忘れていた風景
「俺もあの絵は気に入ったな。奥の方に残雪の山がいい感じで描いてあって、
あの山に昔、登ったような気がするんです」
三振男氏は切実なものを感じさせる口調だった。
「あれは常念岳だと思いますね。私は実を云うと登ってないんですよ」
中野は残念な気持ちで云った。
「どうも、全員が狙ってるみたいですよ。まあ、できたら今日中に嫁ぎ先を決めてください」
中野はビーフシチューを食べながら聞いていた。
「娘を手放す父親の心境?」
カノンさんも笑顔だが真剣な様子だった。
「それは大げさです」
これまで中野は絵を売ったことがなく、全て贈呈してきた。人を喜ばせることが好きなのかも知れない。
「私はタクシーのお客様を笑わせることに、生き甲斐を感じている人間なんですけど……」
「じゃあ、ここでも笑わせてくださいよ」
須永さんが優しく云った。
「くだらないことでもいいんですか?」
「会社の運営会議というわけでもなし、くだらない話は大いに結構ですよ」
仕切り役のカリスマ氏が云った。