猫になって歩けば棒に当たる?
「いやいやいや……森林浴って素敵ですねー。近くにこんな場所があるなんて」
直にぼくの目を見て話すことができなくなったミルーは急に森の話を始める。
「この前も滝が見たいって大分遠くの森まで連れて行かれた気がするんですが……」
小声だがきっぱり言ってやったつもりがなんと耳をピタッと伏せて音声を遮断している。都合のいい女ってのはこういう奴のことを言うのだろう。
とりあえずなんだかんだでミルーとの距離が離れたのでほっと一息。
しようとしたその時、前方から数匹の動物の息遣いが感じられた。全身の毛という毛を逆立てて、尻尾も後ろの様子を探るために動く。
後ろからの気配はなし。これなら前方の集団に集中できる。
こちらは警戒心バリバリで緊張しているというのに前の集団は時折下品な笑い声をあげながら近づいてくる。不用心なこと極まりない。
「ねえ、ミルーさん敵が来たみたいだから本気モードでお願いね」
「本気モードって何のことかしら? 私はいつだってスズさんに本気ですよ」
「だからそういうのをやめてくれってことですよ」
尻尾で軽くビンタ。感覚としたたらススキの穂を頬にあてるような感じだ。
「んニャ、スズさんの愛の鞭ですわね。なんだか私やる気出てきました」
相手は五匹で移動しているようだ。身体がやたらと長いのに痩せたトラ猫。あと三匹はみな汚らしい色がゴチャゴチャになった毛色である。でも先頭のトラ猫よりも恰幅が良く、相手にするのに苦労しそうだ。あと1匹は他の四匹とは雰囲気がガラッと異なっていた。猫特有のあのぱっちりとした丸い目ではなく、きつい三白眼をしている。これだけでも周りのオーラが凍てつくのに身のこなしがしなやかで足音が全く耳に入ってこない。身体も無駄なものを削ぎ落とした風でむしろ美しくもある。その凍てつく視線がなければ……
「おい、そこに隠れてる二匹でてこいよ」
「うぐ」
ばっちり視線があってしまったので今更逃げることができない。もう少し機会を窺っていようと思ったのだが。しぶしぶ奴らの前に出ていく。
「なんだ。変な奴がいたみたいだな」
「気が付かなかったんですか? ま、大声でバカみたいに話してれば当たり前ですかね」
「なんだと、てめえ新参者のくせに調子こいてんじゃねえぞ」
「この世は所詮弱肉強食でしょ。あんたより強い俺が調子こいてようがなにも言われる筋合いはない」
「っく」
なんだか分からないけどあちらもあまり仲がよろしくなさそうな雰囲気だ。
「それでお前らが猫の神っていう奴の下僕なわけ?」
「下僕じゃない! ……? なんていうのかなただの同居人?」
「うーん、それはちょっと寂しくありません? せめて家族だとか言ってあげましょうよ」
[いやー。神様と家族ってのもなんだか……嫌じゃね?」
「う〜ん、普通の神様だったら堅苦しくて嫌かもしれませんけど、なにせあの方ですからね〜」
「だから嫌なんじゃないか」
「そうと言われればそうかもしれないけど……」
「おいおい、そんな細かいこと聞いてんじゃねえ。とりあえずお前らは俺らの邪魔しようって奴らだろ?」
ぼくとミルーがあーだこーだ言ってるのが苛立ったのか彼は話を簡単にまとめてくれた。
「たぶんそうなりますかね」
「それじゃ消えろ――」
そう言った彼はぼくらの前から姿を眩ませた。もちろん忍術とかそういう類のものではない。ただ移動速度が並はずれて速いのだ。だがぼくの感覚も人間の頃の比ではない。かすかな木岐の擦れる音響や時々視界に映る彼の姿を追う。
「まずは一匹」
後ろのミルーさんの真後ろ。彼はそこに屈んでいた。
だがぼくの反応も負けちゃいない。彼がそこから後ろ脚飛び蹴りを放つ前にミルーさんの身体を押しのけ、彼の足を握り止める。もちろん片手じゃ止められないから両手だ。今まさにぼくは四足歩行から二足で立って彼の足を止めている。元々二本の足で立っていたぼくにならちょっとコツさえつかめば難しいことじゃないこと最近気が付いた。気が付いててよかった。この身体の芯まで貫く、錐のように鋭い蹴りを受け止めるのはこれを出すしか止められなかったと思う。
「お、おまえなかなか……」
自分の蹴りが止められるとは夢にも思わなかったのだろう、逆立ちの状態で彼は悔しそうにしている。
「女の子に乱暴はいけないよ。まずはぼくと遊んでくれ」
口元を釣り上げ笑みを浮かべながらぼくは彼の足を離してやる。どっちが悪役だかわからないなこりゃ。
「すいません。こいつの相手してるい間そっちの四匹任せていいですか? すぐに……は終わらないかと思いますけど」
「え、ちょっとそんな今女の子には優しくしなきゃって自分で言っといてそりゃなくない?」
「いえいえ、ぼくは女の子に乱暴はよくないと言っただけです。ぼくは乱暴してませんので大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないわよ。助けてよ」
「すいませんがもう手が離せません。お願いします」
こちらが隙が生まれたのを好機とまた彼が獲物を狙う獅子のように襲いかかってきたので、そう答えるのが精一杯だった。
「はん、大丈夫だすぐ終わらせて嬢ちゃんも喰ってやるから。それまでそこの雑魚と遊んでな。図体だけでかくて特に強いわけじゃないから大丈夫だろ」
「てんめー、あとで覚えとけよ。オオグロさんに言いつけたる」
「はー、そうやって他の誰かの威光にしかすがれないから弱いって言われるんすよ」
ぼくと組み合っていた手を離し、深くため息をつく彼。なんだか彼を見てるとところどころ人間臭いと思える動作があるのは気のせいだろうか?
「少し場所を移そうか。でかい奴らがいると集中できないからな」
「いや、ぼくはあまり離れられると彼女を助けに行くまでに時間がかかる。だからついてはいけない」
「だ―いじょうぶだって。俺が君を仕留めるのにそんなに時間はかからないし、彼女はたぶんそう簡単にやられやしないよ。相手が相手だからね」
例の四匹に視線を移して軽く嘲笑。彼は結構な自信家らしい。余程戦闘に自信があるのだろう。よし、その天狗鼻ぼくがへし折ってやろう。
「わかった。移動してさっさと終わらせようか。ただ勝つのはぼくの方だけど」
「ほう、言うねえ。お手並み拝見させていただこうか。さっき通った所でなかなか広いところがあった。そこに移動しよう」
「わかった」
彼の後に追従しながらミルーさんの方に目くばせする。
『すぐ戻ってきます。頑張って凌いでてください!』
するとミルーさんは半分泣きながらうんうんうなずいていた。ちょっと罪悪感があったがその気持ちを断ち切り、前の存在に集中することにした。
彼との距離は約一メートル程。これだけ離れていると迂闊に相手の間合いに入ることはできない。様子を窺いながら右方に移動し攻撃のタイミングを計る。
が、もともと堪え性の無い彼はぼくが反撃できる体勢にあるというのにバカ正直に突っ込んできた。軽くいなし頬に拳を入れる。硬い骨の感触が直に伝わり、拳が痛む。人の頃と違って握りこぶしを作ることのできない手はそのまま打撃をするには不向きだということが今分かった。裏の肉球のところで叩くかもしくは爪でひっかくようなイメージでの攻撃が一番有効なのだろう。
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯