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My Godness~俺の女神~

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「悠理クンに逢うから、新しい香水つけてみたんだけど、どうかしら?」
 上目遣いにあからさまな媚を含む眼で掬い上げるように見つめられ、俺は顔が引きつりそうになるのを必死で堪えた。ひと月前に付けてた香水の方がまだマシだったよ、とは口が裂けても言えない。
 俺はできるだけ笑顔が自然に見えるように祈りながら言った。
「この前のも良い感じでしたけど、今日のはまた格段に良いですね。何かこう、花の香りをイメージさせるようで」
 花は花でも、反吐が出そうな毒花ですけど。
 と、心の中で余計なひとことを付け加えた。
「悠理君に一ヶ月ぶりに逢うから、気合いを入れてシャネルを買ったの。褒めて貰えて良かったわぁ」
 と、外見はともかく、大袈裟な身振り手振りだけは十代の女子高生のような女を俺は冷めた眼で見つめる。
「俺に逢うから、わざわざ? 実沙さん、そんな男を歓ばせること、言いっこなしですよ~。そんな可愛い科白を聞いたら、俺、本気になっちゃうかもしれませんよ?」
 こんな心にもない科白を口にするときの自分がイヤで堪らない。
 が、流石に、女もこの科白を真に受けるほど世間知らずではない。五十二歳なりの分別は持ち合わせている。
「まあ、そんなお世辞なんて、こんなおばさんに言う必要はないのよ。私はここに来て、悠理君の顔を見るだけで幸せになれるんだから」
 相手は俺の言葉を信じてはいないようだ。
 俺はもっともらしく見える笑顔―とびきりの微笑で更にとどめを刺す。大概の女はこれでイチコロだ。この笑顔が何よりの武器になることを、俺は四年のホスト勤めでイヤになるくらい学んだ。
「実沙さんって、俺と同じ歳の息子さんがいるんでしょ? 到底、そんな歳には見えませんって」
「まァ、口がうまいんだから」
 と言いながらも、満更、悪い気はしないといった表情である。
 ああ、反吐が出そうだ。元々、俺は息をするように嘘をつくのが得意でもないし、好きでもない。
「うちのドラ息子とは大違い、悠理クンって、可愛いわ。ほら、俳優のむか、そう、向井理に似てるわよねえ」
 実はしょっちゅう客からも言われることだが、ここはむろん、素知らぬ顔を通す。
 俺はわざとらしく愕いた風を装った。
「ええー、俺と向井さんじゃ、それこそ月とスッポンっすよお」
「あらあ、向井くんて、クールに見えて、意外に情熱的でナイーブそうなところ? 相反する魅力っていうのかしら、そういうのがあるじゃない。悠理クン、もちろんルックスも似てるけど、そういう内面的なものが何か似てるような気がするのよぅ」
「ハハ、そうっスか? まあ、そう言って貰えて悪い気はしませんけどね」
 俺は照れたように頭をかき、はにかんだ風に笑って見せた。
「ホント、うちの息子も悠理クンみたいにイケメンだったらねぇ。うちの子は亭主に似て、ルックスはからきし駄目なのよ。もう冬眠中のカバみたいなの」
「冬眠中のカバ、ですか?」
「そうよ、見た目も中身も面白み一つないわぁ」
「いえ、実沙さんの息子さんなら、きっと実沙さんに似て今風のイケメンに違いないですよ。俺なんか足許にも寄れないですって」
「フフ、本当に口が上手なのね」
 馴れ馴れしく肩に手を置き、耳許で囁く。
「ねえ、この時間が終わったら、アフタで私とどこかに行かない? できれば悠理クンと二人だけになれる場所が良いわ」
 おっと、この女もとうとう来たか。俺は鳥肌立ちそうになるのを我慢して、やんわりと手を払う。
「俺も是非、そうお願いしたいところなんですけど、店の規則でそれは禁止されてるんで」
「あらぁ、でも、どうせ皆やってることでしょ。貢(みつぐ)クンや聯(れん)クンなんて毎度のことじゃない?」
 貢と聯というのは、この店のホスト仲間だ。俺が以前、接客中だった時、この女の相手を一、二度したことがある。
 俺はわざとらしく拗ねた声を出した。
「実沙さん、俺がいるのに、貢や聯とアフタに行ったの?」
 俺の気を惹くことができた―と女は思い込んだらしい。忽ち嬉しげに顔を綻ばせた。
「あらぁ、私には悠理クンがいるのに、何で他の子とアフターに行ったりするものですか。私には悠理クンだけ」
 女が更に口を近づけ、生暖かい吐息が直接、耳朶に吹きかけられる。俺は全身、総毛立った。
「ちょっとだけ、悠理クンに焼きもちを焼かせてみたかったの。フフ、嫉妬する悠理クンも可愛いわ」
 何という救いがたい勘違い女! 
 俺は心の中で毒づき、それでも極上の笑みは絶やさなかった。
「お袋の具合が良くないもんで。今日は早く帰らないといけないんです」
 女はマジで心配そうな顔をした。こんな時、俺は人の好いこの中年女を騙している自分がこの世の中で最低最悪の男だと思わずにはいられない。
 この女は確かに恋愛対象にはならないが、それは何も女のせいではない。彼女はただ日頃、満たされない心の隙間を埋めたくて、ここに来ているだけなのに。
 この女だって、淋しいに違いないのだ。ここに来る女たちは皆、幸せではない。第一、幸せならば、こんなところには来ないだろう。少なくとも、表面的には満たされた生活をしていながらも、心は飢えて渇いた哀れな女たち。
「まあ、それは心配ね」
 女は珍しく少し考え込む素振りを見せた。
「悠里クンのお母さまはお幾つ?」
「四十四ですけど?」
 女は露骨に愕いた顔をした。
「まあ、若いのね、私より八つも下なの」
 母親が四十四だというのは本当のことだ。ただ、今も生きていればの話だが。
 大体、男を作って幼稚園児の息子を一人、ほっぽり出して家を出ていったような女、今更、母親だなんて思いたくもないし、思ったこともない。親父はあの女のせいで、一生を棒に振った。毎日、日雇いの工事現場で汗水垂らして働いて、挙げ句に過労死で呆気なく死んだ。それが今から数年前のことだ。
 親父が死んでから、俺は今の仕事についた。昔気質の生真面目な親父が生きていれば、ホストになんぞ間違ってもならなかったろう。
 親父と母親は熱烈な恋愛結婚だと聞いている。名家の一人娘だったお嬢さまと家庭教師の恋だなんて、今時、昼メロでも流行らないが、俺の両親はその下手くそなメロドラを地でいった。
 だが、我が儘に育った母親はろくな稼ぎもない父親に直に愛想を尽かした。二人が出逢ったのは母親が高校一年、親父が大学三年のときだ。母親が高校卒業するのを待って、二人は手に手を取って遠くの町に行き入籍したが、妄想的恋愛はそこで終わった。
 母親は貧乏を嫌悪し、事あるごとに父を不甲斐ないと責め立てた。そしてついに、俺が五歳のときに突然、男と逃げた。母親がいなくなった日、父は俺を抱きしめて男泣きに号泣した。
―ごめんな、父ちゃんが甲斐性ないばかりに、ごめんな。
 悪いのは何も親父じゃない、勝手に男を作って出ていった母親だったのだが、幼い俺はそれを言葉にして伝えるすべはなかった。
 不器用で、生涯、社会の片隅で細々と生きていたような人だったけれど、俺は少なくとも親父を好きだったし、尊敬もしていた。