アトリエの恋
さやかはバスの中でそれを受けた。そのバスの乗客は彼女だけだということが判った。
さやかを乗せたバスが接近すると、阿坂はまた手を振ってみせた。さやかは阿坂の浴衣姿を見て驚いていた。
「浩樹さんも浴衣だったのね!驚いちゃったわ。紺色で、お揃いみたいだわ」
さやかの表情はこれまでに見せたことのない、大きな歓喜を顕わしていた。
「本当だね。二人とも紺色だ!」
「嬉しい!一生忘れない花火大会になるわ」
「やったね!今日から夫婦になったような気がするね」
「それは飛躍し過ぎだけど……そうね、夫婦ごっこしましょ」
「夫婦ごっこ!それは一体、どういう『ごっこ』なんだろうね」
「……あなた。今夜は早くお帰りになってね」
「ノリノリだね。じゃあ、今夜は背中を流してくれるかい」
「それは十年早いわ」
「十年!それは長すぎる春ってもんだね」
「もう駅に着くわよ。あんまり調子に乗ってると怪我するわよ」
花火会場の最寄り駅の交番で、鑑賞の穴場はないかと尋ねると、まるで逆方向を教えられた。阿坂は混雑緩和のために嘘を教えているのだと気付いた。何年か前に、ほかの交番の巡査が同じように嘘を云っていたのを思い出した。しかし、阿坂はその方向へ歩き出した。