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もうひとりの母

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「……お前がやったんだな?」
 少年は答えなかった。
「自分の口で言え! お前がやったんだろ!」
 黒スーツが振り返りざまに叫ぶ。少年は喉から声を絞り出すようにして答えた。
「ちがう」
「なんだと?」
「おれじゃ、ない」
「ここまできてしらばっくれんのか! お母さんが泣いてるぞ!」
 びくり、と少年は身を震わせて、困惑した表情で黒スーツの顔を見た。
「なに、いってんの?」と少年は言った。「それ、母ちゃんだよ?」
 黒スーツと灰色スーツは、しばらく呆然と顔を見合わせていた。が、少年の言葉の意味を理解するとはっとして、糸が断ち切られたかのごとく駆け出した。
 誰もいないキッチンで、鍋が湯気を立てていた。火は消えていた。


 二人の男が、喫茶店のテーブルを挟んで座っている。飲み物が運ばれてくると、黒スーツの男が言った。
「よくがんばったな。あれから五年か」
「そう、ですね」答えたのは、水色のシャツを着た若い男である。「言われてみれば、五年も経ったんだ。光陰矢のごとし、ですね」
「おいおい。まだ二十歳そこそこの若いもんが何をいっとるんだ。そういう台詞はな、俺くらいのが言ってこそ貫禄があるんだよ」
「貫禄っていうか、哀愁ですよね」
 二人は笑い合った。黒スーツの頭がすっかり白くなっていることを、シャツの男は今更ながらに意識した。
「こういうことを訊くのは、よくないのかもしれんが」
「山岸さん、引退したんでしょ? じゃあいいじゃないですか、そんなに気を遣わなくても。あ、恋人ならいませんよ?」
 黒スーツはにやりとしてコーヒーをすすり、カップを置くと尋ねた。
「どんな気分だった? あいつを、捕まえたとき。殺してやりたいと、思ったか?」
 シャツの男は黙ってカップに口をつけた。
「いや、やっぱりやめておこう。こんなことを訊く必要はなかった。俺の興味にすぎなかったんだ、忘れてくれ」
「いえ、いいですよ。別に、気を悪くしたわけじゃない。思いだすのに、少し時間がかかっただけです。自分でもどんな気持ちだったのか、よくわからなかったから。だけど少なくとも、憎しみではなかったな。母の仇をとってやりたい、警察より先に見つけだして、自分の手で殺してやりたい――たしかにそう思っていたはずなんですが、実際にあの女を前にすると、そういう感情はさっぱり湧いてこなくって。……そうですね、なんというか、一区切りついたな、って思いと、あとは……寂しさみたいなものとが、半々でしたね」
「寂しさ?」
「はい。我ながら変な話だとは思うんですけどね。山岸さん、あの女がうちでやったことの経緯を覚えていますか?」
「ああ」と黒スーツはうなずいた。
 臼井武の母と犯人とは知り合いだった。犯人は近隣の住人だったのである。犯人がスムーズに被害者たちの家へ入ることができたのは、顔見知りであったからにほかならない。臼井家において、犯人は、武の部屋の前で母を殺害し、死体をそこに放置した。これまでの武の話では、彼はいつものように深夜になってから食事をしようとドアを開け、そこではじめて母が死んでいることに気づき、パニックに陥って死体を部屋へ引きずりこんだのだという。そして結局、翌日に警察が踏み込んでくるまで、恐怖のあまりなにもできず、母の死体とともに部屋に閉じこもっていたのだと。
 黒スーツが確認するようにそれを話し終えると、シャツの男は言った。
「実はおれ、嘘をついていたんですよ」
「嘘?」
「ええ。おれが引きこもっていたために、犯人はおれの存在に気づいておらず、おかげでおれは助かった。山岸さんをはじめ、警察の人たちはそういう風に考えてましたよね?」
「違うのか?」
「はい。だって、おかしいと思いません? あの女は母子家庭ばかりを狙って犯行に及んでいたんだから、うちが母子家庭だってことも知ってたはずでしょう。だったら当然、一人息子のおれの存在も、はなから知ってたはずじゃないですか」
「知っていて、殺さなかったと?」
「そうですよ。母がおれの部屋の前で死んでたのは、あいつが母に案内をさせたからでしょう。おれの居場所を突き止めてから殺したんだ」
「殺すために場所を突き止めたんじゃないのか?」
「それが、そうじゃなかったんですよ。ここからが、本当の話なんですがね――あの女は母を殺したあとで、おれにこう言ったんです。『私の子どもにならない?』って」
 黒スーツは絶句し、怪訝な顔を見せた。シャツの男はくすくす笑って言った。
「やっぱり、信じられませんよね。だから言わなかったんですよ。どうせ言っても馬鹿にされるだけだと思って。だからまあ、おれの妄想だと思っていただいてかまいませんよ。本当の話だって、言ったばかりですけど。
おれは女の質問には答えませんでした。怖くてなにも言えなかったんです。そしたら足音が遠ざかっていった。少し待ってからドアを開けて、母の死体を見つけて、部屋に引きずりこんで鍵をかけた。夜になるとまた女がやってきて『晩御飯はポトフよ。お鍋の中だからね』なんて言いました。もちろん、おれはその後もずっと部屋に閉じこもっていましたが、思うに、あの女は母の寝室で寝てたんでしょう。朝になるとまた階段を降りて行く足音が聞こえました。
わけがわからん、って顔をしてますね。おれもそうでした。ただ、この五年間、あの女のあとを追っているうちに、なんとなくわかってきたんです。あいつはいわゆるバツイチでしてね、離婚の原因は、あいつの身体にあったみたいです。妊娠できなかったらしいんですよ」
男は言葉を切った。黒スーツはまだ、腑に落ちない、という顔をしていた。男は続けた。
「おれの件以降、あいつは標的を母子家庭に絞らなくなった。核家族でも、じいちゃんばあちゃん抱えた大家族でも、はたまた一人暮らしでもおかまいなし。やりたい放題やるようになりましたよね。どうしてだと思います?」
 黒スーツは首を横に振った。
「単純な話ですよ。母子家庭を狙う必要がなくなったからです。おれが捕まえたときの話も、あれ嘘なんですよ。捕まえたなんて言えるものじゃなかった。おれが行ったとき、あいつは被害者の家で呑気に茶を飲んでました。出がらしじゃない、ちょっとお高いお紅茶よ、なんて嬉しそうに言って、どうかしてるんじゃないのかと思いつつも、何故だかおれは席について、出された茶を飲んだんです。それから、すごくどうでもいい話をして。母が生きていたら、こんな話したのかな、って思うような。それで最後に、あいつは言ったんです。『もう武は一人前ね。私がいなくても大丈夫よね』って。おれは黙って、警察を呼びました。あいつは逃げる素振りも見せませんでした。
作品名:もうひとりの母 作家名:遠野葯