海人の宝
と龍司、この状況に適応させるつもりで言った。
「いやあ、すまない。どうしても海を守りたくてな」
と安次富は申し訳なさそうだ。
外は大雨のようで、そのうえ暴風が吹いている。そういえば、早朝の天気予報で台湾近くで台風が発生していると聞いた。進路によっては沖縄を直撃するかもしれないと。
時間が経つにつれ、風雨の勢いは強くなり、夜になると、その激しい音で眠れなくなるほどだった。
何とか睡眠に入って翌朝、まだ、激しい風雨の音が聞こえる。どうやら台風が沖縄本島を通過していくようだ。
拘置期限は翌日までだ。だが、おそらく延長されるだろうと警察官は言った。まさに台風のように激しい日々がこれから始まると考えていい。
だが、翌朝、台風一過のせいか、一気に外は静まったと同時に、二人の釈放が警官から告げられた。
どういうことだと思って、留置場を出ると、数十人もの活動家仲間が迎えに来てくれた。
外はすっかり晴れ渡り、まさに晴れて釈放となったのである。
洋一が笑顔で言った。
「海保の奴らの汚いやり口を表に出したんだ。あの時の場面をビデオに撮っていた人がいてね。それをネットに流して、その後、テレビでも流れたんだ。みんなで一斉に抗議電話をかけて、警察も仕方なく釈放したというわけさ。権力側もしばらくおとなくしなければいけなくなったかも」
龍司も安次富も、ほっとした。何とか正義がまかり通ったというわけか。自分たちのしたことが思わぬ成果を上げたと言っていいのではないか。
「もっといいニュースがあるんだ」
と洋一がさらに微笑みを増して言う。
それは辺奈古の海岸に戻ってみてよく分かった。沖合に建っていた櫓が消えている。台風が丸ごと吹き飛ばしたのだ。台風一過の穏やかな水平線は真っ平らだ。まるで自然が味方したかのような光景だ。
一同は大喜びだった。龍司と安次富の釈放、権力側の横暴が公に知らされ活動の支援の輪が広がり活性化していく。そのうえ、自然の力で破壊の序章となっったかもしれない櫓が台風により吹き飛ばされてしまった。
まさに台風一過にふさわしい晴れ晴れとした気分を龍司たちは感じた。
その後、しばらくして新たな台風がやってきた。それは自然界の台風ではなく、日本の政界の台風である。
戦後、六十年近く、政権交代のなかった日本の国会に台風がやってきた。不景気と内閣の指導力のなさに端を発した政治不信により内閣も与党の支持率が大幅に低下、今度こそは政権交代になるかもしれないと期待が沸いた。
衆議院が解散され、総選挙に、政党支持率も政権交代を目指す野党連合側が与党よりも高い。最大野党の主民党は、これまでの日米安保体制を見直し、地位協定の改正、沖縄の基地負担軽減のため普天間基地の県外または国外への移設を公約に掲げた。
もし、政権交代が実現すれば、普天間基地は沖縄から代替施設なしに完全に撤去されるかもしれない。そんな期待が渦巻いた。沖縄県選出の野党候補は、皆、県外移設を必ず実行させると選挙で訴えた。
そして、九月、選挙結果は野党連合側の圧勝。政権交代が実現した。沖縄の議席も皆、県外移設を訴える野党側候補が占めた。というより、彼らこそ与党となり、これからの日本の政治の方向性を決める役割を担うことになるのだ。彼らこそが沖縄の運命を握ることになるのだ
主民党による新政権が発足。政権交代という歴史的な快挙とあって内閣支持率は七割を超えた。課題は山積だ。何よりも景気の回復、雇用の増進が国民にとって最大の懸念となっている。
しかし、沖縄にとっては普天間基地の移設問題が最大の懸念事項であった。
新首相は、最低でも県外への移設に向けて努力すると国会での演説で述べたのだが、だが、対する在日米軍側は、普天間の辺奈古への移設は前政権との合意だったといえ、それは政権が変わろうとも日米の国家間の合意であると主張し、一歩も引かない姿勢を前面に押し出した。
そして、それを受けてか次第に日本政府も、政権与党の主民党内にも移設先変更に対する慎重意見が出だした。
本土のマスメディアや世論では、議論が真っ二つに分かれた。米軍がいうように、すでに合意事項だから今更、日本側の都合で変えるのは道理に合わないし、そんなことを要求するとアメリカとの信用を損ない日米同盟に悪影響を与えるという論調と、沖縄に今まで米軍基地を押しつけてきたこの異常な状態は改善すべきで、戦後六十年以上も経って、未だに日米関係は日米安保体制の下、不平等なままであり、政権交代をした今こそ、両国は対等な関係を構築すべきで、そのためにも、沖縄の基地負担の軽減、そして、日米地位協定の改定などを実現していくべきだという論調である。
そんな内地の賛否両論とは別に沖縄では専ら、普天間基地県外・国外移設論が優勢であり、地元紙も日本国政府に県外移設をすべきだという論陣を張り続けた。
政権交代により、日本は対米追従から抜け出し、やっとアメリカにものをいえるようになったのではないかと、これで沖縄も救われると期待が膨らむばかりであった。
だが、日本政府では、閣僚の中から「時と場合によっては、公約を修正しなければいけなくなる」などの発言も飛び出るなど事態は不透明さを増していくばかりであった。
そして、政権交代から数ヶ月経った頃、テント村に著名な国会議員が現れた。テレビや新聞で有名な主民党の議員で、元自衛官だったという人で、国防問題や外交問題の専門家だという。歳は五十ぐらいで口髭がトレードマークで名は佐藤俊雄という。背広に議員バッチをつけてやってきた。今は主民党政権内閣の下、防衛政務官を務めており、移設問題のキーマンの一人でもある。今回の県外移設の公約に関しては、首相を支えつつも、慎重論を掲げている人物である。
その日の午後、テント村は、この思わぬ来客でやや騒然とした。秘書とガードマンを同行して現れた佐藤氏は、皆の意見を聞くためにやってきたと言う。あくまで自分の立場は中立であり、できるだけ多方面の立場の意見に耳を傾け参考にしたいと言う。
態度が定まらない主民党政権に対する不満は日に日に強まっており、活動家たちは、想いのたけをぶちまけた。
「なぜ、公約を実行しないのですか。散々、沖縄に期待もたせておいてひどいじゃないですか」
「新基地は米軍だけでなく自衛隊も共同で使いたいから、計画変更なんてしたくないのでしょう。そんなに軍備が必要なのですか」
「選挙で応援して、主民党を勝たせた沖縄を裏切るつもりなのですか」
龍司も、言うべきことを言うことにした。特に佐藤が元自衛官のタカ派であり、毎年、終戦記念日には、靖国神社に参拝するというので、この人物の立場になりきったつもりでの意見を述べた。