小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅳ

INDEX|1ページ/9ページ|

次のページ
 
趙尚宮はすぐに緑花の居室に女官を呼びにやらせたが、部屋はもぬけの殻であった。念のため、心当たりを趙尚宮が方々探させたものの、結局、見つからず、恐縮する趙尚宮に見送られ大殿に戻る途中に、ふと人影に気付いて脚を止めたのだった。
 そして、その場所がかつて緑花と世子が愉しげに遊んでいたところであったことを思い出した。そのときは、むろん、緑花が世子の相手をしてやっているのだとばかり思った。
 だが、どうも様子が妙だ。緑花がいつになく思いつめたような眼で世子を見つめている。利発とはいえ、幼い世子は緑花の異常さには気付いていないようだ。
 声をかけるのもはばかられる緊迫した雰囲気と危うさが二人を取り巻いていた。光宗は物陰から、しばらく二人を見守っていた。
 と、突如として、緑花が世子の首に手をかけたのである。
 咄嗟に二人の前に駆けてゆこうとした光宗は、思いどおりに動こうとせぬ身体が歯がゆかった。一度は世子から手を放した緑花だったが、ややあって、再び世子に近づいたのを見たときは、これはもう駄目だと思った。
 漸く、このまま見ていてはやはり危険すぎると一歩踏み出しかけたまさにその時、緑花が突如として世子から離れた。
 緑花は逃げるように、気絶した世子一人を残して走り去った。
 光宗は慌てて倒れた世子に駆け寄り、脈や息遣いを確かめ、世子が無事であることを確認した。
 ぐったりとした世子を抱きかかえながら、彼は漸く柳内官の進言が嘘ではなかったのだと思い知らされた。
 張緑花は、ただの女官ではない。それは今日の彼女を見て、ひとめで知れた。恐らくは刺客だろう。それにしても、彼女の標的は誰なのか。世子を手にかけようとしたからには、世子を邪魔者だと思う一味の仕業だろうが、そんな輩は一人―考えたくもないが、左議政孔賢明くらいしか思い浮かばない。
 しかし、伯父は一見狡猾そうで何でもやりそうに見えるが、なかなか小心で、危ない橋を渡ることはまずない。成功すれば良いが、失敗すれば己れの首を絞めることになる世子暗殺などを簡単に企んだりはしない。つまりは、それほどの度胸もないが、そこまで無謀な賭けに出る愚か者でもないということだ。
 だとすれば、一体、誰が幼い世子を亡き者にしようとするだろうか? 
 光宗は思い当たる人物を一人一人数え上げてみたが、いずれも腹黒いが保身を最優先させる大臣たちばかりで、ここまで思い切ったことをやりそうな者はいない。
 と、彼の中で閃くものがあった。
 一人の男の貌が暗闇の中にぽっかりと浮かぶ。上辺だけは穏やかで柔和な好々爺といった風を装っているけれど、その下にどれだけ怖ろしい素顔を隠し持っているかを光宗は知っている。不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下したような視線を寄越す―、それが領議政孫尚善の正体だ。
 派閥を抜きにして考えれば、己れの身を危うくする危険を冒してまでも大それた謀を巡らせそうなのは孫尚善しかいない。
 緑花が何者かの命を受けて王宮に忍び込んだ刺客であるのは確実だが、仮に領(ヨン)相大(サンテー)監(ガン)の意を受けたとすれば、何故、領議政の孫である世子を緑花が狙うのかが判らなくなる。
 唐突にある考えに行きついて、光宗は思わず息を呑む。
 もし、緑花が領議政を裏切ったのだとしたら?
 それは怖ろしい予感を伴って、光宗の心を稲妻のように駆け抜けた。
 もし、緑花が領議政を裏切って世子を殺そうとしたのだとしたら?
 緑花は間違いなく消されるだろう。
 彼女が何故、そのような無謀ともいえる行動に出たその理由は概ね察しがついた。
 他ならぬ自分のせいだ。
 領議政が恐らく、国王光宗を暗殺せよと命じたのは間違いない。世子の外祖父であり、先王の中殿、今は大妃となっている孫氏の父領議政にとって、最も目障りなのが国王だからだ。
 仮に永宗が若くして崩御しなければ、何の問題もなかった。永宗の後はその嫡流の王子誠徳君が継ぐはずだった。しかし、永宗の崩御によって、領議政の深遠な野望は阻まれたかに見えた。永宗の崩御時、誠徳君はまだ二歳にすぎず、朝廷の大臣の大半は永宗の同母弟慎徳君に次期王位継承を願った。時に十四歳の慎徳君がその声に推されて即位、光宗となった。
 光宗―彼自身は考えても望んでもいなかったことだった。光宗の即位後二年を経て大王大妃の垂簾の政が終わり、漸く親政が始まった。自ら政務を執るようになった直後、光宗は亡き兄の忘れ形見であり、先王の遺児誠徳君を自ら世子に冊封した。先王の遺児を世子ら立てたことで、領議政初め朝廷に
―朕(わたし)には我が血を分けた子に次の王位を譲るつもりはない。
 と、宣言し、意思表示を明確にしたつもりだった。
 が、猜疑心の強い領議政がそれだけで納得するとは思えず、周囲の勧めも無視し、中殿はおろか側室さえ迎えずに通してきたのだ。
 妻妾がなければ、子が生まれることもない。子がいなければ、領議政が要らぬ勘繰りをする必要もないだろうと、そこまで考えてのことだった。
 しかし、それでもなお、領議政は完全なる安泰を望んだのだ。自分(光宗)が生きている限り、あの野心の塊のような男は夜も安心して眠れぬのだろう。自分もそろそろ老齢に達し、眼の黒い中に孫である世子の地位を盤石のものにしておきたいと考えたとしても、いささかの不思議もない。
 いかにも、あの腹黒い狸の考えそうなことだ。
 国王暗殺、その任務を帯びて送り込まれてきたのが張緑花であり、愚かで哀れな自分はまんまとその美しき罠にかかった。
 多分、領議政は緑花の魅力で自分を骨抜きにし、意のままに操ろうと目論んだに相違ない。その上で、女の色香に眼が眩んだ国王を緑花に殺させる。
 光宗は、しかしながら、領議政の仕掛けた美しい罠にはまった我が身をいささかも不幸だとは思わない。むしろ、緑花という少女に引き合わせてくれた領議政に感謝したいくらいだ。
 が、何の罪もない一人のいたいけな少女を薄汚い野望に巻き込み、その人生を大きく狂わせた領議政は、逆に自分が殺してやりたいほど憎かった。
 緑花は直前で、領議政を裏切ろうとしたのだろう。だが、できなかった。
 緑花の人となりをよく知る彼は、それが当然のことに思えた。あの心優しい娘に幼い王子を殺せるはずがない。しかも、世子は緑花を実の姉のように慕っていたのだ。彼女もまた世子を弟のように可愛がっていて、二人の仲睦まじさは、大人げないと思いながらも光宗さえ妬けるほどだった。
 このままでは、緑花の身に危険が及ぶかもしれない。
 光宗は強い危機感を抱いた。
 領議政は自分を裏切ろうとした者を見逃すほど、甘い男ではない。
 光宗は、いまだ気絶したままの世子を抱き、急ぎ足で大殿に急いだ。

   闇に散る花

 深い夜のしじまに、甘やかな香りが漂う。
 細い女人の爪先のような月が危ういほどの頼りなさで夜空を飾っている。
 誠恵は広大な宮殿の庭園、その奥まった一角にいた。ここは〝北園〟と呼ばれ、巨大な池のある南園とは別の場所になる。