海人の宝
内地では、もう終わったことになっていて、基地問題の報道は急激に少なくなったが、沖縄では未だ最大の関心事だ。地元紙とテレビ局は、その後の経過と反基地活動を大きく報道し続けている。
まだ、この話しは終わっていない。まだ、沖縄では新基地が建設されることを認めたわけではない。断固阻止のため戦うのだ。
龍司は、安次富と洋一と一緒に船に乗っていた。すぐそばには、ブルーピースのモーターボートが来ていて、そこにはセーラがいた。
龍司はセーラに声をかけた。
「セーラ、大丈夫なのか。君の国の政府に背くことになるんだぞ」
「大丈夫よ。私たちの国には言論の自由というものがあるのよ。それに、これは人類共有の自然資源を保護するための戦いよ。日本の南極海での捕鯨を反対するのと同じことよ」
とセーラ、はつらつとした表情で言葉を返す。
漁船やモーターボートの他にゴムボートやカヌーも多数、海上に浮かんだ状態で、ボーリング調査の行われる予定の珊瑚礁の真上にいる。また、上空には、この阻止行動を撮影しようと報道用のヘリコプターが数機飛んでいる。阻止の船やカヌーが集まっているところから離れた海にも報道のための船が数隻浮かんでいる。
さらに離れた漁港と浜辺では、阻止と抗議のため数百人もの人々が集まり、横断幕にシュプレキコールを上げ続けており、実に緊張した雰囲気の漂う場になった。
そして、正午になって現れた。ボーリング調査の作業船だ。さっそく、この場所に八ヶ月ぶりに櫓を建てようというのだ。
その作業船から少し離れた海上には、警備のための海上保安庁の船が数隻航行している。これから、また、海上での取っ組み合いが始まるということか。
やってやろうじゃないか。龍司は思った。米軍の基地建設をめぐり、日本人同士が対決している。何とも見苦しく滑稽な姿に思えた。
と、その時、また、別の船がやってきた。小型のモーターボートだが、すぐに海兵隊の船だと分かった。人が一人乗っていて操縦している。操縦しているのも海兵隊員のようだ。サングラスをして、黒色のTシャツに迷彩色のズボンを着ている。いったいなぜ、まさか訓練でもあるまいし。多くの人の注目が、その海兵隊員に注がれた。
ボートはカヌーや漁船が集まっているところの数十メートル先で止まった。ボートの左側には並ぶように作業船と海保の船が浮かんでいる。
龍司は、ボートに乗っている男を見て驚いた。龍司のよく知っている人物だ。
チャーリー、チャールズ・ヘインズ曹長だ。あ、そうか、休職から戻ってきたのか。しかし、いったい何をしに来たのか。ヘインズの乗っているボートには機関銃が台に乗せられ備え付けられている。操縦席から船首方向を射撃できるような形だ。
しかし、変だ。今度の滑走路建設工事に海兵隊が関与することになっているとは聞いていないぞ。これは日本の業者が日本の税金でするプロジェクトだ。米軍は出来上がるまで任せっきりであり、海上の警備は日本の海上保安庁がする仕事だ。海兵隊が、そんなことに加わるなんて主権侵害になる。
それになぜヘインズが? どうも変だ。三ヶ月も休職していて戻ってきたばかりのはずなのに。
龍司は大声で声をかけようとした。何のつもりか訊きたかったのだ。
ところが突然、ヘインズは台座の上の機関銃に手を置き、銃口を龍司や活動家たちに向けた。軍服姿で銃口を向ける姿勢。一瞬、恐怖がみなぎった。そして、
パ、パ、パ、パという機関銃発射の炸裂音が海上に響いた。耳の鼓膜が破れるような音と共にカヤッカーと共にカヌーは転覆。船の上の者たちは身をふせた。
龍司も身を伏せたが、炸裂音が鳴り響くのに耐えられず、すぐに海へと飛び込んだ。ウエットスーツを着た状態で潜り、水面に顔を出さない状態で、水中をぐいぐい泳ぎだした。目指すはヘインズのいるボートだ。
船尾に来た。さと起きあがり、飛び魚のように跳ね上がり船上に入った。
それに気付いたのか、ヘインズは龍司の方を見つめる。お互い知っている仲のせいもあり、大男は、にこっと微笑んだ。
龍司は怒りを爆発させ、全身の力を振り絞り男の顎にパンチを加えた。男は、どたっと倒れ込んだ。
ああ、何てことだ。どうして、こんなことにまでなったのか。
機関銃の発射音は止まり、あたりは急に静まった。
龍司はボートの床に仰向けで倒れ込んだヘインズを見つめた。口から血が流れている。龍司は怒りと混乱の錯綜する気分になっていた。何という暴挙だ。だけど、理解できない。ヘインズが、そんなことをするなんて。いったい、どうして。
「チャーリー、あんたどうしてそんなことを?」
と龍司は話しかける。だが、恐る恐るだ。この大男は何をしでかすか分からない。何といってもベテラン海兵隊員だ。そのうえ、尋常ではない精神状態だ。
「ハハハ」
とヘインズが大きく笑う。龍司はぞっとした。
龍司は、機関銃の銃口の方向を見た。銃撃を受けた海面を見渡した。カヌーが何隻も転覆している。
しかし、おかしなことに気付いた。あれだけの銃撃を多くの人が受けたはずなのに、海面には血が全く流れていない。
そして、海面からカヌーに乗っていた人々が姿を現した。ひっくり返ったようだが、怪我は全くないようだ。船に乗っていた者も、静まったせいか、恐る恐る立ち上がって辺りを見回している。
信じられない。明らかに機関銃からおびただしい数の銃弾が放たれたはずなのに、明らかに彼らを狙って撃たれたはずなのに。
龍司は機関銃を眺めた。火薬の匂いがする。そして、薬莢が床に数多く落ちている。機関銃には撃ち残される前の弾倉がぶら下がっている。
龍司は弾倉を見て、どうして誰もが怪我をしていないのかが分かった。これはみんな空砲だ。銃には詳しくないが、そんな龍司でも分かる。銃弾に火薬が詰まっていない。あくまで発射のための火薬が少量あるだけだ。
ヘインズが立ち上がった。龍司と向き合う。相変わらず笑みを浮かべる。ますます不可解だ。何のために、空砲なんて使って、こんなことを。
ボートに対し海保の船が近付いてきた。日の丸をつけた船だ。それに対し反対側から、星条旗をつけた軍警察の船が近付いてくる。
海保の船が先に接近した。すると、ヘインズは、それに飛び乗った。
ヘインズは言った。
「私を逮捕してくれ」
上空では報道のヘリコプターが飛び回っている。
龍司は、ヘインズがなぜこんなことをしたのか理解できた。
その日の晩、夕刊、そしてテレビのニュースは大々的にヘインズの犯した銃撃事件を報じた。何といっても、銃撃をした瞬間を収めた映像がある。それが繰り返し流された。
それは沖縄だけのニュースではなく、全国的なニュースとなった。沖縄県民だけでなく全国民が怒るニュースとなった。
現役の海兵隊指導教官が、抗議運動をしている市民を標的に銃撃をしたというのだから。ヘインズは軍のボートと武器を無許可に使用したと発表された。公務中ではなく休職中の身分だったため、日本の警察により現行犯逮捕されたということで、日本側が身柄を拘束し、日本の警察により取り調べ、当然のこと起訴され裁判を受けるということが決定した。