一人娘お須万はまだ十七であったが、既に同業の佐野屋の倅慎之助を聟に迎えており、安右衛門の跡はお須万の亭主である慎之助が継いだ。
 慎之助が新しい主人となった翌年、若夫婦の間には待望の長男が誕生し、先代の急死によって憂愁に閉ざされていた伊勢屋にも再び春が訪れたかに思われた。しかし、慎太郎と名づけた長男は生後八ヵ月で早逝、夫妻を嘆かせた。
 人の世とは皮肉なもので、一度悪い事が起こり始めると、坂道を転がるように次々と悪しきことばかりが続く。慎太郎が夭折した半年後、今度は亭主の慎之助までが伜の後を追うように亡くなった。
 わずか二年の間に主人が相次いで亡くなるという、ついぞ例のない不幸に襲われた伊勢屋のゆく末を危ぶむ声も多かった。
 何しろ残されたのは父親に溺愛されて育ち、商売のこともろくに知らぬ十九の若い未亡人だったのだ。しかしながら、この残された一人娘を陰ながらしっかりと支え、商売のいろはを教えて女ながらも立派に大店を切り盛りするまでにしたのは、他ならぬ番頭嘉一であった。
 普通なら、嘉一のような立場にいれば、もっと早くにお須万を言いくるめるか誑かすかして伊勢屋の聟に納まろうと考えそうなものだが、この律儀な男は先代から受けた恩を忘れることなく、終始裏方に徹し、若い女主人の良き相談役であり続けた。
 この度、二人の間を取り持ち、お須万当人に長年忠勤を励んできたこの番頭を新しい良人に迎えてはと進言したのは信濃屋惣兵衛―亡くなった慎之助、つまりお須万の前の亭主の大叔父に当たる男だという。
 ゆえに、本当のところは商売しか頭にない朴念仁の番頭と身持ちの堅い女主人が突如として恋や愛にめざめたというのは間違いで、縁結びの橋渡し役となったのは、信濃屋安右衛門であった。
 だが、お須万にしろ、嘉一にしろ、当人同士の明確な意思があったからこそ実現した話であることには違いない。
 お須万はあれほどまでにきっぱりと清七を拒んだのだ。顔を見るのも厭な男と夫婦になって添い遂げようとはしないだろう。
 また、嘉一にしたって、それほどに生真面目で女遊びの一つしなかったほどの男だというのなら、いくら伊勢屋の身代が手に入るとしても、惚れてもいない女と所帯を持つ気にはならないに相違なかった。
 要するに、二人共に互いを憎からず思う気持ちはずっと以前からあったのだろう。お須万にとって、父親に続いて亭主までをも失い、頼る者とて誰一人おらぬ中、ずっと傍にいて自分を守り支え続けてきた嘉一の存在がいつしか大きくなっていたとしても不思議はない。
 清七は瓦版を読みながら、つらつらとそんなことを考えた。そうしていると、嫌が上にも一年前の出来事が脳裡に甦る。お須万と半月ぶりに〝みやこ〟の前で再会したあの日、自分を見ていた嘉一のまなざしの冷たさ、険しさがまざまざと思い起こされる。
 瓦版を読む限りでは、実直で働き者の男なのだろう。きっとお須万の良き伴侶となり、伊勢屋の身代をこれまで以上に揺るぎない盤石のものにするに違いない。
 だが、一年前の夕暮れ、清七をうろんな眼つきで睨(ね)めつけてきたあの嘉一という男を何となく厭な奴だと思ってきた清七にとっては、複雑な心境であった。
 あの時、嘉一は明らかに清七がお須万と何らかの拘わりがあることを見抜いていた。朴念仁とはいわれていても、生き馬の眼を抜く商人の世界を生き抜いてきた男だ、人を見る眼、人の機微を見抜く眼の確かさは本物だろう。
 その鋭い勘で、あの時、嘉一は清七をお須万と拘わりのある男とし警戒していた。あのときの嘉一の眼は、あたかも自分の大切なものを横から奪われるのを怖れているかのようにも見えた。嘉一の態度を思い出せば、嘉一があの頃既にお須万を一人の女性として見ていたは疑いようもない。
 別に綺麗事を今更言うつもりはさらさらないけれど、お須万が幸せに―今度こそ女としての幸せや安らぎを得られるというのであれば、清七はたとえどんな男がお須万の良人となろうと頓着はしなかった。
 しかし、嘉一という男のあの冷え冷えとしたまなざしを思い出すと、何故かこの結婚をお須万のために心から祝福してやることはできなかった。
 それとも、自分はあの男に嫉妬しているだけなのか。いまだにお須万に対して未練がましい執着を抱き、お須万が清七ではなく別の男を選んだことに腹立ちを感じているのか。清七は自分の心が自分で判らなかった。
 だが、ある考えに行き当たった時、清七は愕然とし、更にそれだけは許せないとやり場のない怒りに震えた。そう、嘉一がお須万の新しい良人となるということは、即ち、お須万の生んだ赤ン坊の父親になるということでもある。
 お須万が年の変わった今年早々、無事に女の子を生み落としたことは、清七も風の便りに聞いて知っていた。
 瓦版では締めくくりに、こう記してあった。お須万は、これまで亡夫に操を立て続けてきた。貞女の鏡のような美人内儀がある日突然、父親の判らぬ子を出産した裏には、相応の事情があり、生まれた子の父親こそが嘉一ではないのか。そこら辺りを察した理解ある信濃屋惣兵衛が粋な計らいで、想い合う二人を結びつけるきっかけを作ってやったのではないか、と。
 お須万から生まれた女児の父親の名はいまだに明かされてはいない。
 身持ちの堅いと思われてきた伊勢屋の未亡人が身籠もったという衝撃的な事実が露見した時、世間では相当の物議を醸し、様々な憶測が入り乱れた。むろん、人々の関心の的は、内儀の腹の子の父親である。
 嘉一とお須万の突然の結婚はあくまでも信濃屋の取り持ちによるもので、二人が自らの意思で接近したのではないのだろうとしながらも、瓦版の筆者は、二人の間には子を生すほどの深い事情が秘められていた可能性もあると、全く正反対の二つの推論を述べている。つまるところ、謎めいた美貌を持つ伊勢屋の内儀の結婚の真実は、誰にも判らないのだ。
 が、この際、お須万と嘉一の関係がどうであったかなぞ、清七にはどうでも良くなっていた。恋愛関係の有無に関わりなく、現実として、お須万は嘉一と夫婦となることを決めたのだ。最早、清七が何をどう言おうと、その事実が変わるわけではない。