海人の宝
「テロとの戦い、って。九一一が起こってからのことね。確かにあの事件には私も、みんなも怒ったわ。アフガニスタンに対しての攻撃も支持したわ。テロリストやそれを支援するタリバンのような国家を潰すためなら民間人に犠牲が出てもやむ得ないと思ったけど、九一一とは関係のないイラクまで攻撃の対象にして、みんなを煽って突き進ませたわ。でも、フセインを倒せてもイラクは混沌とした状態になっただけ。結局のところ、テロとの関わり合いも大量破壊兵器もなかった。膨大な税金を費やして、イラクの人々を数多く傷つけ反感を増幅させて、結局のところ撤退。一体何だったのよ」
セーラはさらに意気消沈な表情になった。
「アメリカ人でさえ、間違ったことと気付くようになった訳か」
と龍司は言った。
「そうね、戦争のせいで、人々の生活も困窮に瀕するばかり。ただでさえ経済が破綻しているといわれているのに、あんな大きな戦争をして、とてつもない額の税金を使うために教育や福祉の予算をどんどんカットしていったのよ。それも国家挙げてのテロとの戦いのためだって説き伏せて、でも、みんな、貧しくなっていくばかりで、病気になっても医者に診て貰うことが出来ない。日々の食事に困る人も増えて、貧しい家の子供は、学校にも行けずまともな教育が受けられない。大学に行くなんて無理だから、仕方なく、あの男たちのように軍隊に入るのよ。他に生きていく道がないから。そんな若者を使って、愚かな戦争を繰り返して、ますます国民を貧しくしているのが今のアメリカよ」
龍司は、なるほど、と思った。貧しいから仕方なく軍隊に入る。愛国心とかいう理由よりも若者は、そういう理由で軍隊に入る。実のところ、龍司もそんなことを分からせる体験はしている。龍司も貧しい家の生まれだった。高校卒業後、大学に行けず、また就職先が決まらず悩んでいたところに、自衛隊からの勧誘が来た。それもやむ得ないと思っていたところに、資産家だった叔父が亡くなり、その相続財産を使い、大学への進学ができるようになった。一つ間違えば、自分も、あの海兵隊員のようになっていたかもしれない。
「リュウジ、わたしは何が何でも、あの海を守りたい。環境を守るだけでなく、これ以上、わたしの国を愚かな戦争に加担させないためにも。これは貴方の国のためだけではない。わたしの国のためでもあるの。世界中に基地を置いて、世界を支配しているような気分になっているけど、その一方で自国民を貧困に陥れている。もう王者として振る舞えるほどの余裕はアメリカにはない。軍事力よりも、あの美しい海を守ることの方がずっと、世界のためにも、アメリカのためにもなると信じているわ。そのためにも、あなたたちとつながって活動をしていきたいと思っている」
とセーラは、カウンターの上で龍司の手に彼女の手を置きながら、目を瞬かせて見つめる。龍司は、どきっとした。
「もちろんだよ、セーラ、君の協力には心から感謝している。みんなそうさ、特に俺は感謝している。君のそばにいられて、君と一緒にこれから活動できて・・」
龍司は、セーラの手から伝わる心の高まりを感じながら、自らも鼓動を高まらせながら言葉を発っした。すると、セーラの目が、龍司から逸れた。龍司の背後にいる人物を見ているようだ。
誰だと思い、龍司は後ろを振り向いた。いたのは海兵隊の大男。だが、浜辺で会った奴らではない。何度か顔を会わした男、ヘインズ曹長だ。
何でこいつが、と思うと、ヘインズは
「悪いが、ミス、この男と二人だけで話しをさせてもらっていいかな」
とセーラに話しかけた。何だよ、せっかくいいところで邪魔しやがって。すると、セーラは、
「リュウジがいいのなら、いいわよ」
とセーラは、何者か知らないこの男に突然言われ、龍司に判断を求めた感じだ。
「何だよ、ミスター・ヘインズ、突然、話しだなんて、どういう用なんだ」
と龍司。ヘインズが海兵隊員だということをセーラに知られたくなかったので、ミスターという呼び方を使った。もっとも、この辺にいる白人で彼のような体格なら、海兵隊員しか考えられないものだが。
「男同士でないと分からない複雑な話しだ」
とヘインズ。
「あら、お二人とも中がよろしいのね」
とセーラがくすっと笑う。龍司は変な風に解釈されたくないと思った。
「何だよ、それ? 言っている意味が分からないな」
と龍司は不機嫌に返事する。すると、ヘインズは
「お願いだ。お互い助けになれるだろう。君は私に恩があるはずだ。ちょっと話し相手になるくらい構わないだろう」
と何とも、必死さを感じる話しぶりだ。龍司は思った。これは何か深刻な話しをしようとしているな、とりあえず聞く価値はありそうだ。
「セーラ、明日の朝、また会おう。そして、今夜の続きを」
とにこっとして言うと、セーラは愛嬌を振りまくように微笑み、二人を見つめ、
「いいのよ。お二人とも男同士、仲良く。明日また会えることを楽しみにしているわ」
と言ってバーを去った。
龍司はヘインズを、睨みつけ言った。
「話しって何だよ?」
「トニーのことだ」
トニーっと聞いて、はっと驚いた。
「トニーて、もしかして浜辺のこと、それもついさっき起こったことか」
ヘインズはそう言われ、周囲が気になったが、バーテンダーは英語が片言しか話せない男であり、それ以外、数人ほど年老いた客がいたが、カウンターからは離れた席に座っており、英語も理解できないだろうし、話している声も聞こえない距離であるということを確認すると、龍司のすぐそばの椅子に座った。
「そうだ、監視カメラに映っていた。二人の男たちが君に暴行を加えた。あの美しいレディにも変なことをしかけそうだった。そして、トニーは勝手に銃を持ち出した。三人とも門限を破って基地の外に出た」
「ほう、すばやいな。さすがアメリカ海兵隊だ。それがどうしたっていうんだ? 何か俺たちの方に問題が」
と龍司はしかめっ面になって言った。
「いや、すまないと謝りたいんだ。私の部下が、君たちにひどいことをしたようだ。君とあの側にいたレディに対して。君もそうだが、彼女も大丈夫かな」
「大丈夫だよ。彼女がアメリカ人だから気掛かりになったのか。俺のような日本人に対してだと知らんぷりするんだろう」
「君たちが、俺たちのことを良く思っていないのは分かっている。特にあの新兵たちは、来週にもアフガニスタンに派遣される予定になっている。だから、いつになく気が立っているんだ」
「ほう、そりゃ見事な言い訳だ。それで何だ、俺たちにどうしろと。許してくれってか」
と龍司が、いきりなって言うと、ヘインズは困った表情になった。龍司は思った。なるほど、実のところ気のいい奴なんだな、このヘインズという奴は。
「ふん、いいさ。カメラの映像だけでは分からなかったろうが、あのトニーという奴のおかげで助かったんだ」
「え、どういう意味だ。トニーはいったい何をしようとした? 映像だけでは音もなく、はっきりものを見るには暗過ぎた。おしえてくれ」