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猫になって歩けば棒に当たる?

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 彼は運良く骨に当たったことで大したダメージを感じさせずにぼくの方へとまたぶつかってきた。今度は拳の痛みに意識がいっていたので気が付くのが遅れた。猛烈な突進を受け身体のバランスを崩し倒れてしまった。それをチャンスと組み伏せられやたらめったら引っかきまわされ、殴られる。鼻に一撃をもらったときは意識が飛びかけた。が、口の中で粘膜を噛みちぎり痛みで脳がブラックアウトしてしまうのを何とか食い止めた。だがなかなか彼のマウントポジションが崩せず、防御に徹するしかできない。彼も自分の優位を疑わず、調子に乗って何度も何度もぼくの顔を殴る。
「どうしたどうした。早く俺を倒さないとあのお嬢ちゃんが危ないんじゃないか?」
「わかってるならそこをどいてくれ」
「こんな有利なポジションをはいそうですかなんて譲れるかよ。自分で取り返してみろ。できるもんならな」
 彼の言うように本当に早くしないとミルーさんが危ない。相手は四匹だ。とてもじゃないが太刀打ちできないだろう。彼女はぼくが助けに来ると信じているに違いない。その期待に応えたい。
 下半身に力を凝縮させる。こうしてるうちにも乱雑なパンチが鈍い痛みを伝えてくる。その痛みに耐えながら貯めた力を思いっきり身体をひねる動きに変換する。
「あ、くそ」
 彼が悪態をつき少しよろめいた。その隙にうつぶせの姿勢から彼の身体を蹴りつける。蹴りが彼のお腹の肉を抉るような感触が足裏に伝わる。うん、良いところにはいったな。
 だいぶ離れたところまで飛んでいった彼はげほげほと苦しそうに咳をしながら険しい顔でぼくをにらんでいた。彼が動けない今がチャンス。今までは慎重に相手の様子を窺ってから攻めると決めていたぼくだけど今は空手の試合ではない。誰かを守らなくてはならない戦いなのだ。
 先程のぼくと同じようにうずくまっている彼にさらに体当たりをする。そうしてもっと無防備になった相手を組み伏せ、顔めがけて腕を振る。
 ひとつぼくの打撃が彼の顔をとらえるたび肉を抉り取る、血管を破裂させる、骨を軋ませる嫌な感触が伝わる。空手の時はもっと激しく蹴りつけたりしていたものだが、あれは人を傷つけたいわけじゃなくただ勝つために人を殴ったり蹴ったりしていたのだ。けど今は違う。殺意があるわけではないが純粋に相手を傷つけるためだけの行為だ。
 なんて不快なのだろう。この行為を楽しんでやっている人を昔腐るほど見てきた。学校でも路地でもゲームセンターの暗がりでも。
「なんて顔して俺の顔を殴ってやがる。むしろお前が殴られてるような顔だぞ」
「君はなぜこんな無意味な暴力を平気でふるえる? ぼくにはこんな顔をしながらじゃないと殴れないんだよ」
「暴力? こんなことは日常当たり前のことだろ。人間でも、俺ら野良猫ならもっと普通のことだ」
 そう言われてぼくは心臓を握りつぶされたかのようなショックを覚えた。なんて不覚だったんだろう。そうなのだぼくは人に飼われ不自由もなく家というものに守られている。それに比べ彼らは野良猫は自分の力だけで生きていかなくてはならない。争いや暴力が生活の基盤になっているだろうことは容易に予想できたはずなのに。
 愕然としていたぼくは彼の存在を見失ってしまったかのように放心していた。気がついたのはすでにぼくが倒され彼が殴りつけてきてからであった。
「なんでそんなショックそうな顔してる? そうかお前は今飼いネコちゃんだもんな。暴力が生活の八割を占めるなんて想像もできないか。けどこれで」
 またも彼のパンチがぼくの頬を突き刺す。
「目を覚ませ! 所詮この世は弱肉強食だ。力の強いものしか生きてはいけない。特にこの暴力という力が大きければ大きいほど生きることに不自由しないんだ」
「……そんなの悲しすぎるよ」
「ん? なんだって? 聞こえないぞ」
 絞り出すようなぼくの声はかすれて自分でも情けない程の音にしかならなかった。しかし今も怖い思いをしているであろうミルーさんのことを思うとこうして彼に組み伏せられている場合ではない。
「力だけでこの世が回っているなんて思いたくない。でも今は守るべきもののために君を倒さなくてはいけないんだ」
 萎えていた気持ちを奮い立たせ、彼と身体の上下関係を逆転させてぼくは言う。
「だからさっきからやってみろって言ってるだろ。口ばかりじゃなくてな」
 こうして何度もマウントポジションの取り合いをしているうちに緩やかな丘の坂をゴロンゴロンと転がっていく。
 途中で木の根にぶつかろうと大きな石が肩を傷つけようとぼくは彼を屈服させるまで諦めない。ミルーさんを助けるまでは。いや、猫神様を助ける戦いだ。忘れかけていた。
 まずは目の前の仲間を助ける。
 体中が傷だらけで悲鳴をあげているけどまだ動く。動く限り彼の暴力を止めてやる。
「いい加減諦めろ! 右目潰れてるぞ」
 確かに何回にも渡って殴りつけられたため半分もあけることができない。
「君の方こそ左手が痙攣してるぞ。そんな手でぼくは倒せないぞ」
 立ち上がって蹴りあげてきた足を右腕で受け、バランスの良くない身体に思い切り体当たりした。
 勢いのついたぼくは彼と一緒に鋭い刺を持った草の藪に突っ込みぼろぼろに削られながら、貫通し少し開けた場所へと放りだされた。
「うお、なんだ? ってテメーか。おいおい、そのボロボロなざまはなんだ」
「まあ、スズさん。今か今かと待ってましたのよ。って、どうしてこんなにも傷だらけになってるんですか!」
 藪を突き抜けた先には目を丸くした五匹の猫がいた。
 どうやらぼくらは元の場所へと戻ってきたみたいだった。

「ああ、ミルーさん無事だったんですね良かった」
「そちらはあまり無事では済まなかったようですね」
「いやー余裕だと思ったんだけどね。ドジっちゃったよ」
「でも生きていただけよかった」
 安堵の顔から一転。顔をくしゃくしゃにゆがめて泣きそうな顔になるミルーさん。
「くしゅん」
 ただくしゃみが出そうだっただけだったようだ。
「安心したらくしゃみが出てしまいましたわ。恥ずかしい。いつもはこんなはしたない姿を殿方には見せないんですよ。スズさんが心配させるからです」
 緊張の糸が切れたのだろう。しかしミルーさんは争ったりした痕跡がない。こちらは戦闘になったりしなかったのだろうか。
「ええと、心配かけてごめんね。でもミルーさんの方は大丈夫だったの? なにもされなかった?」
 そう声をかけるとミルーさんは頬を膨らませ、は快感をあらわにする。
「実はあの痩せたトラ猫がスズさんも知っているあのトラ猫だったの。それでいろいろ言い争っていたらお二人が飛んできたんです」
「ぼくの知ってるトラ猫? あんな奴どこかで見たっけ?」
 いや最初の時はあのガリガリの痩せた身体にしか目がいっていなかったが、目が片方空いていない。
「あの空き地のトラ猫?」
「みたいでしたの」
 片目が潰れていなければ全く気がつくことはできなかっただろう。あんなに肥えていてだらしなくついていたお腹の肉が綺麗になくなっている。どころかアバラが浮き出てそれが弱々しさを際立たせているように見えた。あの時は周りから一目置かれるような存在に見えたが今はその風格も覇気もない。