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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅱ

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―薔薇に似た花、〝偽薔薇(にせばら)〟と呼ばれる希少な花の種からできる薬だといわれておる。
―偽薔薇?
 怪訝そうな表情の柳内官に、尚薬は頷いた。
―或いは真の名があるのやもしれぬが、儂は知らぬ。外見は薔薇に酷似していても、バラ科の花ではないそうじゃ。薔薇に似て、薔薇でなく、鋭い無数の棘を持ち、その美しさは見る者すべてを魅了する。そのように言い表されている幻の花だ。
 薔薇であって、薔薇でない。鋭い無数の棘を持ち、その美しさは見る者すべてを魅了する。
 その言葉を聞いた時、何故か、張女官―あの娘の楚々とした容貌が浮かんだ。
 あの清楚でたおやかな少女の仮面を被った妖婦もまた、偽薔薇なのかもしれない。男の心を惑わせ、その鋭い針でひと突きにする怖ろしい毒花だ。
「なるほど、それで今日の昼は煎薬がなかったというわけか」
 王は低い声で言い、柳内官を鋭い眼で見据えた。
「柳内官。緑花は予の最愛の想い人ではあるが、そなたもまた幼いときからの友であり、単なる臣下とは思うてはおらぬ」
 柳内官が内侍試験に合格し、小宦となって宮殿に入ったのは十歳のときのことになる。
 その四年後、先王が急死し、その弟である光宗が急遽、十四歳の若さで即位した。二人は全くの同年なのだ。その頃から、柳内官はいつも光宗の傍に控えていた。光宗自身が何より不正を嫌う性格だったため、実直すぎるほど実直な柳内官とは響き合うものがあったのだろう。
「畏れ多いお言葉にございます」
 柳内官が頭を下げると、光宗は珍しく疲れた表情で玉座にもたれた。数時間に渡って大臣たちと御前会議をした後でさえ、いささかの疲れも見せぬ王には滅多とないことだ。片手で額を押さえ、もう一方の手で出てゆくように合図する。
「予は大切な女も友も失いたくない。ゆえに、この件は不問に付すゆえ、そなたは、このことに関してこれ以上詮索はせぬように」
「ですが、殿下、このままでは殿下の御身が危険すぎます」
 なおも言おうとする柳内官に、光宗は声を荒げた。
「くどい! 仮に緑花に何らかの野心があるのだしても、おかしいではないか。予を殺そうと思えば、緑花には、とうにそれができていたはずなのに、何故、今になって毒殺など企てる必要がある? 二人きりになる機会は毎夜、あるのだ。夜に二人だけで忍び逢っているときに、何故、直接手を下そうとしなかった? あれは、そのような大それたことのできる女ではない。何より心根の優しい娘なのだ。予が緑花を寵愛するのも、その美しい容貌だけではない、あの女の心の美しさ、優しさゆえなのだ」
「それは―」
 柳内官は言葉に窮した。確かに、理屈でいえば、それはそうだろう。光宗の寵愛を受けるようになって二ヵ月もの間、あの女には幾らでも暗殺の機会はあったはずなのだ。が、二ヵ月という月日が、彼女に夢中になっている国王を更に籠絡するために必要な期間だったとしたら?
 張緑花がそこまで見越して、わざと好機を待っていたのだしたら? 彼女を熱愛し、心から信じ切っている国王がよもや彼女の仕業だと思わないように、要らざる疑念を持たれないように、これまで待っていた―、とも考えられないだろうか。
 今、光宗に何を言ったとしても、無駄だろう。若い王の瞳には張緑花しか映ってはいない。
 だが、いずれ、あの女狐の尻尾を掴んでみせる。このお方は朝鮮にとって得難い、大切なお方だ。このお方が玉座にある限り、この国は国王の聖恩が光となり、遍く照らされ、栄えるだろう。
 あのような妖婦のために、この方を死なせてはならない。
 それにしても、一体、何が目的で宮殿に紛れ込み、王に近づいたのだろうか。国王暗殺は、あのような小娘一人で考えつく謀(はかりごと)ではない。恐らく、背後に大物が黒幕として控え、あの娘を操っているはずだ。
 まずは、張緑花という娘の正体を暴く必要がある。あの娘が何者かが判れば、糸を辿ってゆけば、いずれ繋がっている先にも辿り着くはず。応えは自ずと知れる。
 とりあえず、あの小娘の身許を念入りに調べるのだ。
 柳内官は内子(ネジヤ)院(イン)という内侍の養成所で内官となるべく様々な訓練を受け、試験に合格した。内子院時代の同級生は全員試験に合格し、今は内侍府のそれぞれの部署に配属され、国王殿下のために忠勤を励んでいる。男根を切った内官というのは、血の繋がりを自ら絶ったがゆえに、内子院の友を生涯の友とし血の繋がった肉親以上に重んじる。柳内官にもそういった友が何人かいて、その中でもとりわけ親しくしている内官が監察(カムチヤル)部長を務めていた。
 監察部は、内密に探り出すことにかけてはプロ級のプロともいえる。彼に頼めば、張緑花の正体も直に知れるというものだ。
―国王殿下は、私がこの生命に代えてもお守りする。 
 柳内官は敗北の惨めさに打ちひしがれながらも、強い決意を秘め、御前を退出した。

 その夜、光宗は伽耶琴(カヤグム)の嫋嫋とした音色に耳を傾けていた。想い人の白いほっそりとした指先がつまびく度、琴は得も言われぬ音色を奏で、その音は彼がこの美しい女に心奪われているのと同じほどに心をかき乱し、恍惚とさせる。
「緑花」
 ふいに名を呼ばれ、たおやかな手がふっと止まった。この天上の楽の音(ね)にも勝るとも劣らぬ音色を中断させた―そのような話をせねばならぬ原因を作った男―柳内官が恨めしい。
「はい、何でございましょう」
 ここは、いつもの場所。先代の妃の一人が住まっていたという殿舎の一つである。
 蝶を象った燭台の蝋燭は既に残り半分ほどになっている。淡い光に照らし出された緑花の顔が幾分蒼褪めているように見えるのは、気のせいだろうか。
 最愛の女を疑う心は微塵もなかったが、光宗はそれでも注意深く緑花の顔を見ながら話を切り出した。
「今日の昼過ぎに、そなたはどこで何をしておった?」
 緑花の可愛らしい面に怪訝な表情が浮かび上がる。小首を傾げ、無心な黒い瞳を光宗に向けた。
「それは、どういう意味にございましょうか?」
「別に深い意味はない、ただ、言葉どおりに受け取れば良い」
 そう言ってやると、緑花は淀みなく応えた。
「今日の昼過ぎなら、私は薬房にいたと存じます、殿下」
 その顔には僅かの躊躇いも気後れもなかった。やはり、柳内官の進言は偽りだったのだ―と、光宗は内心、頷く。
「そなた、そこで柳内官と顔を合わせたのではないか?」
 今度も緑花からは、すぐに反応があった。
「はい。確かに一瞬でしたが、お逢いしました。それが何か?」
 王は緑花の眼を真正面から見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「その時、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと、にございますか?」
 緑花は眼をまたたかせ、しばし考え込んだ。
「特にございませんでしたけど」
 そう応えてから、〝あっ〟と小さな声を上げた。
「そういえば、柳内官はとても怖いお顔をしておいででした。私が薬房にいるので、何をしているのだとお訊ねになったと思います」
「それで、そなたは何を致していたのだ?」
―何故、そのようなことをお訊ねになるのですか?
 緑花の黒い瞳がそう言っているような気がして、光宗は慌てて眼を背けた。