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錆色ノスタルジア

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 そして儀式は恙無く執り行われる。
 魔法が行われるのは大体が夜だと相場が決まっている。それは月の魔力が魔法により力を与えるからである。何より夜は魔の時間だ。夕暮れの暗くなり始めた頃の時刻を逢魔ヶ時と言うが、これは幽霊や妖怪などの魔の存在が現れ始める時刻であるからとされている。
 さて、では、何故幽霊や妖怪などを総じて『魔』と言うのだろうか。更に言うならば、マジック、スペル等を日本語で『魔法』や『魔術』と訳されているのだろうか。
 本来『魔』という言葉は人を殺すこと、不吉なことを指している。それが何故魔法や魔術などと言った別の要因を持つ言葉に使われているのか。
 それを説明するならば、魔法が本来は『人の扱える領域』のモノではないからだ。魔の存在である妖怪や幽霊は、それこそ人よりも強大な力を持ち人を仇なす者たちだ。古より人々は、それらの法術を人の領域を超えたものとして扱った。だから人を超えた妖怪や幽霊たちと同じように『魔』と名付けたのだ。それは人がなんの知識もなく魔法を自由自在に操る、などということを行えないからも説明が付く。
 つまるところ、『魔』とは『人の領域の埒外』の領域を指すのである。『魔法』とは人の領域を超えた法則を指し、それを人が扱える領域にまで加工したものを利用した技術、『魔術』として人は扱い始めたのだ。
 そして、私はその魔術を操る魔女であり、そして同時に人の枠を超えた『魔』そのものなのである。暗い海より現れる魔法を操る女。名付けられた仇名は『深海の魔女』。深い海を住処とする魔性である。
 ざぶんと、その異界の海へと身を投じる。その海には月がなく、ただ星がその夜の海を照らしている。
 海は凪いでいる。その癖に、海の底には毒々しいまでの生命力に溢れていた。
 少しずつ、海の底へと沈んでゆく。首だけの鮫が泳ぐ。眼が七つあるイルカが口を開けてこちらを嘲笑う。烏賊の触手を持つ鯨が真っ赤な鯱を食らっていた。
 沈めば沈むほど、奇怪な生物が増えてゆく。なのに私はその姿に懐かしさを覚えてしまう。奇怪なクセに単純な身体を持つ彼らに、何か郷愁感に似たモノを感じてしまったのだ。
 しばらく潜水していると、海の底に沈んでゆく魂を一つ目にする。
「おいで、ここではお前さんは生きてゆけないよ」
 魂は瞬く。海の底に魅了されている。だがまだ遅くはない。呪いは浅い。その魂を抱え込むと、握りこんだ命綱を頼りに元来た道を戻る。
 だが、帰還への命綱はあっさり途切れてしまった。
 失敗してしまったのか。背筋が冷たくなる。
 急いで切れた命綱を探す。すると、目の前を大きな影が泳いで行くのを見た。
 巨大な蛸の化け物だ。蛸と言うには余りにその姿は混沌じみていた。大量の触手と、その中央には水晶めいた大きな目玉が一つ。蛸と言うには余りにその姿は現実離れしている。
 その蛸は、こちらを認めると、ゆっくりと触手を動かす。
 警戒心が首をもたげる。危機感がカンカンと警鐘を鳴らす。まずいまずいまずい。アレは悪魔の類だ。深い海の悪魔だ。私は魂をしかと抱え込み、深海を逃げ回る。あまりに危機的状況。帰り道が分からなくなり、出会ってはいけないモノと出会ってしまった。
 落ち着け。私は何者だ? 化け物と目される深海の魔女だ。こんな状況、さっさと切り抜けてカズちゃんとご飯を食べるのだ。
 しかし、力量差というのはあまりに決定的だ。あの魂喰らいの悪魔は私たちにゆっくりと近付いてくる。
 ああ、こんな悪夢、よく見るのだ。いくら逃げても逃げ切れない。いくら走っても逃げ切れない。足が鉛のように重く、ちっとも前には進まない。
 その悪魔の触手がこちらへと伸びてきた時だった。もう一つ、大きな影が目の前から現れた。その影は私の横を通り過ぎると、後ろの悪魔を一飲みにする。
 非常に大きな影だ。シロナガスクジラにも匹敵する大きさだ。
 ――否、それは鯨などではなかった。魚だ。鯨程もあろう巨大な魚だった。
 魚はこちらを見つめる。遠近感が崩れてゆく。こちらを見つめるあまりに巨大な魚は、離れた所から見る分には愛嬌のある顔つきだ。しかし、その魚の鼻先で漂っていると、恐怖感の方が先に立つ。
 その巨大な魚はこの海の主なのだろうか。ゆらりゆらりと私の横を通り過ぎてゆく。
 千夜一夜物語。第四九六夜に登場する彼は、きっとこんな魚だったのだろう。私は深海へと沈んでゆく彼を見つめる。彼は私たちのことなど眼中にはなかったのだろう。ただ、目の前に食事が現れたので口にしただけだ。運が良かったのだ。
 助けられたなんて思うな。その類にとって人など興味のあるモノではない。
 それに、まだ助かったわけではない。命綱は疾うに見失っている。
 どうすれば助かるのだ? どうしたら帰れるのだ? 冷静になると、どんどん不安になってくる。
 もう一度会いたい。あの光を目にしたい。そう願うと、ふとどこかここではない場所の声を聞いた。
 海の終わりを見下ろすと、そこには光が揺れていた。その光に向かって下りてゆく。
 ――海は終わる。

作品名:錆色ノスタルジア 作家名:最中の中