海人の宝
「ああ、そのゼネコンに抱き込まれた官僚と政治家共も、沖縄の声は無視してでも滑走路が欲しいのだろう。私はこれでも、そんな連中とは距離を置いているつもりだが、現新政権も、その意味で一枚岩ではない」
「だけど、造られるのは米軍基地ですよ。自衛隊の基地ではない。米軍がアメリカの国益のために使う基地なんですよ。日本を守らない米軍のために、一部の奴らが潤うんですか」
「はは、君の怒りはごもっともだが、ここに来て、問題の核心となってきたな。そういう屈辱的な状況でも、米軍基地を捨てきれない最も大きな勢力がある。誰だと思う?」
「さあ?」
「分からないか。日本国民さ」
「え?」
「考えてみろ。もし米軍がいなくなれば日本の防衛はどうなる? いや、実質的には防衛など担っていないから同じことだが、本当に基地を撤去していなくなれば、よりはっきりする。そうなると、結局のところ、自分の国は自分たちで守れという原則に辿り着く。どうだ、そうなると困るだろう」
「あ、確かに日本には憲法九条があるから、戦争は出来ない。軍隊は保持しないってことだから・・」
「そうなってくると、きちんと憲法を変えないといけない。そんな事態を受け入れる覚悟が国民にあると思うか。米軍嫌だといいながら、米軍が守っているから、平和憲法でやっていけるんだ、という思い込みがある。それを捨てる勇気がないから、今のような滑稽な状態が続いているんじゃないのか。沖縄はひどい状態だが、首都の東京だって米軍に管制空域を握られ、羽田空港での離着陸では不便を強いられている。そんなの屈辱だと思っても、この状態に甘んじざる得ないいびつな事情があるってことさ。一筋縄ではいかないよ」
龍司は呆然とした。そうか、それほどまでに根の深いことなのか。考えてみれば、基地建設反対と叫んでみたところで、背景には複雑で緻密過ぎる問題が横たわっている。それを一つ、一つ理解しないと、この問題の解決は実に難しい。それに理解したとして解決には相当な覚悟が必要になる。
普天間基地の移設がどうなるか結論は出ないまま、年越しを迎えた。辺奈古になる可能性は未だ残されている。県外か、国外かと、いろいろな議論が噴出され続けたが、県外の場合、どこも受け入れを嫌がっている。当然のことだろう。ならば、普天間の海兵隊のもう一つの移設先であるグアムに一括して移設してはどうかという案が出たが米軍は当然の如く拒否。
年末が迫り、首相は長引くのはよくないと、遅くとも翌年の五月までに結論を出すつもりだと国会で明言した。果たして、どこになるのか。
年が明けた一月、名古市は任期切れに伴う市長選が行われることになった。市長選は、土建業者の支援を受けているためか新基地受け入れ容認の現職市長対その市長の助役であり、新基地受け入れには反対を表明した候補の一騎打ちとなった。
テント村の活動家たちは、当然のこと反対派候補の応援に奔走した。沖縄で県内移設反対の意見が強まっているとはいえ、いざ、選挙となれば事情が変わってくる。選挙となればどこでも利権にまつわる事情が優先され、土建業者が元来から大きな票田になっている沖縄では必ずしも、一般世論が選挙の結果を左右するとは限らないのだ。それに選挙の争点は、基地受け入れの是非にはとどまらないので、必ずしも反対派が勝つとは限らない。
だからこそ、市民に対して直接語りかける戦法を取った。一人一人が基地にまつわる問題の実態を説明して回り、どう考えるかを問いかけたのだ。
よくいわれている基地により沖縄の経済が成り立っているというのは必ずしも事実ではない。実際のところ、沖縄が基地に占拠されている場所が多いからこそ、都市計画などの妨げとなり、その結果、鉄道や利便性の高い交通網が敷けなく、結果、沖縄が発展できないというのが実情だ。逆にいえば、だからこそ、基地に依存せざる得ない状況が作り出されている。それに基地による経済効果は、基地内の従業員の雇用と施設などの建設費用に限定されており、それらは米軍のためだけであり、経済全体への波及効果は低い。また、米軍は冷戦後、日本の防衛を担う役割をなしていない。普天間飛行場が返還されても、新たに基地が建設されることで新たな基地の固定化につながるので、絶対に容認してはならない。米軍基地に関しては撤去しかありえないのだ。そのように反対派候補と、その応援をする活動家は、市民に説いていった。
結果、反対派候補が勝利した。これで名古市の世論は辺奈古に新基地を受け入れることに反対であるということが、はっきりと示された。基地反対派新市長は「職を賭して阻止する」と就任演説で決意を述べた。市民は一致団結した。これにより、政府に県外・国外の移設という公約を守らせる大きな圧力を与えることになった。
普天間基地の県外移設という期待が、県民の間にさらに強まった。しかし、政府の反応はそれでも、定まらなかった。
四月
思わぬニュースが海を越え、沖縄に伝わり、沖縄では新聞が一面で伝えるほどの大ニュースになった。
それは、アメリカの連邦地裁が、普天間基地の移設先として予定されている辺奈古沖の環境調査をアメリカの国内法に照らして再考するよう国防総省に命じる判決が下ったというものだった。
国防総省側は、辺奈古の環境調査は日本政府の管轄であるという立場から、判決に不服を示し控訴した。
だが、これにより、辺奈古の基地建設がアメリカ側の事情により中止される可能性が生まれたのだ。
この連邦地裁の喜ばしい判決を導いたのは、もちろんのこと、国際環境保護団体のブルーピースをはじめとするアメリカにいる環境保護活動家たちだ。
彼らは、判決の報告をするため沖縄にやってきた。これまでも何度も訪れているのだが、今度は朗報を携えての訪問だ。もちろんのこと、テント村の活動家たちとも顔を合わすことになる。
ブルーピースの中には、龍司が待ち望んでいたセーラ・フィールズ海洋生物学博士がいた。
「ハーイ、セーラ、久しぶりだな」と龍司は大きな笑顔を作って迎えた。彼女も、とても嬉しそうな表情を見せた。二人は思いっきり抱擁した。ほぼ八ヶ月ぶりの再会だ。それだけでも嬉しかったが、それに加え反対活動には最高の朗報を携えてやってきたのだ。こんなすばらしい再会はない。
「君のおかげだ。感謝しなくちゃ」
「大いに感謝して、私も必死になって法廷で戦ったんだから」
とセーラ。ブルーピースの者たち、テント村の活動家たち、漁師たち、地元住民を交えてのパーティーを開くことになった。場所は、もちろんのこと、辺奈古のビーチでだ。有刺鉄線の側でバーベキュー・パーティーとなった。
エメラルド・グリーンに輝く海を眺めながら、潮風を受け焼き肉、ゴーヤ焼きそばを食べ、泡盛、ビールを飲む。こんなに楽しい一時はない。
勝負はまだ終わったわけではないが、勝利への期待が高まる中での安堵と高揚の一時だといえる。龍司も、美しきセーラを眺めながら、自らの人生においても最高の一時ではないかと思えるこの瞬間を噛みしめた。