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錆色ノスタルジア

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「先輩……。男の子の荷物なのデス。ダンボールのそこからえっちな本が出てきたらどうするのデスか!」
「悪いけど黙っててくれるかっ!」
 いきなり何を言い出すんだ、この人はっ!
「そっか。気が利かなくてごめんね?」
「ノるなよっ! 無いからっ! よしんば持ってきてたとしてもばれないように偽装してるから大丈夫だからっ!」
 若干、嘘を吐きました。
「エロ本のことは後に回すとして、ところで君。あの一〇三号室に住むんだよね?」
「え、あ、そうです」
 ん? 何でそんなことを訊くんだ? というか、このアパートには残りの部屋は一〇三号室しかない筈だ。
「出るんだよ、このアパート……」
「へ?」
 言われてみると、妙に雰囲気を感じる。気のせいかもしれないが、本当に何か出そうな雰囲気がある。
「幽霊アパート、小鳥遊荘。この辺で有名な怪談デス」
「へ、へぇ……」
「まあ、噂は噂なんだけどね」
 是非そうであって欲しいものだ。

 部屋には段ボールが三つと布団とマットレス、あとちゃぶ台が日焼けした畳の上に置かれていた。
 それを一つずつ開封する。
 着替え、本、そして生活用品。最低限必要なだけ詰め込まれた荷物だ。
「冬物は……段ボールの中に入れといていいか。あとは押入れに突っ込んどくか」
 冬物衣料を突っ込んだままの段ボールを押入れに突っ込むと、他の荷物を解いていく。
 マットレスと布団を押し入れの中に突っ込んだあたりだった。ガタッ、という物音が部屋の中に響く。
「ラップ音か……」
 古い建物だし、ラップ音自体はそんなに珍しいものではない。そもそも心霊現象ですらない。しかし、『幽霊アパート』という噂も伴い、不気味さを感じる。
「それにしても気持ちがいい日だな」
 窓から入ってくる日光が非常に心地よい。畳というのは恐ろしい。日光の力をブーストし、人を眠りへと淵へと引き込んでゆくのだ。
 あまりの眠気に、遂に畳の上に寝転がってしまう。
 ――どれほど目を閉じていただろう。部屋の中が暗くなっていた。深淵にオチてしまった意識は、身体に掛かる重みによって泡沫のように浮上する。
 身体が重い。右手左手右足左足、四肢全てがまるで土嚢を乗せられたように重い。胸の上にも何かが載っているかのようだ。
 思い当たる節、金縛り。身体は重いのに、意識はハッキリしている。何より嗅覚がハッキリしている。ツンと鼻を突く鉄の臭い。
 否、それは鉄なんかよりももっと紅い臭いだった筈。
 何だこの心霊現象。そんな話聞いてないぞ。こういうことって貸主に説明義務があるんじゃないのか?
 嫌だ。幽霊なんて嫌だ。一人暮らしなのにそんな部屋に住むなんて嫌だ。何よりこんなムカムカするような臭い、我慢ならないっ!
 ――って。
「お前、誰だよっ!」
 右手左手右足左足、そして胸の上。その全てに本当に土嚢が乗せられているのだからそりゃ重い。
「む、お前誰だよと聞かれたら、そりゃ答えないわけにはいかないよねぇ」
 おまけに、その土嚢を置いていた犯人と思しき女が、次の土嚢を俺の腹の上に置こうとしていた。
 土嚢は重かったが、退かせられないほどではない。
「いや、ま、いいわ。携帯、携帯っと」
「――ってちょっと待ってぇ!」
 女は携帯を手に取ろうとした腕を掴みに掛かる。
「待つかっ! こりゃ立派な不法侵入だっ! とっとと警察の方に来てもらうっ!」
「違うっ! 正確に言うならば私はあなたが引っ越してくるずっと前からこの部屋を寝床にしているわけでっ!」
「不法占拠かよっ! 尚更タチが悪いわっ!」
「それじゃあ、私は妖怪です。妖怪ならば人間の法は関係ないのですっ! それに、妖怪なら誰もいなかった部屋にいてもおかしくないよ!」
「それじゃあってなんだよっ! ポニテ生やした妖怪なんて聞いた覚えがねぇよっ! たとえ妖怪だとしても、金縛りを土嚢で演出する妖怪なんて俺は認めねぇよっ!」
「お願いだよぅ、もし警察の方に来られたりとかしたら、私ぃ、どうすればいいのか分からないんだよぉっ!」
「知るかっ! 嫌ならさっさと出て行けよ」
「それは、ほら、ここ出て行かないといけなくなると、寝る場所がなくなっちゃうし」
「それこそ知るかっ! 家に帰れよ!」
「妖怪にお家も戸籍もなんにもないだよぉっ!」
 すっげぇ変な女。家出しているところに警察を呼ばれそうになって、テンパっているようだ。臭いの元はこの女のようで、あっちこっちに擦り傷やら切り傷を作っている。傷はまだ生乾きで、酷い事故に巻き込まれたモノの奇跡的に外傷だけで済んだ、といった具合だ。痛そうではあるが、本人はぴんぴんしているようなので問題ないのだろう。
「というか、どうやって入ったんだよ。ここ、普段は鍵がしまってるだろ」
「ああ、それはね」
 女は戸口へと向かう。
「こうやってこーすると、ほら、開いた」
「……」
 開く、だとっ?
「大丈夫だよぉ。泥棒さんもこんなボロアパートにお金があるなんて思わないって」
「簡単に開けられる鍵が問題なんだよっ!」
「まあ、水とガスが止まってたのが問題といえば問題。仕方ないのでお風呂は公園の水を使ってたんだ」
「女の子が公園で水浴びしているんじゃありませんっ!」
「でも、今日からはこの部屋にもお水が通るっ! もう冷たい水で身体を洗う必要もないのですっ!」
「パラサイトする気かよっ!」
「暖かいご飯も食べれるなんてっ! 同居人万歳っ!」
「飯まで食う気とかどんだけふてぶてしいんだ!」
「もうどんぐりとか得体の知れないキノコを食べる必要もないっ!」
「ちょっとまて人の話を聞けっ!」
「一度やばいキノコに中って、死に掛けました。あの真っ赤なキノコは忘れられません」
 カエンタケかよ。よくもまあ生きてんな。いや、問題はそこじゃなくて。
「お前をこの部屋においてやる余裕はないぞ。そんな顔しても元々部屋だってそんなに広くないんだしな」
 六畳間の小さな部屋だ。家具と人一人でもういっぱいいっぱいだ。
「そこはほら、君が押し入れの中で眠るとかどうよ?」
「よし今すぐ出て行け」
「ニャァーっ! 後生ですから置いてくださいぃっ!」
「嫌だ。得体の知れない女を置いて置けるほど、俺の懐は広くも暖かくもない」
 見知らぬ女の子と同居なんて、下心なしにはあり得ない。そしてその下心もリスクの三文字に押し潰される。
「……仕方ないの。お願いで済まそうと思ったのに……」
「な、なん、だ――?」
 急に女の雰囲気が変わった。月明かりを背にして、俺に寄ってくる。その怪しい光を湛えた瞳とか、上気した頬とか、膝を垂れる汗とかが妙にエロい。しかし、エロスを感じる前に妙な薄ら寒さを感じる。
「どういうのがいい? 痛いのが良い? 辛いのが良い? それともえっちぃの?」
 いや、もっと直接的な表現をしよう。恐怖だ。それも、原始的な、得体の知れないモノに対して感じるような、根源的恐怖。骨髄に液体窒素をぶちまけられたような気分。背筋が凍るなんてもんじゃない。氷結の末に砕けてしまった。
 ぶちん、という音と共に女のポニーテールが解ける。なんでこんなタイミングで髪ゴムが弾けたんだ? 女の髪はとても長く、月光を髪に溶かして、怪しい輝きを放っている。
作品名:錆色ノスタルジア 作家名:最中の中