錆色ノスタルジア
――俺は月三万という格安物件の実態を実感していた。
木造二階建ての六部屋。俺が入ったのは一階西側の部屋だ。玄関は北側で、一番大きな窓が南向きということで、日当たりは良好である。だが、隣人の生活音は筒抜け。隙間風はきついし、冷暖房は皆無だ。しかも築云十年の木造建築ということで、石油ストーブは避けなければならない。風呂トイレは辛うじてあるものの、足を伸ばせるスペースはないし、カタログに書かれていた水洗という文字が嘘なのではないか、と思えてしまうほどにボロかった。
水は流れる。一応水洗だ。ただ、一度流すごとにタンクががたがたと音を立て、いつ壊れてもおかしくない。しかもどこかで水が腐っているのだろうか、鉄の匂いがつんと鼻孔を突く。
部屋は六畳一間と二畳ほどのキッチン。いわゆる1K物件である。給湯器は外付けではなく室内型、しかも何かのCMで見たような、そんな危ない匂いのするタイプだ。
ブレーカーの契約アンペアは昭和の時代に取り残されたかのような貧弱な数値。電子レンジとドライヤーだけで落ちるかもしれない。
まあ、いい。月三万とは言え、一人暮らしだ。しかも水道ガス電気等の光熱費込み込みで三万。美味しい物件には違いなかった。
とりあえず挨拶を済ませて、荷解きを始めよう。
前述したが、このアパートは全部で六部屋である。
一階に一〇一号室から一〇三号室、二階に二〇一号室から二〇三号室の計六部屋である。それら全ての部屋が埋まっており、後は敷地内に管理人が住んでいる母屋が一つある。庭には洗濯物を干せるスペースと、桜の木が数本植えてある。その桜は、俺の入居を歓迎しているように花の雨を降らせている。
色々と曰くのありそうなアパートであるものの、月三万はでかい。高校生のバイトでもどうにかなりそうな値段なのがグッドだ。一応親からの仕送りもあるものの、食べたい盛り遊びたい盛りの男子高校生にはなるべくならお金は浮かせたいところだ。
何より、親の奨めが大きかった。月四万光熱費別と食費まで考えて仕送りするのと、月三万光熱費込みの食費とでは格が違う。あとは、どうもここの大家と親が懇意の仲であるというのが大きな理由なのだろう。
一〇一号室から挨拶周りを始める。大家の奨めだ。このアパートは住民間の繋がりが強く、良く言えば仲が良く、悪く言えば内輪で盛り上がってしまうという特質を持っているらしい。
一〇一号室には確か、大家の甥っ子が住んでいた筈だ。中学生二年生の女の子で、半ば管理人のようになっているとかなんとか。というのも、管理人当人が忙しく、庭やアパートの管理などは彼女が行っているのだという。
戸をノックするが、誰もいないようだ。留守なのなら仕方ない。次だ。
一〇二号室には留学生が住んでいるという。歳は自分より二つ上。今年は受験生らしい。
「んにゅ、お客さん?」
凄い美人だ。どこの国の人だろうか、シルクのような金髪に、大きな瞳。容姿端麗の一言で説明しようにも、言葉が足りない気がした。耳の形が少し特徴的で、肩ほどまで伸びた金髪から、ちょっこりととがった耳が突き出ている。
――綺麗な女性なのは確かだ。ただ、なんだろうか。どこか微妙に残念な雰囲気を漂っている気がする。どこだ、どこがおかしいんだ?
「と、隣に越してきた大村孝造です。お騒がせするかもしれませんがよろしくお願いしますっ!」
美人を目の前にすると緊張してしまうのが男というものだ。だけれど、上擦ってしまった声が恥ずかしいのなんの。
「……」
頭を下げた辺りに、この場に似つかわしくないモノが見えた。
猫耳を付けた女の子のプリントされたアニメTシャツだった。
あれか、オタク系外国人なのか。日本のアニメカルチャーに影響されて留学までしちゃったステレオタイプな留学生なのか。さっき感じた微妙な残念な感じ。これが原因だったのかっ!
「よろしくお願いしますなのデス。ワタシ、エイリア・プレデルタと申しマスデス」
なんか地球外生命体みたいな名前だな。
「挨拶回り中デスか。うー、アレには苦い思い出が……」
そう言って、エイリアさんは苦い顔をする。
「こーぞーさんっ! 間違ってもアニメで見たような挨拶はしちゃ駄目なのデスっ!」
「やっちゃったのかっ!」
見た目以上に残念な人だった。
「入学式直後のクラスでの自己紹介。アレはもうトラウマの域デス。ガクブル」
地味にタイムリーな事を。いや、だからこそなのか。
「しかも宇宙人とか未来人とか超能力者は結局来なかったのデス」
「よりにもよってその自己紹介かっ!」
「周りの目が痛かったのデスよ」
「いや、うん、そうでしょうね……」
その視線の成分を分析するならば、好奇心が三割、親近感が一割、あとは日本のアニメ好きな外国人に対する微笑ましさが六割といった具合だろうか。
「入学初日には魔物が棲むのデスっ! 気をつけてクダサイっ!」
その日に魔物が棲むのは確かだろうけど、間違っても自分から魔物を呼ぶ笛を吹くことはしないだろう。
「トコロで、この時間は皆さん、お出かけ中なのデス。そろそろこの上の部屋に住んでるさらら先輩が帰ってくる頃だと思うケド……あっ、帰ってきたのデス」
そのさらら先輩とやらは、黄色のクロスバイクを押してやってきた。
クロスバイクというのは、マウンテンバイクとロードバイクの中間に位置する自転車で、街乗り型のマウンテンバイクと言えば良いだろうか。比較的ごつめのフォルムの自転車であるが、そのさらら先輩の見た目にはあまりに似合わない代物である。
「あ、新入り君だね。よろしく、大里さららってけちな大学生だよ」
そう、さらら先輩は言った。
「あ、どうも。大村孝造と言います」
さらら先輩は、あまりに格好がちぐはぐだった。女の子なのは確かだろう。愛嬌のある顔立ちで、笑顔がかわいらしい。だが、服装はメンズカジュアルを中心にコーディネートされており、更に髪の色は目に痛いド金髪。左サイドの髪だけ伸ばされ、それらを赤いヘアピンでまとめ、揉み上げからたらしている。小さな身体が、そのクロスバイクの似合わなさに拍車を掛けている。
「君、背が高いねぇ。何センチ?」
「えーっと、百七十五です」
中学の頃からぐんぐん伸びており、まだ伸び続けている。
「わぁ、身体の方も結構引き締まってる。なんかやってるの?」
「特にこれと言って。身体を鍛えてない、というわけではないのですが。部活生と比べたら……」
毎朝ジョギングとラジオ体操、あとは軽い筋トレをしている程度だ。始めた頃はきつかったが、慣れてみるとこのメニューをこなさなければ昼間調子が出ないのだ。
「えーっと、今アパートにいるのはエイリアだけ?」
「はいデス。カズ君とネネちゃんはデート、ポチ君はお仕事。桜花ちゃんはいつもどおり行方不明なのです」
ちょっとまて。いつもどおり行方不明ってどういうことなんだ……。
いや、まあ。放浪癖のある人なのだろう。
「荷解き手伝おうか?」
「いえ、特にこれと言って持ってきては無いので」
「さらら先輩。それはイケナイのデス」
すると、エイリアさんがそう割り込んできた。