クラインガルテンに陽は落ちて
Will you dance?
will you dance?
(踊ってみない? 踊りましょうよ?)
「ポトフ、本当に美味しかった」
「ありがとう。柚木さんと私のコラボですしね」
「あとで携帯のメルアドお教えします」
「どうして?」
「レシピを送ってください」
take a chance on romance
and a big surprise?
(素敵な夢を叶えなきゃ びっくりするくらいのロマンスよ)
「映画ではダンスのあと、どうなるのかしら?」
「男が女にキスしようとして、平手打ちをされます」
「本当?」
「嘘。僕が今思いついたシナリオです」
「コラ!」
いつまでも曲が終わらなければいいと思った。でも曲は既にエンディングに入っていた。”Will you dance?” の3分10秒は僕にとってあまりにも短かった。曲が終わると、由樹は「お茶、入れますね」と言って、自分から手を離しキッチンに向かった。
やっぱり迷惑だったのかな、と心の中で呟きながら、僕はほんの少し気まずい気持ちになった。由樹が入れてくれたダージリンがちょっぴり苦く感じた。
時計の針がこんなに速く動くことを僕は恨んだ。もう帰らなきゃいけない時間だってことぐらい分かっている。でも、未練がましい男とも思われたくはない。僕は最後の挨拶をするときが来たと自分で決めた。
「今日はありがとう。じゃあ、お元気で」
「はい、柚木さんも」
僕はまたお会いしましょうとは言えなかったし、由樹も言わなかった。これでいいんだ、と自分に言い聞かせていた。
玄関でお別れをし、通路を早足で歩いた。由樹が扉のところから見送ってくれているのは分かっていた。僕は一度だけ振り返り、手を振った。そう、たった一度だけ。
エントランスを出て家までの帰り道、僕は夜空を見上げた。夏にしては綺麗な星空だった。”Will you dance?”のハバネラのリズムが、まだ頭を駆け巡っている。
僕は胸の辺りに微かに残る由樹の感触を思い出しながら、我家に向かって自転車を漕いだ。
作品名:クラインガルテンに陽は落ちて 作家名:タマ与太郎