猫になって歩けば棒に当たる?
「そんな人間の身体など置いていくに決まってるニャ。あの時の余裕はどこへ行ったのやら。おぬしが行くのは――猫の世界だニャ」
「猫……」
「そう、猫、すぐ意識が覚める。その時はもうおぬしは猫だニャ」
そう言って金の猫は来た時と同じように、ふらりと姿を消した。そして僕の思考も眠るように、より深い闇へと沈んでいった。
「みゃ〜」
かすかな猫の鳴き声のようなものに無理やり反応させられぼくは目を見開いた。
一部雲に隠れてしまって形がおぼろげな三日月が空を、大地をぼんやりと照らしている。
「ここはどこ? ぼくはだれ?」
「べたな目覚め方はしないでほしいニャ」
「おい! そのべたな目覚め方をさせてくれよ!」
「だっておぬしのおバカに付き合ってたら時間かかりそうだし、さっきも言った通り猫はめんどくさがりなんだニャ」
「そんなこと言うなよ。一生に一度あるかないか位貴重な一瞬だぞ。それをよくも……はー、なんかもうどうでもよくなってきた」
「カカカ。おめでとう。これでわかったろ? おぬしも猫の仲間入りニャ」
「な、なんか、あっさりしすぎというか拍子抜けするな」
「ま、自分を見てみれば実感するんじゃないかニャ? そしてわしの偉大さも……」
「おー。ほんとだ、すげー。ほんとに猫の身体だ。ふわふわ真っ白、想像通りだ」
「そうじゃろう? だ、だからわしの偉大さに……」
「頬ずりしたい位ふわふわだよこれ。でも自分の身体だからできないか。あ! でもこの尻尾がある。うおーふわふわ」
「――完全わし無視。うっ、うっ」
「あ、ありがとな。お前見かけだけじゃなくてすごいのな!」
「い、いきなり思い出したように褒められても、ウ、うれしくなんてないミャ〜」
「あんまりくねくねするな気持ち悪い」
興奮して周りを見ていなかったが、ここは白を基調とした殺風景な部屋簡単にいってしまえば病室だ。ベットが一つということは個室のようだ。その部屋の窓際にあるベッドに僕は横たわっていた。
今のぼくのように身体は真っ白で、顔の一部と布団で隠れているところ以外包帯で覆われている。
「あの日から一週間は過ぎてるニャ。安定はしているけど回復の進展はないニャ」
「ここの僕が死んだら、今の猫のぼくはどうなるんだ?」
「別に、今のおぬしとあの身体は全くつながってないニャ。死んでも猫のおぬしは変わらず猫として生きていけるニャ。だがあの身体が意識を取り戻すことができる状態になっても、おぬしが猫として生きていっている間は動くことは無いニャ」
「――そうか」
これといって人としての生に未練は無い。無いはずなのだが頭の片隅に、染みついて拭いきることができない不安、恐怖があることを身震いと共に実感する。
ふとあの流れるような髪を思い出した。
僕はあの髪が好きだったみたいだ。自分を捨ててから気がつくとはいかに自分が適当に生きていたかを実感する。だからこそこれから始める生ではおもいっきり生きていこう。
「よし。それでこれからどうする? 猫なんてどんなふうに生きていけばいいかわかんないんだけど」
「まずはわしの住んでいる家にくるニャ。でっかいからおぬし一匹増えたところで変わらんと……思うミャ」
「なんで最後自信なさげなんだよ。神様なら威厳持てよ。しかも動揺すると設定間違えんのな」
「そうわしは神、大丈夫、大丈夫ミャもん」
「ったく大丈夫かよ」
全く神様らしくなく最初は敬語で恐る恐る話していたがだんだん呆れてきてため口になってきているが、相手も何も言わないのでそのままでいくことにしよう。
先に猫神様が部屋の窓から外に飛び降りてしまい若干びくびくしながらも思いきって飛んでみたけれど、想像していた足の痺れなどはなく無事に着地できた。
猫の身体の使い方は勝手にできるみたいだ。たしかに三日月の頼りない微光でも夜の街も見通せるし、体が軽いので動きがスムーズだ。四足歩行もなめちゃいけないな。
病院は僕の家の近くのだったようで表に出てもなじみのある風景ではある。あるのだが、やたらと視点が高い。そりゃ人様の家の屋根の上を歩いてりゃ目の位置も高くなる。
「さっきから、なにをぶつぶついってるニャー。気持ち悪いニャ」
「んぐ。気持ち悪いとか言うな、つかお前もっとまともなとこ歩けないのか?」
「まともなとこ? こんなに高くて清々しいとこ歩いてるのになにが不満なんだニャ?」
「屋根の上が清々しい気分になれるか……ん? あ、なんか気分爽快楽しくなってきた」
「そうだろニャ。おぬしも猫なんだニャ。人間の時の常識なんて無意味なんだニャ」
「そうか、ん? でもおまえなんで人間の時の俺の……」
「っし、静かに!」
突然鋭い叱責と共に、静止がかけられた。
「伏せて動くでないぞ」
今まで聞いたことのない猫神様の声色に多少ビビりつつ屋根に身を伏せた。ピンと立たせた耳をあちらこちらへと揺らしながら、鋭い目で辺りを油断なく窺っている。その後ろでぼくは伏せていたのだが、猫神様のある部分に気を取られて仕方なかった。
意外とたまたまちっこいな……神様だからもっと立派なのかと思ったけど、哀れ。
そんな不謹慎事を考えていることも露知らず猫神様は真剣な顔つきで、鋭い刺に覆われた茨の道を歩くかのように用心深く進んでいた。
そして隣の家の屋根に飛び移った、先の正面にもう一匹猫が座っていた。
唐突に姿を見せたその猫は元々そこに存在していたかのような錯覚をぼくに植えつけていた。
身体はぼくと対象で真っ黒。闇色とでも表現した方がしっくりきそうである。。その中にくっきりと浮かぶ満月のような金色に輝く瞳。これほど夜という印象をもたせる猫はいないだろう。
「やあ。ご機嫌いかがかニャ? 夜猫(やねこ)族の頭殿」
「おうおう。いつ見ても小っさい玉やな。こっちは上機嫌だよ。夜だしな」
「三毛のオスは生殖機能がないんだからしょうがないんだニャ。しかもこの体は仮のものだと何回言ったらわかるんだニャ」
「あーあー、何回も聞いてっから耳にたんこぶできてるよ。ったく」
「それをいうなら、たこ焼きニャ」
どっちも惜しいが、余計なのが付いてるぞ。しかもたこ焼きって食べもののことしか頭にないのだろうかあの神様は。
「それで? この辺にはいつもは来ないのに今日はどうしたのニャ?」
「あん? ただの散歩、と言いたいがどうせわかってるんだろ? 神様にゃかなわんよ。おい、猫神様にご挨拶しろ」
黒猫に呼ばれて、さらに奥の家の屋根から猫が飛び乗ってきた。そして何度も黒猫の目を窺いながら彼の一歩後ろに座りこんだ。
その猫は神様というよりすぐそこにいる黒猫の方に、おずおずとしているように見えた。
「こいつは今日俺のとこの仲間になったもんだ。ま、新人だからよろしく頼むぜ」
「やはりおぬし、また……」
「あん? 説教とかやめてくれよな。一応新人の手前だぜ。かっこつけさせてくれよ」
「ふー、わしも今日は忙しい。とりあえずこのことはまた今度にしよう」
「へへ。ありがとさんよ。おい、行くぞ!」
そういうと、二匹の猫は闇の中へ溶けるように飛び去って行った。
「もう動いても大丈夫ニャ。こっちに来るニャ」
「わかりにくい語尾だな……」
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯