海人の宝
ヘインズは取り調べに対し、犯行の動機は、抗議運動をする日本人が憎かったためと悪意があったことを認めた。銃弾が空砲だったのは、ボートを見て、とっさに拝借することを思いついたので、銃弾が空砲であったことを知らず、実弾だったと思い発射したと述べた。殺意が大いにあったことを認めたのだ。もし、実弾であったのなら、数十人単位の死者を出す虐殺事件になったことは間違いない。
事件により、当然のこと、沖縄中で米軍に対する反発が怒濤の如く起こった。即、県民による大規模な抗議集会が開かれ、県内移設など言語道断、海兵隊も、その他、米軍も即、撤去されるべきだという決議がなされ、各地方自治体や県議会でも同様の決議が次々と、それも全会一致でなされる事態となった。
それは沖縄だけでなく、内地にある米軍基地を持つ自治体でも同様に起こり、自分たちの町にある米軍基地を即、撤去せよという運動が急速に勢いを増した。
また、反基地運動は基地の町だけでなく、日本国民全体の感情として広がっていった。今まで信じていた、米軍は日本を守ってくれているということが全くの幻想であると、この事件で気付かされたのだ。
米軍側は米兵個人の凶行として切り離そうとしたが、ヘインズが指導教官の身分だったこともあり、そんな言説では説得力はなかった。
ヘインズは殺人未遂の容疑で裁判を受けることになった。自ら有罪であることを認めているため裁判は長くかからないということになった。軍からは、当然のこと不名誉除隊の処分が下された。
ヘインズの裁判が進行する中、日本では反米軍基地運動が盛り上がり、そして、いつの間にか、普天間基地の移設問題は暗礁に乗り上げ、それだけでなく、日米安保体制そのものを見直そうという動きまで起こった。
それは基地が日本国民の反米感情を増す要因となり続ける限り、アメリカの国益を損ねるという理由でアメリカ側から縮小や撤去の申し出が来た。
もう冷戦時代とは違い、日本に軍事基地を置くことに戦略的価値はない。そもそも、冷戦後は、思いやり予算による経費を節約する理由で駐留していたのに過ぎない。
日米同盟は軍事だけではない。政治や経済など他分野に及ぶ。基地のことにこだわり続け、このまま両国の関係がぎくしゃくするのは両国と両国民にとって不幸なことだということで見直し論議が進み、さっそく、普天間基地をはじめとする沖縄の海兵隊基地の国外撤去が決定した。
また、日本政府は、これ以上、国民の理解を得られないまま思いやり予算を支出し続けることはできないとして、予算の大幅削減を決定し、それは同時に在日米軍全体の大幅削減へとつながった。基地は、沖縄と本土で次々と返還の運びとなることが決まった。日米安保条約も10年以内に破棄となる可能性が強まった。当然、自主防衛のための論議が本格的に始まった。
ヘインズが辺奈古で逮捕されてから一年が過ぎた。ヘインズは殺人未遂で有罪。三年の実刑判決が下った。
龍司はよく分かっていた。ヘインズの真の目的は報道で流れたり裁判で証言したものとは違うことを。誰も憎んでなどいなかった。最初から空砲であると分かっていて銃撃をしたのだ。
辺奈古に基地を造らせないことだったと。沖縄県民と日本国民を苦しめる米軍基地を撤去させることが真の目的であったのだ。結果、その通りになった。
しかし、自らを犠牲にしてまで、なぜ、そんなことを。それだけ沖縄の人、日本の国民に想いがあったのか。それも説明がつく。
ヘインズは、自らと自らにとたんの苦しみを味合わせた軍に対し、仕打ちをしたかったに違いない。
父親としての体を奪い、唯一の息子さえも奪った。基地周辺に住む人々や、基地から派遣された部隊により苦しめられる戦場に住む人々だけが被害者ではなかった。基地の中で軍人として軍務を担う彼らも大いなる被害者となっているのだと思い知らされた。
早朝、龍司は辺奈古の海に浮かぶ漁船の上で刑務所に入ったヘインズに対し想いを馳せていた。
同じ漁船には、セーラがいた。彼女に頼まれ、海中の生物調査に出ているところだ。
セーラもヘインズのことは真相を理解していた。表には出ない真の目的。それが表に出ることはヘインズ自らが望まないことである。だからこそ、ヘインズのことに対しては誰にも何を訊かれても、特別な意見は言わなかった。自分たちはヘインズのことをよくは知らない。何度か偶然、顔を会わしたぐらいの仲で、なぜあんな事件をヘインズが犯したのか理解できない。おそらく、報道で言い伝えられていることで、だとしたらとんでもない暴挙であるとしかいいようがないという具合に答えるだけだった。
だからこそ、辛かった。二人はその意味で辛さを共有する仲になった。セーラは、事件の後すぐショックでフロリダに帰ったものの、最近になってまた沖縄に戻ってきた。
それは、このキャンプ・ヘナコの返還地跡に、日米で共同使用する海洋研究所が設立されることになったからだ。
生物多様性の宝庫であるこの辺奈古の海を日米の海洋学者により調査研究しようという提案が、事件による反米感情を和らげる目的でなされた。
セーラが、その研究所の研究員の一員になることが決まった。セーラ自ら、その共同研究所の提案者の一人でもあった。学会や環境保護団体の仲間に呼びかけ、実現にこぎつけたのだ。
「わたしはどうしても、ここでしっかりとした研究をして、沖縄や日本の人々に喜ばれる成果を上げたい。それがヘインズの自らを投げ打ってしたことに報いることだと思うの」
セーラは悲しそうに言った。ヘインズのことを思えば思うほど気が重くなる。
「これからずっと沖縄にいるのかい?」
と龍司はセーラに訊く。
「ええ、そうよ。ずっとここに住むことになるわ。日本語をしっかりと勉強しないといけないと思ってるわ。龍司、教えてくれるかしら」
セーラが大きな笑顔をつくって言う。何だか龍司に迫ってくるような口振りだ。龍司は、そんな表情を見ていると嬉しくなった。
今、二人っきりで船の上にいる。二人だけで海のど真ん中に。この美しい海の上に二人だけで。そして、彼女は自分に気がある。
今まで、何度かチャンスがあったが、活かせなかった。寸前のところで邪魔が入ったからだ。しかし、またチャンスが訪れた。今こそ彼女の気持ちに応えるのだ。
「もちろんだよ。喜んで。そうだな、まず、この言葉はどうかな。キミガ、スキダっていうのは」
「何それ? どういう意味?」
とセーラが言う。
「それはね、アイ・ラヴ・ユ・・」
とその時、大きな水しぶきが船の前で上がった。二人に水がざっとかかった。
何事かと思って、その方向を眺めると、白い巨大な物体が海面に現れた。白い大きな魚、いや、イルカか。
「ジュゴンよ。ジュゴンだわ」
とセーラが言った。
「え、ジュゴン、それって、この辺りにいるといわれる海洋哺乳類の?」
「そうよ。フロリダにいるマナティと姉妹の関係にある生き物よ。すばらしいわ」