猫になって歩けば棒に当たる?
そう言うと窓から飛び降りようとして、ガラスに激突してひっくり返って戻ってきた。
「――イテテ。窓がきれいすぎてガラスが見えなかった。誰だこんなにきれいにした奴は! わしが通ることも想定してほしいニャ」
ぷりぷりと尻尾を激しく振りながら窓を開けて出ていった。僕はその一連の行動を見てはいたが一言も口を挟まなかった。なにか突っ込んだら負けな気がしてならなかったからだ……
さていつくるかわからぬ想い人は元気がないという。どうやって励ましてあげればいいのだろうかというより励まされるのって僕の方な気がするけどなあと腹筋を再開させながら思案していた。
スズ、いや一郎は必死のリハビリと体力作りの功績で順調に体重を元の体格に迫るほどに戻し、医師に渋面をつくらせながらも一時退院の許可をもらっていたのが今日の朝の話。
そして正確な日時と時間を伝えなかったありさの来訪は今日の午後一時になる予定だ。もちろん伝えない方が面白くなるに決まってるから教えなかったのだ。ありさが来ることを教えてやっただけでも感謝してもいいはずだ。もちろんわしは傍で成り行きを見守ってあげることにしているが手出しはもちろんしないし、どちらにも存在を知られるようなへまはしないつもりである。例え今みたいに双方言葉が少なすぎて会話が続かず俯いてしまっている状況でもだ。
「あの、今日は本当にありがとうございます。テスト前の忙しい時間をわざわざ僕のお見舞いなんかに使ってもよかったんですか?」
「はい、大丈夫です」
「……」
話が続かない。いくつもの筋を残して揺らめく陽光が病室内を明るく照らしているが、今はそののどかな雰囲気すら疎ましく思えるほどに彼女との温度差がとてつもなく大きい。
三百円神様から来るとは聞いていたが、いつ来るかは聞かされていなかったので突然の来訪に落ち着かず、なにを話そうか思案することすらできない。
告白すると張りきっていた気持ちすら僕の思考の回転を助長してくれない。もちろん今日告白するなど愚鈍な策は考えてはいないけれど、ここで好感度を上げる、いや次にまた話ができる位のきっかけは作りたいと思っていた。しかしいざその人をこの目で見ながらなにかを話せと言われるとうまく口が回ってくれない。こんなにも自分の口下手なところが恨めしいと思ったことはない。
彼女は僕の勧めた粗末な鉄のパイプ椅子に行儀よく座っているが、持ってきてくれてた両手いっぱいの花束を抱えたままだということに僕は今更気がついた。
「す、すいません。その花束ありがとうございます」
「いいえ、これは私だけでなくてクラスのみんなで集めたお金で買ったものなのでみんなの想いです。みんな錫木君が意識を取り戻したことをとても喜んでいますよ」
「そうですか。こんなことを頼むのは悪いと思うんですが、その花の一つでいいのであそこに飾ってある花瓶の花と移し替えてもらってもいいですか」
「はい。構いませんよ。ここには水道がなさそうですね。来たときに通ってきたお手洗いでお水を移し替えてきますね」
そう言うと虎子望さんはすくっと立ちあがった。花束の中のひまわりを小さくしたような黄色い花を一つ抜き取り、逆の手で花瓶を持ち病室を後にしていった。
これ以上の気まずい雰囲気に耐えることができなくなった僕は自分で花瓶を換えに行こうかとも考えた。
しかしまだ普通に歩行するには少し危なく、誰かの介助か車椅子がないと行動することができない自分の今の状況を思い、よろよろ歩く自分の姿を見られたくなかったことと、その姿を見せることでむしろ虎子望さんに気を遣わせる恐れがあると予想し、僭越ながらもお願いしたのである。これで少しの間虎子望さんの姿を見ず、冷静な状態でこれからどうしようか考えられる。
もちろんこのまま何事もなく花だけ受け取って、はい、さようならなんてことにはしたくない。それではいつか学校に行ったときに話しかけるチャンスは猿が木から落ちるほどにしかないだろう。
何か話題……話題が必要なのだ。唸ってみたり、頭をかきむしてみたり、口内炎を潰してみたりしたが、全く思い浮かばない。
ん、いやそんなことはないか。僕には猫として生活していたという虎子望さんにとって夢のような出来事を体験したばかりではないか。それを話せば……
って僕はアホか。そんな話をしたらただの気がおかしくなった人と見られるのが身に見えているのに、なんでこんなことが思い浮かんだんだ……
「つーかさっきからうるさいんだよ、そこの猫。変なアイディアが浮かんだのもどう考えてもおまえのせいだ。そして花束の中から顔を出すのはやめろせっかくの花が傷む」
「とってもいい香りで満たされる至高の空間なんだニャ」
「うるさい、でてくんな。お前の出る幕は今回も、これからもない」
「なんでやねん。今回はともかくこれからもってすっごくひどいニャ。おぬしが目も向けることができぬ程猛烈に醜悪な顔をしながら薄い髪の毛を掻きむしって怨嗟の声をあげているから、今回は見守ると決めていたわしの決意も空しく散って、助けに参上したというのに。その態度はひどすぎるニャ。撤回を申し立てる」
「僕はそんなに悲痛な叫びはあげてないぞ。お前が絡むと事を複雑にひっ掻きまわして、ぐるぐるに違うとこに巻きつけて、意味不明なところで結ぶからわかんなくなるんだよ。収拾するのに三倍の時間がかかる」
「そんなことないニャ。わしだって一生懸命どうにかしようと頑張ってるにゃ」
「だから頑張らなくていいって言ってるじゃん」
「いやいやわしだっておまえさんのために何かしてやりたいと思ってるのニャ。この前の応援もいまいち効きが悪くて、上司に頼んで手伝って……ってその話はいいか」
「まて、待てよ。その話をもう少し良く聞かせろ。それが本当ならパンの約束の話はなかったことになるはずだよな」
ぶんぶんと猛スピードで首を横にふる三百円神様。あまりに速くて残像すら残しそうだ。
「首ふるのやめろ。花が散ってんじゃねーか。せっかく虎子望さんが持ってきてくれた花をなんてことしやがる」
「ご、誤解ニャ。わしが助けてやったのニャ。し、信じて。この煌めく瞳が嘘を言っているように見えるか?」
「首ふるのをやめてくれないと目、見えないんですけど」
今度はまるで見えないなにかにぶつかったのではないかと思う位首がピタッと止まった。
「どうだこの目を見てもわしが嘘を言ってると思うのか」
「うーん、思う」
「うわーん。これじゃパンが食べれなくなっちゃうじゃんかー」
「おいおい、完全に心の声が漏れてきてますけど」
「うわーん。スズがいじめるー」
「悪いの僕の方かよ」
「うわーん」
「うるさい。鳴けば許してやるほど僕はおまえには優しくない」
「っち。それじゃ違う作戦で……さっきの会話の記憶でもとばしておくか」
「おいおい、物騒な計画立ててんじゃねーよ。たかがパンののために人の記憶消そうとするな」
「消す? 違うな。おぬしはわしと契約を結んだことにするんだ。パン百個捧げるまでわしの奴隷になると」
「捏造かよ。恐ろしいことしようとすんな。僕って命の恩人だったんじゃなかったか? パンの欲に目が眩みすぎだ」
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯