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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅳ

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 ここら一帯には緋薔薇が植えられていて、夜目にも鮮烈な色が際立っている。数千といわれる薔薇が一斉に咲き乱れると、濃厚な香りが立ちこめて何か匂いそのものに幻惑されてしまいそうでもあった。
 月明かりに一面の薔薇が照らし出されている。改めて自分の両手をしげしげと眺め、誠恵はあまりの怖ろしさに叫び出しそうになった。
 甘い匂いを撒き散らし咲き誇る薔薇は、禍々しいほど鮮やかな血の色。そして、今日、自分はまたしても、この手を血の色に染めようとした。最初は愛する男の、次は自分を一途に姉と慕う幼い王子の血でこの手を染めようとしたのだ。
 だが、結局、誠恵にはできなかった。光宗の薬に毒を入れることもできなかったし、幼い世子を手にかけることもできなかった。
 このままでは自分は〝任務〟を果たせず、自分と家族は孫尚善に殺される。
 焦りだけは募っても、誠恵に光宗を殺せるはずなどないのだから、道は八方塞がりに相違なかった。
 孫尚善は大きな誤算をしてしまった。それは、刺客として送り込んだ誠恵が殺すはずの男を愛してしまったことだ。よもや真は男である誠恵が同性の王を愛することなどないと思い込んでいたのか、それとも、役に立たなければ消せば良いだけの捨て駒として見なされていたのか―。
 そのときだった。背後から忍びやかな脚音が聞こえ、誠恵は身構えた。
 全身に緊張を漲らせて振り返ると、前方に立っているのは大殿内官、柳内官であった。
 この男は油断できない。いつか薬房で王の煎薬に毒を潜ませようとしていた時、この男に見つかった。正確にいえば、現場を見られたわけではないが、結局、柳内官の阻止によって〝任務〟は阻止された。
 光宗が無事であったことを思えば、柳内官には礼を言いたい。しかし、この男は当の光宗に誠恵が王の薬に毒を入れようとしたと報告した。国王に絶対的忠誠を誓う内官であれば当然のことではあるが、あの後、誠恵は光宗自身からその件について追及されたのだ。
 幸いにも光宗は〝緑花〟に夢中で、柳内官の言葉よりは〝緑花〟の言葉を信じたようだが、あの件以来、柳内官が自分を見る眼が厳しくなり、隙あらば、その正体を暴こうとしていることは明らかだ。
「ホホウ、その隙のない身のこなしは、ただ者ではないな。到底、一介の女官とは思えない。まるで、刺客のようだ」
 意味ありげな笑みを浮かべる柳内官の貌は、夜目にも不気味で凄みがあった。
 誠恵はキッとしたまなざしで柳内官を見つめた。
「何が仰りたいのですか?」
 柳内官は余裕の表情で腕を組んだ。
「今、大妃殿は上へ下への大騒動だ。何しろ、世子邸下が何者かに首を絞められかけて、あわやご落命なさるところだったのだから」
 無言を通す誠恵に、柳内官が誘いかけるように言った。
「張女官は世子邸下のお気に入りだったはずなのに、こんなところで薔薇見物などしていて良いのか? それとも、後ろ暗いところがあって、大妃殿には顔を出せないとでも?」
「柳内官! 言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさい。私は殿下の恩寵を賜っている身です。無礼な態度は許しません」
 胸をそらして言ってやると、柳内官は鼻を鳴らし、皮肉げに口の端を歪めた。実直な務めぶりで知られる柳内官でも、このような表情をするのかと内心、誠恵は愕いた。
「そなたは、殿下の寵愛を受けていない。殿下がそなたには甘いのを良いことに、皆を上手く騙せおおせていると思っているようだが、私がそのことを知らぬとでも思うたか? あまり私を見くびらないで欲しいものだ」
 柳内官は低い声で決めつけると、反応を確かめるように誠恵の顔をじいっと見つめた。
 嫌な眼だ。まるで心の奥底を見通すような強いまなざしに、誠恵は思わず視線を逸らす。
 柳内官は確かに光宗にとっては必要不可欠な忠臣には違いないが、光宗を守り抜くためには、どこまでも冷酷になれるといった一面を持っている。
「そなたの望みは一体、何なのだ? 何が目的で王宮に紛れ込み、殿下のお心をかき乱すのだ?」
 冷ややかに問われ、誠恵は淀むことなく、すらすらと応えた。
「復讐」
 どうせ、この切れすぎるほど頭の回る男には何をどう言い繕っても無駄なことだ。それなら、そろそろ本音を少しくらいは語ってやっても良い。半ば投げやりな気分で誠恵はそう言ったのである。
 彼女が口にした、たったひと言がかすかな寒気を彼にもたらしたかのようにも見えた。
 かすかに眉を顰めた柳内官に、誠恵は淡々と他人事のように語る。
「私は貧しい辺境の村で生まれた。貧しさゆえに身を売った村の大勢の娘たちがいる一方で、都の両班や王室、国王は私たちから不当に搾取するばかりだ。お前には、民の恨みの声が聞こえぬか? 何故、自分たちだけが安逸を貪り、貧しい者だけが働きどおしに働いても一向に暮らしは楽にならぬのかと嘆く人々の声が。私は威張り返った両班や王族を憎んで育ったのだ」
 流石に自分が男であることまでは話せなかったが、柳内官に告げた話はすべて本当だ。
 男の自分までもが身体を売らなければならないほど、一家の暮らしは追いつめられていた。
 実の父親に酒代欲しさに売り飛ばされた時、誠恵はどれほど都の国王や、両班を呪っただろう。彼等への果てなき憎しみは海よりも深かった。
 だが、次の瞬間、柳内官が誠恵に向けた言葉は、彼自身でさえ予期せぬものだった。
「さりながら、そなたは国王殿下をお慕いしているのだろう? 殿下に惚れてしまったそなたが領議政の言うなりに殿下のお生命を奪えるのか? この国にとって、殿下が太陽のごとき存在であることは、もうもそなたにも判っているはずだ。判っているからこそ、そなたは今日、領議政を裏切り世子邸下を手にかけようとしたのではないか?」
「―止めろ!」
 誠恵は悲鳴のような声で怒鳴った。
 取り乱すあまり、言葉遣いが不自然になっているのにも気付かなかった。
「自分でよく考えるが良かろう。領議政の放った猟犬の役目に甘んじるのか、逆に古狸の喉許に喰らいついてやるのか」
 静かな声音と共に、脚音が遠ざかってゆく。
 誠恵の眼から次々と大粒の涙が流れ落ちる。
 甘い香りが鼻につく。
 芳しい香りもここまで濃厚になると、かえって、どこまでも纏いついてくるようで不快にさえ思えた。
 淡い闇の中で艶やかな真紅の薔薇が咲いている。
―領議政の放った猟犬の役目に甘んじるのか、逆に古狸の喉許に喰らいついてやるのか。
 柳内官の今し方の科白が脳裡で大きく反響した。

 その三日後、誠恵は趙尚宮に許可を得て出宮した。というのも、前日に月華楼の女将香月から張夫人を通じて手紙が届き、一度、顔を見せるようにと書いてあったからだ。
 五月の初めに入宮して以来、繋ぎはすべて手紙のやり取りで行ってきた。香月からは何か大切な指示があるときは月華楼で直接伝えると言われていたのに、実際にそんなことはなかった。