猫になって歩けば棒に当たる?
「うーん、ご主人は大の猫好きだし、飼うスペースがないわけじゃないし大丈夫だろうニャ。ただ、奥様の方は純血種は大好きなんだけど、その分雑種を見下してるところがあるからちょっと気をつけるニャ」
そう言いながらぼくらは、立派な盆栽がいくつもそそり立つ中庭の眺められる縁側を歩き、いくつもの襖を横目にし一番奥の部屋の前にやってきた。
「なんでこの扉だけ重々しい黒檀の扉なんだ? 和風の屋敷にこれは……」
「そりゃ、ここがご主人の部屋だから特別製なのニャ」
「へー、ここまで大きな屋敷の主ともなると違うものだな。で、この重そうな扉どうやって開けるんだ?」
白銀に輝く取っ手は丸型で、こんな短い可愛い手で開けられると思えなかった。
「どっちを見てるニャ。猫用はこっちニャ」
言われて視線を下に移すと、そこにはわざわざ猫の肉球のマークが描いてある小さな取っ手が猫神様によって握られていた。
「猫に優しいキャットフリーな屋敷設定になってるニャ」
すごいというより呆れを感じさせる屋敷構造。なんて猫バカだろう。しかし猫神様は自分が入れるほどの隙間を必死に作っていた。取っ手を回すのは楽なようだが、やはり見かけ通り扉自体は重いようだった。小さく区切られているが黒檀自体が重いのだろう。
「眺めてないで手伝うニャ。こ、これが意外と重くて……」
「ったく、なにがキャットフリーだよ。全然優しくないな」
「ぐちぐち言ってないでもっと強く押すニャ!」
「わかってるよ! っと、おお!?」
全身の筋肉を軋むほど力をふりしぼりドアにぶつかりにいったのだが突然内側から全ての扉が開いたため、ぶつけるはずのエネルギーを空回りさせ床を転がってしまった。
「たた。なんなんだよもう」
転がって行った部屋はひっくり返って眺めているとはいえ珍妙だった。イグサの香ばしい匂いを発するのは背中に感じる畳だろう。扉は洋風なのに部屋は和室。さらに普通フローリングの部屋で使うであろう重厚な机と椅子は窓からの薄い橙色の西日を受けて部屋の雰囲気に溶け込もうとしているのだが露骨に浮いていた。
「統一感の無い部屋だな」
いつまでもだらしない姿でひっくり返っているのは忍びないので起き上がる。そして世界を正しい視点で捉え直してから、部屋の様子を再度見渡した。
扉の方には呆れ顔で部屋に入ってくる猫神様。何をしてるんだかおぬしは、とでも言いたげだ。
さらに窓の方に目をやると一人の人間と、一匹の猫がこちらに注目していた。さらに扉を開いた張本人であろう人がもう一人。扉側の一人はアイロンのきいた背広を着こなした壮年の紳士。こちらがここの主人だろう。そしてもう一人は猫を腕に抱きかかえ、二重まぶたの下のくりくりした瞳を一等星のごとく輝かせた少女。
その少女を見たとたんぼくの心臓は自分の意思で制御できない程の鼓動を奏で始めた。
その少女とはかつての僕が恋したあの虎子望さんだったのだ。
虎子望さんは腕に抱いているいかにも高そうな美しい灰色の猫をそっとソファにおろし、ぼくに近づいてきた。下ろされた猫はよわよわしく鳴いた。が、その声も耳に入らないのかぼくに興味津々だった。瞳の輝きが直視できない程だ。
「ま、真っ白。あふ〜可愛すぎ!!」
とぼくを優しく抱きあげ、頬をすりすりしてきた。
――お、おい! まずいって! そんなに急にスキンシップとられても……ぼく女子耐性そんなに高くないっての! というか学校の時とテンション違いすぎだろ!
助けを求めるように猫神様のほうを見たが、あいつは目を細めて……笑ってるよ! あいつこうなることわかってやがったな。くそう。あ、やばい。この肌ざわり気持ちいいんだけど、そろそろ恥ずかしくて死にそう……
「ありさ。そろそろおろしてあげなさいにゃんこが怯えているぞ」
「む〜、わかりました」
天国でのジェットコースターは終わったようだ。先程の猫と同じようにぼくをソファにそっとおろしてくれた。ぼくは一応また急に恥ずかしい思いをしなくていいように猫神様のいる扉付近まで避難した。
その逃げるような動作を見て少し残念そうな顔になってしまった彼女。別に嫌いになったわけじゃないんだ。ただあの無邪気なスキンシップにはぼくの小さな心臓は耐えられないのです。胸の内で謝っておいた。
喜劇、十分楽しませてもらった、とでも言いたいのか猫神様はこちらににやけ面を向けてきた。心底噛み付いてやりたかったが二人の人間の手前流石にこいつをしめるのは、状況を悪くするだけだったのでぐっと大人の対応をする。
「それで猫神様、このにゃんこ殿は新入りですかな?」
「ニャ」
「ほうほう。ずいぶん珍しい綺麗な白の毛並みのにゃんこですな。全身真っ白とは珍しい……ミックスの子ですかな?」
「ニャ」
「うんうん……わかりました。すでに首輪も付けていることだし、ありさもかなり気に入ったように見える。ただあいつは少し文句をたれそうですが、大丈夫でしょう」
「ニャ〜」
あの〜、この光景傍から見ると頭おかしい人が猫に語りかけているようにしか見えないのですが……
「なあ、これってちゃんと意思疎通できてるのか?」
「当たり前だニャ。わしは人間の言葉など何ヵ国後でも理解できるニャ、おぬしにもできるだろニャ?」
「い、いやぁまぁぼくも理解できるっていうのも不思議なんだけど、あちらのかたは理解できてるのかなぁと……」
「ま、なんとなくはわかってるんじゃないかニャ。わしがあわせて鳴いてるからニャ。ご主人もわしが神様だとわかってるし」
「さ、左様ですか……」
呆れるほど何でもありな感じだけど、このもやもやした感じは押し潰して無かったことにしてしまおう。
「ね、ねっ、この猫(こ)家で飼うの?」
「ああ、猫神様直々に連れてきたにゃんこだからさぞかし徳のあるにゃんこ様なのだろう」
なんだか変なふうに解釈が進んでいるな……この状態じゃ正すのは無理があるから放っておくしかないのだけど、後々どうなるのかが怖い。
「それじゃ名前決めなきゃね! う〜んシロじゃありきたりすぎてつまらないし」
あぁ、虎子望さんがぼくを見つめている。人間の時の僕ではまったく叶うことの許されなかった至福が、夢が今ここに……
「あっ!」
夢心地なぼくのまどろみを一気に現実に連れ戻しながらぼくの首元にある首輪の鈴をほっそりとした白い美しい指でつまみあげる。
「鈴のついた首輪をしてるからスズがいいかしら。ん? そういえば男の子かな? 女の子かな?」
確認するためかまたぼくを素早く、だが丁寧に抱きあげた。あまりの滑らかさで洗練された動きにあっさりと捕まってしまった。彼女猫を捕まえ慣れているなぁ。
なすすべなく抱きあげられたぼくは間近で彼女の美貌を確認させられた。そしてなにがなんだかわからないうちにさらに顔が接近してきて……
――くちを奪われた。
「ん〜かわい〜、どれどれあそこはあるから男の子か、スズじゃ少し凛々しい感じが出ないかな?」
「いや、スズ。父さんはぴったりだと思うぞ」
「そ、そうだよね! それじゃスズこれからよろしくね!」
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯