色即是空
春彦は背筋が寒くなるような感じを覚えながら思い返していた。こういうことは他人に話してわかってもらえることではないが、隆子や哲はわかってくれるだろうという思いで話していたのである。この話し合いの後、旬日が経過した頃に、三人は青梅の家で共に暮らすことになった。これは菜穂子や真理子との決別のサインでもある。
春彦と隆子は心では寄り沿いながら体では反発するような生活を長年にわたって繰り返してきたが、それに終止符を打つときが来たのだ。二人は夫婦でありながらお互いにロンリーな人生を過ごしたのである。それは自分たちの意思で選んだというよりは何者かにそう仕向けられていたとしか思えないものであった。
春彦がその秘密はこの家にあることを知ったのは、両親の墓にお参りしてから引き寄せられるようにこの家にたどり着いた後に、この家が両親の家で自分が生まれたところであることを知ったときである。それ以来、春彦の心境に変化があったのか、彼は静かな生活を好むようになった。
青梅の家に住むようになってから、隆子は徐々に体調を取り戻し、花を植えたり畑に出たりするようにもなった。彼女の病は元来が気の病であるから、環境の影響が大きい。落ち着いた家庭環境を築くことが何よりも大切であるからと、哲は可能な限り家に居て母の隆子と過ごすようにしている。
「過去のことは何もかも忘れるのが言い。いまから新しい生活を始めるのやと思って、元気を出してくれるとありがたいよ。俺も母さんの思うようにするからね」
哲は母をいたわるように話している。自分の仕事は最小限に抑えて、畑仕事や花作りに精を出し、近くの農家の畑をも引き受けて、哲は、すっかり農夫になっていた。菜穂子や真理子のためではなく、春彦と隆子のために働いているという点がちがっているが、哲にとっては予定されていた生活である。
「俺はこうなるように生まれてきたのだなあ、農家の孫なのだから宿命かもしれないよ」
哲は、ある日の晩に、春彦と隆子と共に食卓を囲みながら述懐するように言った。
「そう思ってくれれば、亡くなった爺さんも婆さんも草葉の陰で喜んでいるだろう。僕も随分と回り道をしたけれど、隆子との生活を取り戻せて安らかな気分になっている。これからもよろしく頼むよ」
春彦が哲に感謝の眼差しを送った。こういうことも、これまでの親子の争いから見れば驚くべき変化なのだが、いまは自然に見える。それぞれが思い思いのロンリーライフを送ってきた三人が、自然体で家庭生活を営む姿は以前には想像もできないことであった。 (完)
あとがき
現世流の生き方の中であえぎながら、それを自己実現の道だと受け止めているのが現代のわれわれではないだろうか。自我ばかりが膨張して他者を省みない風潮が蔓延している。それがお互いを傷つけあい、殺し合いにすら発展しているのは、物質主義の弊害そのものであろう。登場人物たちの人生行路にはその色合いが深い。それゆえにもがくように生きてきたのだろうが、その迷路のような人生から抜けるために、彼等は必死の努力をしている。それは「宿命」に逆らうことであったかもしれない。それが徒労に終わろうとする頃に、彼等を救ったのは、自然回帰の生き方を選んだことと、祖霊の加護に目覚めたことではなかったろうか。物質主義に翻弄された彼等の到達した境地は、これまでの生き方に別れを告げる非物質的な自己充足の精神世界であろう。そのやすらぎが彼等の新しい人生の出発点になることを祈る。
著者プロフイール
佐武 寛(本名・吉田 寛)経営学博士〈神戸大学〉
国際公会計学会名誉会長・日本地方自治研究学会顧問
神戸商科大学〈現・兵庫県立大学〉名誉教授・流通科学大学名誉教授
日経・経済図書文化賞受賞(一九七五)・米国ワシントン州名誉市民
文芸誌Oの会同人
文芸著書・小説「花に嵐の舞う如し」(武蔵野書房、一九九九)
五行詩集「無限」(彩・文芸企画、二00一)
小説「死霊・瑠璃寺誕生の顛末」(文芸社、二00四)
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