猫になって歩けば棒に当たる?
「そんな……ことあるニャ。このまま記憶を改変してたら減俸どころの処分では済まなかったニャ。危ない危ない。神を惑わせるとは人間のつくるパンというものはなんと恐ろしいものよ……」
「おまえの欲が氷河のクレバスのごとく深いだけだろうが」
「そう言うこともやぶさかではあるが認めるしかなさそうだニャ」
「認めたよこの神様……」
本当にこいつは神様なのだろうか。こいつと出会って何度思ったことだろうか。もう思い起こすには億劫なほどの回数になっている。深く深く息を吐き出し心をもう一度こいつと話をする前の状態に持っていく。すると病室の外側から看護婦さんではない粛然たる足運びの音が聞こえてきた。
「やっばい。虎子望さんが戻って来ちゃったじゃないか。せっかく時間をとってなにを話そうか作戦を立てようと思ったのに、おまえが出てくるから無駄な話で終わっちゃったじゃないか」
「わしに責任押し付けるニャ」
「どう考えてもお前のせいだろうが!」
「わしが出てきても無視すればそのまま考え続けることができたはず。そうしないで流れでつっこんでしまったおぬしが悪いニャ」
「それを聞いてさらにおまえに責任があると確信した。わかったわかったよ。お前は僕の邪魔がしたくてここに出てきたんだな」
「こら、頭をぐりぐりするニャ! 痛いニャ」
「最初は僕に協力するふりをして、いざとなって僕が失敗する様を見て楽しもうって魂胆だったんだな」
「コリャ! ハニャヲツマムニャ」
「イタ! 引っかきやがったなこの野郎」
僕の右手の甲に二本赤々とした筋が浮き上がっていた。
「神様の鼻をつまむとはいい度胸ではないか」
「ふん。花かと思ってつまんじゃったよ」
鋭い歯をむき出しにし、顔に憤怒のしわを刻み込みこちらを睨め付ける三百円神様。こちらも負けじとまた鼻をつまんでやろうかと手を伸ばしていく。
その時病室のドアが控えめではあるがはっきりと打ち鳴らされ
「お水変えてきました。入ってもいいでしょうか」
という虎子望さんの声が聞こえてきてしまった。
「お前は出てくるなよ」
と下の猫に呟きかけ「あ、今開けますね」
僕は未だ踏ん張りがききにくい足を一歩一歩精一杯踏み出し、自分でドアを開けに行く。
「おかまいなく……キャ」
ドアに辿り着いた僕がドアを開けると同時に、向こう側で虎子望さんもドアを開けながら一歩踏み出してきていたので花瓶をを持った彼女とぶつかってしまった。不意をつかれる形になってしまったためか彼女は僕に押し倒されるような形で後ろへと傾く。その倒れゆく身体の背に手を回し片手でドアの淵を掴み、どうにか抱き寄せることができた。
「あ、すいません」
「あの、すいません……」
二人で同じようなことを呟き身体を離す。僕はとっさに抱き寄せてしまったことに恥ずかしさというより申し訳ない気持ちになり、右手で頭をぽりぽりと掻き、とりあえず中に入るように促そうとしたところで声が掛けられた。
「ありがとうございました。あら、傷が。先程どこかで引っ掻いてしまわれたのですね」
「あ、いえいえこれは猫に引っ掻かれたもので……」
「猫?」
あう、しまった。このことは出てきて欲しくないあの猫の話をしなくてはならなくなる地雷フレーズじゃないか。僕は焦りを必死で隠し、違う話題をふろうと顔を上げた時には瞳を爛々と輝かせた虎子望さんがいた。
「猫、その猫ちゃんはどこにいるのでしょうか。? 私その子とお会いしたいです」
花瓶を棚に置きながら部屋をキョロキョロと見まわす虎子望さん。その仕草が人間になって初めて見た素の虎子望さんの姿で猫の頃を懐かしく思いながらも、どう言い訳しようか頭をひねる。
当の猫はどこに行ったのか? まさかあのまま花束に入ったままいるんじゃなかろうかと確認した先に奴はいた。しかも隠れているつもりなのか今回は花束の中に顔を突っ込んでお尻を出している。頭隠して尻飛び出るとはこのことだ。一瞬そこで視線が止まったことに虎子望さんが気がついて彼女もそこにある異物を見てしまう。
「あらあら、こんなところでなにしているの?」
しかし彼女は変な目で見ることなくむしろおかしくてたまらないといったふうに口元に手をあてくすくすと笑っている。まだ隠れているつもりなのかじっと動かない三百円神様の身体を抱えあげる虎子望さん。
「あら? まあ、猫神様じゃないですか」
「見つかってしまったか。やはりもう少し奥まで入らないと見えてしまうんではないかと思っていたんだニャ」
「人様の病室にまで入ってきて花を漁ってはいけませんよ。それにそれは私が持ってきた花束なんですからねぐちゃぐちゃにしたら怒りますよ」
「漁ってなどいないニャ。もちろんぐちゃぐちゃになんてするつもりも無かったんだニャ」
「しょうがないですねー。その可愛さに免じて今回は許しちゃいます」
えー、許しちゃうんですか。僕がもらった花束のはずなのにあなたが許しちゃうんですか。まあ可愛いから許しちゃいますけど。可愛いは正義である。
「それで錫木君は猫神様とはお友達なんですか? こんなところには普通入ってこないはずなんですけれど」
「猫神様?」
とりあえずトボケておくことにしよう。事情は全て知っているけれどその話をするにはファンタジーすぎて頭のネジが数本ぶっ飛んだ人に見られかねない。
「ああ、私なにも説明してませんでしたね、ごめんなさい。この子は私の家で飼っている猫ちゃんなんです。ただこの子は猫の神様であると言い伝えられていて、私が生まれる前からこの姿なんです」
「へー、神様ねぇ」
「信じられないでしょうけど本当のことなんです」
「あ、別に信じてないわけじゃないんだ。なんとなくしみじみと神様っているんだなって考えていただけだから」
「そうですか。よかった」
拒絶されることへの恐怖から一転、パッと花が開いたかのような眩しい笑顔が咲いた。
「この猫は虎子望さんが水を変えに行った後に突然勝手にずうずうしく僕の病室に入ってきたんです。それで花をむしゃむしゃ食べ始めたんですよ」
事実はただ入っていただけだが皮肉と嘘を上塗りした。虎子望さんにはこいつのとてつもない阿呆ぶりを存分に伝えておきたい。
「あらそうなんですか。猫神様は家で出されたものは一切食べられないんです。お供え物だから食べることができないんだってうちの父が言っていました。だから余所で色々貰ったりして食べてるみたいで、何でも食べちゃうんですよ」
「へー、そんな制約みたいなものがあるんですね」
なるほど、いつもコンビニの残飯だとかを漁って食べていた理由がやっとわかった。たしかにお供え物は食べるためのものじゃない。しかしだからといって残飯を漁るのはもっと不名誉なんじゃないかと考えるのは僕が神様ではないからだろうか。いやいくら考えたって神様の思想なんて僕が一生懸命考えたところで理解できないだろう。だがあいつの場合もっと的外れな理由が飛び出して来そうな気がしてならない。
「そうですね、猫でも神様は神様ですから。でもこの子はとってもドジっ子で見ていてすごく癒されます。さっきのお尻も信じられない位キュートでした。錫木君もそうは思いませんか?」
「え、えぇ、可愛らしい仕草でしたね」
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯