猫になって歩けば棒に当たる?
さらに近づいてきて気がついたのだがワンピースもびしょ濡れで上の下着の方もくっきり浮き出ている。ちょっと自己主張の乏しい胸を包む、可愛い花がいっぱいあしらわれた……ってなに冷静に分析してんだ。猫になったことをいいことに最低だぼく……
「ん? どうしたの? 見つめちゃって、可愛いなもう!」
いえいえ可愛いのはあなたの方です! 猫に照れて頬を赤くしないでください。
「それじゃリンスとトリートメントもちゃちゃっと終らせちゃおー」
トリートメントもあるんですか……。まだまだ先の長そうなシャンプーにげんなりした気分になってきた。
その後も上機嫌な虎子望さんに身体を洗ってもらっている間ぼくは興奮していた気持ちがだんだん冷めていくのを感じていた。
結局虎子望さんがこんなに笑顔をむけてくれているのはぼくが猫だからであって人間の僕であれば絶対にそれをむけてはくれないだろう。だがそれでもあの笑顔が見られるのは猫になったからでそこは忘れてはいけない所だ。他の男どもには見ることのできない猫になったぼくだけの特権なのだ。そう自分に言い聞かせ大きな期待をしないように自分を諌め、とりあえずもっと猫生活を満喫しようと冷めていた気持ちをもう一度沸騰させた。
ドライヤーで乾かしたりブラシで毛を整えてもらい美しい被毛が戻ってきたところで長かった夢の時間も終った。しかしあまりに丁寧なトリミングにより虎子望さんに解放されたのは太陽が地平線のという布団をかぶり始めたころだった。
気持ちいいのはよかったのだが流石にシャンプーだのリンスだのトリートメントだのいっぱいやりすぎてかなり体力を持っていかれた。面倒な時は頭だけ洗って身体はシャワーで流すだけなんてこともあるぼくにはかなり重労働だった。
心地良いけだるさを抱えぼんやり今日は何かしよーとしてた気がしたなと考えながら歩く。脳がこんにゃくになったかのようにふにゃふにゃとしか働かず全然思い出せないのだ。
ふらふらと足の赴くままに歩いていたのがたどり着いたのは結局猫部屋だった。キャットフリースペースなんて長ったらしい名前は面倒だ。猫部屋で十分だと勝手に命名した。
ドタバタした日中を過ごしたため、昼飯を食べていないことに今気がついた。認識したとたん急にお腹がよじれるような空腹感が襲ってきた。
急いで食事にありつこうと食べ物のあるところへ速足で向かう。しかし向かった先では優雅に食事をしている先客がいた。
そこにいる先客で今日の目的をやっと思い出した。謝罪をするために目の前にいるミルーを探していたんだった。
「あのー、お食事中失礼します」
なぜか気弱な営業マンみたいな口調になってしまう。
「……あんたの言う通りこっちは食事中。忙しいんだから話しかけないで」
「それじゃあ、聞いてくれるだけでもいいので」
「うるさい、近寄らないでうっとおしいから」
「いや、でも、その……」
「邪魔だって、いってるで、しょ!」
まさかここで蹴りが飛んでくるとは想像できるはずもなくぼくは不意打ちの蹴りを空腹で弱った横腹にくらい、変なうめき声をあげてうずくまってしまった。
「ふん!」
ぼくがうめいてる間に皿ごとミルーはどこかへと去ってしまった。謝ろうとしてるのにこの仕打ちはなんなのだろう。少し涙目になっているぼくのそばにちょこちょこ歩いてくる短い足が見えた。
「あら? スズ君なにをしてるの」
「ミルーさんのキックをくらってうめいているところです」
「なにをしているのだか……。今日のミルーはいつも以上に不機嫌ですからね」
「なにかあったんですか?」
ぼくのこの質問にセンプスさんは怪しげな笑みを浮かべて言った。
「あらあら、ご自身がミルーの大好きお嬢様を日中ずっと一人占めなされてたんじゃなくて? あの子がプンプンするのは仕方のないことじゃないかしらね」
あっちゃー、またもやぼくは気が付かない内に彼女の機嫌を損ねていたようだった。成り行きだから仕方ないことだと思うけどそんなのミルーにとっては関係ないことだしなあ。
「あ、はは」
「フフフ」
ごまかすような苦笑いを浮かべてみたが、豆腐に箸を通すような手ごたえのない笑顔が返ってきただけだった。
「まあ、私はどちらが勝ってもいいんですけど。フフフ」
謎な言葉を残しセンプスさんはちょこちょこ去って行った。本当に見かけはあんなに愛嬌たっぷりなのに思惑が全く表面に現れなくって考えが読めない猫である。
とりあえず、痛みによる腹痛ではなく空腹による腹痛がぼくのお腹を締め付けるのでお腹を満足させようと食事にすることにした。
謝るのはまた明日にしようと決めた。
夕食をお腹一杯になるまで堪能して膨れ上がったお腹を抱えながら、のどをごろごろ震わせるのどかな食後の時間。ぼくの頭の中では先程のトロの味に似た魚は何だったのであろうという疑問とミルー
のことがぐるぐると駆けめぐっている。
女の子って本当に難しい生き物だな。
人間の頃は同性である男にもよくなじめなかったぼくは女の子とこれっぽちも話すことはなかったからよく知らなかっただけなのかもしれない。というより知ろうとも思わなかったんだろうな。
「全くもって乙女の気持ちはわかりませんなぁ」
「へー、スズっちは女の子に興味無さそうだったけどそうでもないんだ」
「のわ! いつのまの隣に座ってたのさ。しかもスズっちって……」
「いいでしょ? それよりさー、今日は外行って遊ぼうぜー。今日の月はきれいだぜ。散歩だけでもいいからさー」
昨日は月なんかみてもおもしろくないとか言っていたくせに。でも今日は昨日みたいに特別疲れているってわけでもないし、猫型生活に慣れてきているのか深夜近くになっても眠気を感じず、むしろ目が冴えて身体も起きていた。
「いいよ。散歩でもしようか」
「おっ、今日はノリいいじゃん。スズっちはこの辺は詳しい? いろいろ案内してもいいけど」
「うーん、あまり詳しくはないかなー」
実際この辺はというより夜に出歩いたりしなかったから、夜の街ってどんなものかわからないからな。前に怖そうな猫に鉢当たりしたし、猫のルールやテリトリーとか決まり事とかありそうだ。最初は一人で出歩くのは危険だろうからロイと一緒に行こうと決めた。
「それじゃ、行こうか。やっぱり月が綺麗な日は外に出るに限るぜ」
張りきるロイの後を追ってぼくは久々にこの屋敷から出ることにした。
――ニャー
――ニャオーン
――シャー!
ロイの後に続いて歩く。路地にはたくさんの猫たちが思い思いにうごめいている。街灯りの中心から少し離れるだけでこれほどの猫が集まっていることに驚く。まだ十七年しか生きていないのだからぼくの知らないことがたくさんあって当たり前か。
いや、あの頃は自分から他のことに対して分厚い壁を張り巡らせていただけ。知ろうと思わない情報がそう都合よく手に入るものではないんだな。
昔の自分に自己嫌悪しながら歩いていると、なぜか皆同じような恰好をしてぼくの方を向いていることに気がついた。みんな伸びの姿勢、お尻をこちらに向けて振っている。人間で言うとこのポーズはかなり際どいのでは?
作品名:猫になって歩けば棒に当たる? 作家名:月灯