My Godness~俺の女神~
親父の人生は再婚もせずに男手一つで俺を育て、四十三で死ぬまで働きどおしで働いて、何も良いことなんてなかった。親父が死んでから、俺はすぐに高校を止めた。元々、勉強なんて嫌いだったし、学校に行くよりは働きたいと思っていたんだ。
それでも真面目に勉強し学校にも通っていたのは、すべて親父のためだった。親父は俺に教師か公務員になって地道に生きて欲しいと願っていたから、その望みを叶えるためにやっていた。
でも、その親父ももう死んだ。母親は十七年前に出ていったきり、どこにいるのか、生きているのかも判らない。俺を辛うじてつなぎ止めていた細い糸がプツリと音を立てて切れたようだった。
最初はガソリンスタンドでバイトしていたが、もっと収入が良い仕事を探している中にスナックのウエイターの求人が見つかった。夜の仕事に入ったのは、それがきっかけだ。
俺の母親は貧乏だった親父を棄てた。それなら、もっと一杯稼いで金持ちになってやれれば、どこかで生きているかもしれないあの女を見返してやれる。そう思った。
毎日、がむしゃらに稼いだな、あの頃は。今から思えば、あの時期はただ目的もなく、母親を見返したいがために、あがいていただけだった。
早妃に出逢ったのは、そんな頃。ある日、近くのキャバクラの女の子数人が連れ立って、俺のいるスナックに来た。その中に早妃がいた。ひとめで可愛い子だなと思ったよ。
色の白い、透き通るような肌で、眼が大きいんだ。俺はよく知らないけど、最近、韓国のKポップとかが日本でも流行ってる、あの韓流スターのKARAとかいう女の子のグループにでもいそうな感じの娘だった。
背も高くて脚が凄く長い。スタイルも抜群だった。数人いた子たちの中でも、早妃はとても目立っていたし、絶対に忘れられない強烈な印象を受けた。
初めて皆と来てから、一週間もしない中に今度は一人で来てくれて。それで、親しくなったんだ。彼女も俺と似た境遇で育ったんだと判って、尚更、距離がぐっと縮まった。早妃は父親が三歳のときに女を作って出ていったらしい。俺とは反対だ。俺たちが出逢ったときには、両親とは音信不通になっていた。
三度めにスナックに来た時、突然、早妃をよく指名するという客が来た。どうも早妃はそいつのことが嫌いらしくて、逃げ回る早妃をそいつがしつこく追いかけ回していた。カウンター席の早妃と俺が話し込んでいる最中に、そいつが急に現れて、嫌がる早妃を無理に引っ張っていこうとしたから、俺はそいつをぶん殴って、それで店を辞めさせられた。
別に後悔はしてない。俺たち、二人とも頼れるような親もいなかったし、その日から早妃は俺のアパートで暮らし始めた。また、あのイヤな客が早妃のところまで押しかけてこないとも限らなかったからね。
早妃と暮らすようになってから、俺はホストクラブで働くようになった。早妃はアパートの家賃や生活費を出すと言ったけれど、俺は頑として受け付けなかった。当たり前だろ、男として女の面倒見るのは当たり前だもの。その時、俺は十八、早妃は十六だった。
早妃も店を変えた。そこの店は前のところほど大きくはなかったが、前の店のように女の子たちに売春させたりとかしない、風俗にしては比較的、良心的な店なのも俺は安心できた。
でも、男なら、誰でも自分の女に風俗の仕事なんてさせたくないのは当たり前。俺は同棲を始めてから二年目にそのことをはっきりと早妃に伝えた。早妃は俺の意を受け入れてくれて、十五歳から十八歳まで続けていた風俗嬢の仕事から脚を洗った。
俺も早妃と結婚してからは、客と寝るのは一切、止めた。どれだけ金を積まれても、客の誘いには応じなかった。
それから、俺は更にコンビニのバイトも始めた。早妃も昼間、同じコンビニで働くようになった。俺は普段はホストクラブに行かなければならないし、コンビニのバイトは週末の限られた時間しかできなかった。
正直、早妃がキャバ嬢をしていた頃より、家計は苦しかった。男なら女の面倒を見るべきだなんて偉そうなことを言っても、二人の生活は俺の収入だけでは賄えないこともあった。そんなとき、早妃は黙って足りない分を出してくれた。
しかし、早妃が風俗を辞めてからは、それも頼りにはできなくなった。金のことを思えば、正気なら絶対にその気にならないような客相手でも寝た方が良かった。でも、俺はどんなことがあっても、それだけはしなかった。
俺には早妃がいる。早妃が側にいてくれるだけで、幸せな満ち足りた気持ちになれるから、この世の終わりが来たって、他の女と関係を持つ気にはなれなかった。
早妃が堅気に戻ってほどなく、俺たちは正式に籍を入れた。結婚式なんてものもやれなかったから、よくチラシに載ってる写真だけの結婚式ってのをやった。別に男はそういうのって、たいして拘りはない。でも、女ってのは、一生に一度だから、ちゃんと形にして残しておきたいものだろうと思って。
早妃は白無垢、俺は柄にもなく紋付き羽織袴。当日は俺も滅茶苦茶、緊張しまくった。あんまり硬くなってるんで、写真館のおじさんに
―背中つついただけで、前に倒れそうやな。
と大笑いされた。
早妃は言うまでもない、めっちゃ、綺麗だった。俺は花嫁さんなんてあまり見たことはない。そんな俺でも、世界でいちばん綺麗な花嫁さんじゃないかと思ったよ。それくらい眩しいくらい綺麗だった。
今でも早妃は時折、そのときの写真を出してきて、嬉しそうに眺めている。早妃が幸せなら、俺も幸せだ。こうやって、その気にもならないおばさんの相手するのも我慢できる。
「悠理クン?」
客の声で現実に引き戻され、俺は慌てて笑顔で取り繕った。
「済みません。つい、ボウっとして」
客は本当は人の好いおばさんなのだ。俺の物想いも言葉通りだと思ってくれたらしく、シャネルのバッグからニナ・リッチの財布を無造作に取り出し、中から一万円札を数枚引き抜いた。
「これでお母さんに何か栄養のつくものでも買ってあげなさい」
妙なもんだと思う。つい今までは俺を恋人扱いしていた癖に、こういうときは、この人は息子に対するような物言いをする。
もしかしたら、俺の母親も今頃は息子のような歳の若い男と一緒なのかもしれない。元々、亭主と息子を棄てて男の許に走るような無節操な女だ。自分の母親が今の客とふいに重なり、俺は堪らない不快感に駆られた。
思わず渡された数万円を突き返してやりたい衝動を襲われた。しかし、これを返すわけにはいかない理由があった。
俺は握りしめた指の関節が白くなるくらい強く力を込めた。
具合の悪い身内がいるというのは満更、嘘ではない。早妃の具合が良くない。
結婚しているというのは店には内緒だ。基本的に彼女、恋人というのは許されるが、妻子持ち、所帯持ちは規格外である。まあ、そこは余計な揉め事を避けるための店側の配慮だろう。なので、早妃は妻ではなく、あくまでも同棲中の彼女ということにしていた。
早妃の胎内には今、俺の子どもが宿っている。妊娠が判ったのは四ヶ月前のクリスマスだ。早妃が
―できたらしいの。
と言った時、俺は一瞬、ポカンとした。何のことなのか本当に判らなかったんだ。
作品名:My Godness~俺の女神~ 作家名:東 めぐみ