アトリエの恋
インターホンに向かって云うと、すぐにドアが開けられた。
現れたのは老婦人だった。
「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ。嫁は急用で出てしまいましてね。でも、決定権を託されてます。ご安心ください」
広いリビングのソファーでは、立ち会うために老婦人の夫が待っていた。名刺を阿坂がその人物に渡した。老婦人は茶を淹れると云って去った。
阿坂は外国の港の風景を描いた大きな絵が、壁に飾ってあるのを発見した。以前、さやかと公募展の会場で観て感動した絵だった。
「素晴らしくいい絵がありますね。このマチェールがたまらない魅力です。構図も素晴らしいものです。風景画というものはこういう風にヴァルールが整ったときに初めて感動を与えるものだと思いますね」
驚いたような顔つきで老人は云った。
「絵がお解りのようですな。これは私がマルセイユで描いてきたものです。」
「そうですか。失礼ですが、職業画家のかたでしょうか。アマチュアの域を遥かに超えていると思うのですが」
「まあ、一応その端くれです」
「そうでしょう。確か、田野倉康祐先生とおっしゃるのでは?」
老人は笑顔になった。
「よくご存じでしたな。あなたもお描きになるのかな?」
「わたしも一応風景画家を標榜している者です。先生のお作は画廊でも美術雑誌でも拝見して、憧れていました」
老婦人が三人分の湯のみを盆に載せて戻って来た。