クラインガルテンに陽は落ちて
由樹がこのクラインガルテンからいなくなる。いや、日本からいなくなるのだ。
「それは寂しくなるなあ。せっかくお友達になれたのに」
「私も残念です。柚木さんとのお喋り、楽しみだったんですよ」
「それは僕も同じです。ここに来る張り合いが無くなってしまいました」
僕の言葉は全て本音だった。
そして僕たちはしばらく沈黙した。次の言葉が見つからない。遠くでセミの鳴き声がした。僕は少し考えた後、勇気を出して由樹を誘ってみた。
「もし良かったら、ここへ来る最後の日に食事に行きませんか?」
「えっ、本当ですか。嬉しい」
由樹はいつものように白い歯を見せて笑った。僕もそれを見て嬉しくなった。
「じゃあ、8月最後の週末ということでよろしいですね?」
「はい、楽しみにしています」
「どこかおいしいお店を予約しておきますよ」
すると少しの沈黙の後、由樹は答えた。
「いえ、私が予約します。景色が良いところを知っているの。お口に合うかどうかは分からないけど」
「そうですか、ではお願いしちゃおうかな」
僕たちは、最初で最後になるであろう食事の約束の後、自分たちの区画に戻った。
ニンジンは親指の先ほどに生育している。インゲンは立派な実をいくつか付け
ていた。ピーマンも小さな白い花を咲かせていた。
僕はその日家に帰り、ダイアリーを開いた。8月の終わりまでにあと何回クラインガルテンに通えるのか数えてみた。由樹とは今週はどうするとか、今度いつ来るかというような約束は一切しなかった。でも、最後の日まで毎週末必ず二人とも来ると僕は信じていた。根拠はないが何となくそう思った。そんなことを考えながら、僕はダイアリーの8月最後の土曜日に「食事」とだけ記入した。
8月は毎週末クラインガルテンに通った。由樹もまるで暗黙の了解のように欠かさず姿を現した。僕たちは残された時間を1分も無駄にしないよう、会うたびにいろいろな話をした。
そして、あっという間に最後の土曜日がやって来た。今日が過ぎたら由樹とはもう一生会うことはないだろう。
僕たちは一旦クラインガルテンで落ち合い、そこから食事の場所に移動することにしていた。由樹の区画はすっかり整理され、きれいに土が均されていた。目の前にはいつもの麦藁帽子姿の由樹が立っている。
「いよいよ今日が最後ですね」
「はい、寂しいけど仕方ないです」
「ところで食事の場所はどちらの方ですか?」
僕の質問に、由樹はいたずらっぽく笑うと自分のマンションを指差した。
「あそこです」
作品名:クラインガルテンに陽は落ちて 作家名:タマ与太郎