もうひとりの母
あいつは自分のことはなにも話さなかったけど、思うに、おれ以前の犯行でも、同じことをしていたんでしょう。つまり、母親を殺して、残った子どもに訊いたんです。『私の子どもにならない?』って。当然、訊かれた方は断ったでしょう。口に出さずとも、首を横に振ったりとか、あるいは表情だけで、拒絶されていることがあいつにはわかったでしょう。それで殺された。でもおれは違った。おれは返事をしなかったし、ドアの向こうにいるおれの顔を、あいつは見ることができなかった。だから自分に思いこませることができた。この子は私を受け入れてくれている。私の子どもになってくれる、と」
「……同情、しちまったのか? 犯人がお前になにをしたのかを、忘れたわけじゃないだろう?」
「もちろん、母を殺したことを赦すなんてできません。あいつは死刑になるべきですよ。それだけたくさんの人を不幸に陥れたんだから。でも、山岸さん。おれがいま、こうして、まともな職に就いて、一応ひとりでやってけてるのは、たぶんあいつのおかげなんですよ。母は優しい人でした。あのまま何事もなく時が過ぎていれば、おれはいまでも母の優しさにすがって、つけこんで、自分の殻に閉じこもっていただろうと思います。母にはその殻を壊すことはできなかったでしょう。それを責める気は毛頭ありませんが、でもきっと、それは本当におれのためにはならなかった。あいつは母を殺したあと、ずっとうちに入り浸ることもできたはずなんですよ。どうせ最後には捕まるつもりだったんなら、わざわざ逃げる必要はなかった。だけど逃げた。何故か。あいつは、おれを殻から引きずりだしたかったんじゃないか。意味のない殺人を繰り返したのも、おれにあとを追わせるためで。そうしておれを、育てているつもりだったんじゃないか。事実おれは、高校生の頃じゃ考えられないくらい、いろいろな面で成長しました。自分で言うのもなんだけど。だからね、山岸さん、おれは思うんですよ。あいつを肯定することはできないけど、それでもあいつはきっと、おれの人生に必要な存在だったんだ。いうなれば、もうひとりの母親みたいなものだったんだ、って」
私にできることならなんでもしてあげたい――
黒スーツが思いだしたのは、そんな言葉だった。
「すごく美味いですね、この紅茶」シャツの男はカップに口をつけて言った。「人生で一番――いや、二番目に美味いですよ」
二人の男の頭上に、くるくると湯気が踊っていた。