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My Godness~俺の女神~ Ⅲ

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 もしかしたら、今なら、まだ間に合うかもしれない。もっとも、潔癖で完璧性を求める潤平の性格からすれば、他の男の子を身ごもった女をこれまで同様、求めてくるとは考えがたかったが。
 だが、どうしようもない状況に置かれた時、
真っ先に思い浮かんだのは彼であり、側にいて欲しいと願うのも彼だ。ならば、後はもう当たって砕けろでいくしかない。
 実里はお腹の子どものことも潤平にきちんと話すつもりだ。生むかどうかは―今のところ、判らない。潤平が堕ろしてくれと望むなら、もちろん、従うつもりでいた。
 妊娠を打ち明けるならば、レイプのことも話さないわけにはゆかないだろう。第一、実里にしても、あの卑劣漢―溝口悠理の子どもなど生みたくはない。愛も労りもなく、ただ憎しみに駆られ、欲情の赴くままに陵辱された末に身籠もった子なんて、こちらから願い下げたいくらいだ。
 実里はF駅まで引き返し、電車に乗った。私鉄沿線でふた駅先で降りる。潤平が両親の住むF町の自宅を出て一人住まいを始めたのは、大学を卒業後、就職してからのことだ。勤務先の広告代理店がこのN町にあるので、N駅前の瀟洒なマンションに暮らしている。
 交際期間は八年に及ぼうとしているが、実のところ、実里がこのマンションを訪ねるのは数えるほどの回数でしかなかった。潤平は
会社に実里が電話してくるのも嫌うし、必要以上に私生活に踏み込まれるのも歓迎しなかったからだ。
 その癖、自分は休日には度々、実里の家を訪ねている。だから、父も母も潤平のことはよく知っているし、娘にとって彼が〝特別な存在〟であると信じている。今更、結婚しないだなどと言えば、二人とも腰を抜かさんばかりに愕き、ショックで寝込むかもしれない。 私生活に実里を踏み込ませたくない癖に、自分は実里の家に平然と恋人として出入りする。そんなところにも、潤平という男の身勝手さがよく現れていた。
 むろん、実里もそれに気づいていないわけではない。が、これまでは敢えて、気づかないふりをしてきたのだ。
 潤平のマンションに着いたときには、既に午後七時近かった。この時間ならば、彼も既に帰宅しているはずだ。
 いきなり現れるよりは先に連絡しておいた方が良いと判断し、携帯を出して電話してみた。だが、やはり、潤平は出ない。
 実里は唇を噛みしめた。まだ帰っていないのだろうか。しかし、ここで引き返せば、折角の決意が鈍ってしまう。今夜、ここで実里の本心とありのままの事実を打ち明け、それでも彼が実里を妻として必要とするならば、実里は彼のプロポーズを受けるつもりでいた。
 これまでの彼の性格を考えれば、あまり可能性はなさそうではあるけれど、少なくとも、実里自身が次へ踏み出すきっかけにはなるに違いない。
 部屋の前まで待つというのも、これまた避けたい選択肢ではあったが、致し方ない。これから来るであろう瞬間にすべてを賭けて、実里はここまで来たのだから。
 エントランスを通り、エレベーターに乗り込む。十二階のボタンを押すと、そこが点滅しながらエレベーターは軽やかに上昇してゆく。
 エントランスまで来たことは数回あるけれど、エレベーターに乗るのも潤平の部屋を訪ねるのも初めてだ。それにしても外見同様、内装も見事な、都会の一流ホテル張りの豪華さを誇っている。
 実里が暮らす古い二階建て住宅とは雲泥の差だ。あの界隈は今ではどこの家も建て替えて、瀟洒な住宅街に変わってしまったが、実里が物心つくかつかない頃は、まだ、どこも似たような簡素な家ばかりだった。
 しがない公務員だし、建て替えるだけのお金もなかったのだろうが、頑固で昔気質の父は自分の親の代から受け継いだ家を頑なに守り続けている。
 これだけの贅を尽くしたマンションに暮らしていれば、実里の家は潤平の眼にはさぞ貧相に映じたことだろう。たまに訪れる彼は、どこまでも穏やかな物腰の好青年にしか見えず、両親は大いに彼を気に入っていた。しかし、にこやかな笑顔の下で、潤平は何を考えていたのか―。
 十二階に着いた。実里はエレベーターから滑り降りると、突き当たりに向かって進んだ。紅い絨毯を敷き詰めた廊下はゆったりとしており、やはり有名ホテルの優雅な雰囲気を漂わせている。
 インターフォンを軽く押すと、ほどなく内側から応答があった。
「どちらさま?」
 その聞き慣れぬ声に、実里は慄然とした。
あろうことか、その声の主は女性であった。
 向こうで、やりとりする気配が伝わってくる。声は低くて聞き取れない。男と女の声。やはり、潤平はマンションにいたのだ。
 やがてカチャリと内側からロックが外され、重厚なドアが開いた。
「あら、どなた?」
 出てきたのは、実里の見たことのない女だった。背の高い、すらりとした容姿は艶然と咲き誇る深紅の薔薇を思わせる。愕いたことに、女はオフホワイトのバスローブを身に纏っていた。漆黒の丈なす豊かな黒髪はまるでそれ自体が意思を持っているかのようにうねり、濡れている。
 化粧はしていなかったが、白皙の面にそこだけ一点、緋色のルージュが艶めかしくもあり毒々しくもあった。
「潤ちゃん、可愛い子が来てるわよ」
 〝潤ちゃん〟の部分だけがやけに強く聞こえたのは、気のせいだろうか。
 次いで潤平が姿を現した。
「何だよ、美津江。客か?」
 これだけゴージャスな美女を相手にしても、傲岸で俺様な物言いは変わらないところは潤平らしい。
 やはり潤平もお揃いのバスローブ姿だ。慌てて着たのか、バスローブの前ははだけ、逞しい胸が覗いている。
 お揃いのバスローブを身に纏った二人が直前まで何をしていたか。流石に男女のことには疎い実里にもすぐ理解できた。
「あなたって、最低」
 乾いた音が静寂に響き渡った。殴られた潤平は何が起こったのか判らないようなポカンした表情である。
 それもそうだろう。つきあい始めて八年間、実里が初めて見せた、ささやかな〝反抗〟だったのだから。
 いつも従順で、表立って潤平の主張に逆らったことなど一度もなかったのだ。
 少し力を込めすぎたかもしれない。潤平の頬を打った手が痺れる。実里は踵を返すと、そのままエレベーターに向かった。
 背後で潤平が何か叫んでいるようだったが、無視する。やって来たエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押した。
 実里を乗せた箱は途中で二度、止まった。乗り込んでくる人がいたからだ。一度目は若い夫婦者らしく、小さな子を連れていた。一人は男の子で三歳くらい、一人は性別までは判らないけれど、ベビーカーに乗った生後半年くらいの赤ちゃんだった。
 これから出かける予定でもあるのだろうか。実里は睦まじげに語り合う夫婦が連れている赤ん坊を覗き込んだ。つぶらな瞳、小さな手と足。少し力を込めれば、折れてしまいそうな大切な壊れ物。
 不思議な気持ちだ。今、自分の胎内にはやはり赤ちゃんが宿っていて、今この瞬間もめざましい勢いで育っている。
 あと一年もしない中に、その小さな小さな生命はこんな立派な人の形をした赤ちゃんになる。